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92.平淡


 誰かにとって、世界が変わる様な一日だったとして。これまでの価値観を覆す何かが起こったとして。

 日は沈むし太陽は昇る。一日は二十四時間で、お腹は空くし眠りたくもなる。誰かの何かが変わっても、世界は変わらず周り日常は流れる。きっと昨日までヴィオレットが過ごした日々の中にも、誰かにとっての天変地異があったはずだ。眠り起きて食べて動いてまた眠る時間のどこにでも、変化は転がっているのだと。


「ヴィオレット様、おはようございます」


「……おはよう、マリン」


 ヴィオレットの世界が様変わりしても、当たり前の今日が来る様に。


 心の変化が、五感に影響を与える事はある。気持ちの問題だというのは、きっとそういう意味でもあるのだと思う。同じ器に詰まっているのだから、密接している部分はあるだろう。

 恋をした途端、相手が一層素晴らしい人に思えたりだとか。切っ掛けは一つだったのに、気が付くとまつわる全てが不快に思えたりだとか。


 恋を自覚したヴィオレットの目には、いつもと変わらず当たり前の世界が映っている。


 どこかで読んだ恋愛小説の様に、鮮やかさが増す事も無く。ユランが居ないからといって、暗雲に覆われる事も無く。ただそこにあるものをそのまま受け取るだけの、何ら変哲のない視界。穏やかではあるけれど、欠片の憂いも存在しない景色ではない。

 平坦、平常。昨日の朝と同じ、また一日が始まったのだと、最早慣れきってしまった重量感があるだけ。


「……今日は」


「ん……?」


 着替えを持ってこちらを見るマリンが、口ごもる様に、でも僅かに微笑んで。

 

「ユラン様と、お話し出来るといいですね」


「────」


 何も変わらない。世界は今日も、ヴィオレットに優しくはない。誰にも、何処にも、変化なんてない。見る人が、その心が、変わった様に見せるだけ。勝手に、自己中心的に、思い違うだけ。

 だからこれは、ヴィオレットだけの世界。


「……えぇ、そうね」


 彼を思い浮かべただけで、ほんの少しだけ、世界が柔らかく見えたのは。


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