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第30話 3人の生徒

 タカハシが印象に残った生徒の話をしてくれた。


「3人いるんだ。1人目はね。教師になって3年目に初めて担任になったとき受け持った生徒」


 カブラギはうなずいた。1月3日タカハシと一緒に初詣へ行った帰りだった。


 着物は着なかった。カブラギの家は成人式の着物を借りるくらいが精一杯の家格だからだ。


 代わりにフワフワモコモコの上下をそろえた。


 甘酒を買って並んで屋台の長椅子に座る。


「名前は言えないんだ。A子でいいかな? A子はね。毎年統一テストの国語全国1位でね。そのかわり数学とかは赤点なんだよね。話してわかったよ。ものすごい本読んでるって。そういうの5分も話せばわかるんだよ」


「すごいですね」


「私立大の国文学に特待生で入って。カブラギ。卒論何枚だっけ?」


「原稿用紙90枚です」


「その子ね。1500枚出したんだって」


「せんっせんごひゃくまい!?」


「三島由紀夫と、夢野久作と、尾崎放哉おざきほうさいの3人で何本か卒論だして1500枚」


「またアレですね…………。人選が独特といいますか」


 ふふっ。タカハシは笑った。


「当然のように大学院に進んで27歳で就職してね。銀行」


「固い仕事につかれたんですね」


「28でナイアガラの滝から飛び降りて死んだんだ」


 ええええーーーーっ!?

 ええええええーーーーっ!?


 最初は事故だと思われてたが、亡くなって1週間後に親のところにハガキが届いた。


 ナイアガラの観光ハガキの後ろに家の住所と一言。


 〃これ以上生きられません〃


「才能があったよ。でも時として才能は人を食い潰してしまうものなんだね。あれ以来俺は進路指導には人一倍気を使ってるよ。まあ大学院の先まで高校教師が関与できるわけもないんだけど」


 タカハシの指導はとにかく『石橋を叩いて渡る』という感じで、クラスで真ん中くらいの成績の子が半分ふざけて『東大』など書こうものなら「足元をよく見なさい!」とピッシャァァと言われてしまうのだった。


 その延長でカブラギの『プロポーズ』もピシャァァァと言われてしまったのであるが。


 逆にサトルは『東大』と書こうが『第2の草間彌生くさまやよいになる』と書こうが『YouTuber』と書こうが「いいんじゃね〜?」と発言。進路指導の場でよく父兄から怒られていた。


 先生のくせにションボリしてやがるのを何度か見かけた。



 ◇


「2人目の生徒も名前は言えないんだけどB美でいいかな? 入学試験全教科全問正解した子で」


「えええええっ!?」


 そんなんいるのか。世の中恐ろしい。


「入学してみたら一言も話さないんだよ」


「ええええー」


「いや。入試面接のときも一言も話さなかったんだよ。名前も言わないし。でも全教科全問正解を落とすと言うのはね……。まあできないんだよ。相当の素行不良でもないと」


「え? でもその生徒入学してから苦労したんじゃないですか?」


「生徒も大変だけど、担任の先生が大変だったよ。藤代先生が担任になられてね。本当に苦労されたんだ」


 藤代愛美ふじしろまなみ! あの線の細い先生が担任かー。可哀想だよそりゃ。


「『どうしたもんか』と職員室中で話し合う中、翌年新任教諭として入ってきたのが久保悟」


 サトル!!


「初年度からチャラかったんですか?」

「チャラかったよ……」


 目に浮かぶわ。


「サトルがなぜか毎日毎日B美の隣にいるんだよ。よく2人でベンチに腰掛けて、なんかサトルが話しかけてるんだよね。1回藤代先生が茂みに隠れて盗み聞きしたんだよ」


「え? 何話してたの?」


「『全然わからない』って言うんだ」


 え!?


「で、先生方が代わりばんこ盗み聞きしてやっとわかったんだけどね」


 はい。


「『ガロア理論』だった」


 はぁぁぁぁぁぁ!? あの昔カブラギが東大生に2時間講義されて1文字も理解できなかったやつ!?


「あと『フィボナッチ数』それから……とにかくわけのわからない数学の話をし続けてて、しかもB美がそれに全部答えているらしいんだよね」


「え? サトルにも聞いたの?」

「聞いたけど『天気の話っすー』みたいな。本当は雷発生の計算式の話だったらしいんだけど。サトルはそう説明しないから」


 で、ある日サトルが俺のとこやってきて「『タカハシセンセー(このころは呼び捨てではなかった)B美あいつはダメっすよ』」


「う。うん」


「『こんなとこいても無駄っす。早くオックスフォードに放り込みましょー』って言ってあっという間に手続きして、イギリスに留学させてしまったんだよ」


「どどどどうなったんですか!? 」


「彼女。今オックスフォード大学で気鋭の数学者として活躍してるよ…………」


 ええええええー!?

