第10話 あなたが好きなんですあなたのことが知りたいんです
「違和感?」ふふっとタカハシが笑った「『得体が知れない』?」
「『得体が知れない鬼太郎』ってあだ名知ってるんですね」
「知ってる。嬉しくはない」
カブラギはいきなりタカハシの前髪をかき上げた。いつもは見えないタカハシの両の目がすっかり見えた。戸惑っている。
「綺麗な目です」
「ただの目だよ」
「隠す必要なんかない」
タカハシは黙った。
「先生。女生徒たちが『得体が知れない』って思うのはわけがあるんですよ。先生はどうも自分について語りたがらないですよね? あの学校には久保悟っていう、相当トリッキーな人がいるから目立たないだけで、先生自体何か変ですよ。前髪をわざわざその長さに指定して切ってるなんて変です。美容師さん変わるたび戸惑われませんか? 『前髪本当にその長さでよろしいのですか? 邪魔ではありませんか?』って」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「あなたが好きなんですっ」カブラギは噛み付くように言った「知りたいんですっ。好きだから!」
そう。タカハシの『そんなこと聞いてどうするの』はタカハシと距離のあるやつを黙らせることはできるが、カブラギのようにタカハシが好きな人間の前には虚しく崩れ落ちるのだ。
『そんなこと聞いてどうするの』
『好きだから知りたい』
終わり、だ。
「『先生』と言えば有名な人、いますね。夏目漱石の『こころ』の『先生』ですよ。タカハシ先生見てると彼を思い出すんです。本当に隠しているのはなんなんですか?」
タカハシは。カブラギに両眼を見られたまま黙ってアイスコーヒーをストローで飲んだ。
『ザーッ』『ピシャピシャ』という噴水の音だけがした。時間が経つと水の勢いがが小さくなったり大きくなったり変化する。蝉の声は遠くて噴水周りのコンクリートは乾いていた。
この人、本当はまつ毛が長くて端正な顔立ちなのに髪の毛に気を取られてみんな気づかない。
「目を隠しているわけではないんだ」
じゃあ何を。
「隠しているわけじゃあなくて。世界を半分しか見ないようにしているんだ」
◇
「半分しか見ないようにしている?」
なんだそれは。
タカハシはカブラギの右手を取った。音もなくタカハシの片目が見えなくなった。またタカハシが見えなくなってしまった。
タカハシがニッコリした。
「世界はね。『半分見える』くらいでちょうどいいんだよ」
◇
クレープからこぼれ落ちた生クリームが、ベンチの下にたまっていた。アリが次から次へとやってきてカブラギの靴を器用に避けて進んだ。7月の強い日差しの下では黒い姿が葬列に見える。
甘いか。アリ。生クリームは甘いか。
カブラギはなんとかしようと思った。変な空気になってしまった。自分のせいである。コレヤの秘密を暴こうとしたからである。そういえば、『こころ』の『先生』は最後どうなったんだっけ?
「な……なななな中原中也に似ているっ」
「なかはらちゅうや? 詩人の?」
タカハシが何も無かったかのように笑ってくれた。
「両眼だとやっぱり似てますよ! 私昔図書室で写真見たことあるんですよ! あの黒い帽子を被っている有名なやつじゃなくてっ。香港スターのブロマイドみたいなやつがあるんですっ。30歳くらいのっ。中学生くらいの写真も見ましたけどすっごいイケメンなんですよっ。あれに似ているっ」
ふふっ。「中也にねぇ」とタカハシが笑った。
「あ! でも在校時のときの方が似てましたっ。今少し感じ変わりましたよね!?」
「だろうね」
「だろうね?」
「中原中也は30歳で死んでるからねぇ。俺が今37歳だから中也とどんどん歳が離れているってことだよ。カブラギはその写真載ってる本は借りたの?」
「…………いえ。写真見ただけです」
「そう。じゃあ知らなくても仕方ないね」
やべぇ。早世した人間に『似てる』とかいっちゃったのか。井伏鱒二くらい長生きしたのかと思ってた。死因が『自殺』じゃありませんように!(文豪あるある)
「こっっ子供ですけど」
「子供?」
「私と先生の子供ですけど。『文也』でどうですか!?」
「ええ?」タカハシが戸惑ったように笑った。トートツだな。カブラギよ。ほんとーにトートツな女だな。
「先生『也』がつくしっ。子供中原中也みたいなイケメンに生まれてジャニーズ? ジャニーズとか入って欲しいしっ。国語の先生だし『文也』ってことでっ」
ああ〜。もう〜。失言〜。失言をなんとかごまかしたい〜。
カブラギはご陽気なことを言ってこの空気をなんとかしようとしたのである。さらに沼にはまっているようしか見えないが。
ぎゅうっと手を握られてカブラギは驚いた。あんなに望んでいた『タカハシの美しい繊細な手に触れられたい』という願いが突然叶って驚いた。
タカハシは笑っている。
「それはダメ」
「え……? なんでですか?」
「どうしても」
会話は終わってしまった。
◇
終わってしまったが『怒っている』ということではないようだった。
「帰ろうか」と言ってそのまま手を繋いでくれたからだ。
夢のようだった。
在校時来る日も、来る日もチョークを握るタカハシの手を見て『あの指に触れられたらどんなにいいだろう』と思い続けたのだった。
触れてみるとやはり繊細な美しい指で、少し冷たかった。
しかし思ってたのと違ったのはどうも『恋人同士のラブラブ散歩』というよりは『保護者に連れられた小学生』的雰囲気が漂ってしまっていたことだ。
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お父さんにデパートのおくじょうであそんでもらってクレープ食べてかえりましたー。
2年1組 かぶらぎしよう
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的な何かである。
『くっくそっ』と思って思い切り握り返したが、タカハシは「カブラギー。どうしたー?」とやはりニコニコと『お父さん的スマイル』を崩さなかった。
あっという間に地下鉄入り口についてしまったではないか! 早いわ!
タカハシにパッと手を離された。
「気をつけて帰りなさい」
「せっ先生は?」
「俺はまだ用事があるから」
嘘だね。カブラギに『自宅最寄り駅』を知られたくないに違いない。そのまま一切ニコニコ顔を崩さないで『バイバイ』の形に手を振られた。
コイツ。このまま全てを『ナシ』にしようとしている。
「かっ帰る前に次の『ミッション』出してくださいよっ」
「『ミッション』はありません」
「じゃあ次はいつ会ってくれるんですかっ」
「会いません」
終わりだった。




