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第35話 緘黙症の生徒とガロア理論

 3月の声を聞いてしまった。


「あと2ヶ月で私の誕生日じゃんっ。このままだと21歳になっちゃうじゃん! ハタチ妻になれないよっ。なんとかしてよっっ」


「知らねえよ」


 サトルにあきれられた。


 カブラギの家から自転車で10分の土手である。あのタカハシからフラれた忌まわしき土手。


 今日はサッカー少年が白と黒のボールを太陽に向かって蹴り上げていた。


 レジャーシートの上でカブラギが作ったサンドイッチとポットの紅茶でピクニックだ。


 なぜか最近土曜日にタカハシに会って日曜日にサトルに会うみたいな変なローテーションになってる。しかも2人ともキス止まり。


(ああ。でもタカハシとはネットカフェでもうちょっと。ふふっ)


「サトルはさー。どうやってタカハシの家に入り込んだのよー」


「オレとお前じゃ家に呼ぶ意味が変わってくんだよ」


 ううううー。ううううー。


 うなりながらサトルのシャツを引っ張った。


 はぁ〜。サトルがため息をつく。


「それにしてもお前クソ可愛いな。もうピクニックなんかやめてホテル行きたいわ」


「私が行きたいのはタカハシんちー!」


「阿東だよ!」

「アトー?」

阿東千尋あとうちひろ! 入学したのに全くしゃべらねえジャリがいたんだよ」


 あ……それ……タカハシの言ってた『B美』さんだ。本当は阿東さんというのか。


 ◇


「タカハシにだいたい聞いてるよ。アンタさぁ阿東さんの心をどうやってつかんだのよー」

「本人経歴書だ」

「はぁ?」

「入学式に提出するだろうが。小学校と中学校を書くやつ」

「出した、出した」

「それ見て片っ端からガッコーに話を聞きにいったのよ」


 それで阿東千尋が小学校2年の時『二次方程式』について担任に聞きに行き、えらく嫌われたことを知る。


「だからよー。阿東の横に座って『数式から関数グラフを作る問題集』を黙読してやったのよ」


 阿東は1ページ目からから食いついてきた。食い入るようにページを眺める。


 バン!


 阿東の膝に紙とペンを置いた。


「阿東! この数式からできる関数グラフはなんだ!」


 阿東はしばらくページを見つめるとサラサラと書き出した。


「正解! 次はこれだ!」


 また書く。


「次! 次! 次!」


 31個目で間違えたので「数式抜けてるぞテメー」と言って解説した。


 阿東は、緘黙症かんもくしょうである。しゃべることができない。しかしマークシートは塗り潰せるから『書ける』わけだ。


 毎日毎日隣で問題を出し続け、レベルを上げていった。家に乗り込み阿東のもっている数学の本について解説した。阿東が質問を始めた。


 それで尊敬する数学者について聞いたら『エヴァリスト・ガロア』だというので、次の日から学校のベンチでひたすら『ガロア理論』について話し続けた。


 そのうち阿東が数学以外の話。生い立ちをポツリポツリと話し始めた。


「で、ある日タカハシに声かけたのよ」


 阿東の家庭環境と生育状況について絶対誰にも知られない場所で話したい。


「タカハシの家はうってつけだろ? 誰もいない。誰も聞かない」


 今度は学校から家に帰らず毎日タカハシの家に泊まった。そして阿東の処遇について話続けた。手続きを調べ各調整をした。


「毎日タカハシのゆうメシと朝メシ食って、一緒に電車に乗ってガッコーへ行ったってわけ」


 最後に阿東に言った。


「てめぇの器受けられるキョーシがここにいるわけないだろ! さっさとイギリスいけ。オックスフォードかプリンストンにアンドリューワイルズがいるからそいつに習え。早くこんなとこ出てけ!!」


 で、タカハシの合鍵までせしめて今に至る、と。


 ◇


「え。タカハシはアンタが全部やったみたいなこと言ってたけど……」

「タカハシがテメーの手柄吹聴するタイプかよ」


 それもそうだ。


「そんな手使えないよー。何も思い浮かばないー」

「泣くんじゃねぇぞ。ホワイトデーにすごいお返し用意してやったからよ!」

「えっ。何!? 何!?」


 サトルがニンマリ笑ってチケットを出してきた。


 ああっっ。『マウンテンズ』のさいたまスーパーアリーナライブッッ


 ◇


「競争率4倍だよっ!? しかもこれアリーナッアリーナじゃん! プラチナチケットじゃん!!」


 サトルニヤリ。「いくだろ?」


「いくーっ!! いくーっ!! 岡元健史おかもとけんとに誘われたとしても岡元健史と会ってから行くー!」


「会うのかよ」つっこまれた。


 ◇


「カブラギ」


 タカハシに優しく声をかけられた。


「はいっ」


「ホワイトデーはサトルと『マウンテンズ』のライブいくんだって?」

「すみません……」


「いいんだよ。その代わり俺のお返しは少し待ってくれないかな? 1週間くらいなんだけど」

「あっ。はい。もちろんですっ」


 お返しはあれですよ。『婚姻届』か『タカハシの家で一晩中作家名をささやいてもらう権』でお願いします。


 と言いたかったが言えなかった。もう恋人同士なので冗談を超えて生々しい話になってしまうのだ。


 付き合う前の方が何でも言えた気がする。

 今はタカハシの反応が怖くて言えないことがたくさんできてしまった。失いたくない。


 この人が好き。


 ◇


 『マウンテンズ』のライブは最高であった!


 サトルに言われてライブ開始2時間前に到着したら大正解。ライブグッズをゆっくり選んでメンバーの衣装展示と一緒に写真を撮った。


 その後サトルと楽しくおしゃべりして会場に行ったらびっくり!


 ライブグッズ購入の列が何十にもなっていた。衣装展示も最後尾が見れないほどの行列。


『カフェでゆっくりトイレに行っておいてよかった』と思ったくらいだ。


 開演時間がライブグッズをさばききれなかったせいで遅れた。サトルに「だろうと思ったわ」と言われた。


 カブラギとサトルはお揃いのライブTシャツ(ペンギン)を着ておそろいのタオル。どこからどう見てもカップル。

 気持ちが盛り上がって手を『恋人繋ぎ』で歩いてしまった。


 セットリスト(曲順)最高。歌声最高。演奏最高。MC最高。


 しかもメンバーの顔が近い近い。アリーナ最高!!


 カブラギは声を限りに叫び、歌い、ジャンプした。


 パァァァァン!!


 と音がして銀色のテープが舞った。略して『銀テ』


 キラキラキラキラ強い照明を受けて光の子のように乱舞する。


 飛び上がって取ろうとしたらサトルがたくさんとってくれた。


 カブラギに1部渡すとあとは周りに誰かれ構わず渡してる。そういう男なのだ。


 ラスト1曲でカブラギは感極まって泣いてしまった。


 さいたまスーパーアリーナを出るともうウルウルしちゃってて、サトルにもたれるように歩いた。

『マウンテンズ』と同じ時代を生きれてよかったと思った。


 木々に電飾が巻きついて白い光をゆっくり点滅させていた。空は曇りで何も見えなくて、まるでそれが星の瞬きのようであった。


「カブラギ」サトルが微笑む「好きだ」


 そしてそのまま長くキスをしてしまった。


岡元健史→若手の超人気俳優

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[一言] わかるけどそりゃダメだ……
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