 その子すごいってかサトル何? アイツなんなの!?


「それで3人目の生徒が」


 ゴクリ。


「鏑木紫陽」


 ◇


 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?わたしぃぃぃぃぃぃ!?


 1人目が『卒論1500枚のナイアガラの滝で自殺』で2人目が『緘黙症かんもくしょうのオックスフォード』で3人目がわっ私ーー!?


「鏑木紫陽っていうのはおっかしな子でねぇ」ここで初めてタカハシの顔がほころんだ。クスクス笑ってる。


「入学初日に俺のことを『蝉丸』って言ったのがまずケッサクだったんだけど」


 カブラギは身が縮む思いだった。確かにいきなり教師を捕まえて『蝉丸』はなかったのではないだろうか。


「大人しくてひっそり図書室で本を読むような印象に残らない子なんだけど。体育館でいきなり泣き出すとか。とにかく振り回されて」


 困った、困ったと言うわりには楽しそうだった。


「進路指導のときも『同機社大に入りますっ。卒業後は国語教師になり、この学校に赴任して高橋先生と同じ教壇に立ちますっ』」


 言いました、言いました。穴があったら入りたい。


「いや、なんで俺と同じ教壇に立つのかとは思ったんだけど」もうタカハシは笑っちゃってた。


「まあ別に実現不可能な夢でもないから放置しちゃったよ」


 それどころか『俺の同僚になってくれるってこと? 楽しみにしてるよ』と微笑んでくれたのだった。


 ちなみに『同僚どころか嫁になってやりますよ』とニヤリとしていたのだがそれは内緒だ。


「その子3年の時に演劇部で主役になってねぇ」タカハシが遠い目をした。


「なぜか登場人物の愛読書を『赤と黒』にするって言い出して」


 ◇


「そんなの台本に1行も書いてないし。そもそも『中村烈の冒険』っていうのは中村烈って子が家出して。道中不思議な猫とか、孫を亡くしたおばあさんに会うとかして自分を反省し家に帰るってだけの話なんだよ。『赤と黒』関係ないよね?」


 ないですね。全く。


「発想が突飛なんだよ……。まあいつも突飛なんだけど」


 カブラギは気持ちのやり場に困って甘酒をゴクゴク飲んだ。急に体があったまって『ポワッ』とした。


「実はあの頃、俺は結婚しようとした人にフラれてどん底だったんだ」


 カブラギは立ち上がった!


「ええええっ。せせせせせ先生彼女いたんですかっっ」


「いましたよ。カブラギが入学した年の6月から2年の3月までいました」


「はぁぁぁぁぁ!? 私ってものがありながら、付き合ってた人がいたってことですかっ!?」

「いや。お前そもそもそのとき単なる生徒だから」


 ガーン。ガーン。ガーン!!


「ひっ人が片恋に切なくて『みだれ髪』読んで『はぁ〜♡』ってなってたときに恋人とイチャイチャしてたってことかっっ!!!」


「勝手に『はぁ〜♡』ってなってただけだろうが。俺は関係ない」


「イッイチャイチャしてのかよっ!?」


「………………してました」


 カブラギはガックリきた。可哀想に思ったのか『みたらし団子』を買ってくれた。


「それで。その鏑木紫陽って子のために『赤と黒』について調べていくうちなんだか癒されてきてね」


 ◇


 自分は大学院に進みたかったが進めなかったのだとタカハシは言った。


 本当は、文学について調べたり、考えたり、討議したりするのが好きなのに、教職が忙しくてそれも叶わなくなった。


 しかしカブラギのために『赤と黒』を調べるうちあの頃の感覚がよみがえってきた。


「その鏑木って子の発想が面白いんだよ。なるほど『赤と黒』ってそういう見方ができるのかと思って。この子に学生時代に出会いたかったなぁって思った。大学で一緒に文学について一晩中でも話していたかった」


 タカハシは足元を見ながらかすかに笑った。


「コンクールが終わってしまってさみしかったよ」


 思えば、入学式で声をかけたあの日からどこにいても鏑木紫陽という子を見つけてしまうのだった。


 彼女が友達と2人でいる時も、4人の時も、20人のときも、200人の中にいるときも。


「なぜか必ずカブラギを目で追ってしまうんだ。それで『ああ俺この子お気に入りなんだなぁ』って思って」


 俺はこの子が好きなんだなぁってそう思っていたよ。

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[一言] うぉっほほほほほほほ…… タカハシくん、素直でよろしい!(謎のウエメセ)
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