気付いた人
広場にはあまり人気がなかった。市場に人は多かったから、今は買い物の時間帯なんだろう。近くのベンチに二人並んで腰を下ろすと、リツはさっき買ったばかりの包みを雑に開いた。ふわりと甘い香りが漂ったと思ったら、あっという間に空気に溶けて消えていく。
「甘いの平気ですか?」
「はい。あまり食べませんが、好きですよ」
「ではどうぞ。折角ですし、一緒に食べましょう」
真っ赤な一粒は、一見するとお菓子よりも石ころの様だと思った。マリンは昔からこの店を知っているが、食べるのは十数年ぶりの三回目。教会で暮らしたいた時は誕生日に食べられたらラッキーなくらいだったし、家なき子時代は当然そんな余裕は無かった。今ではシスイが作るおやつを味見するのにも慣れたけれど、働き始めた頃は味の違いなんてよく分からなくて、どれも砂糖の塊くらいに思っていたくらいだ。
「ん……意外と甘過ぎない」
「この国では苺味なんですね。俺の国だと、赤いプラリーヌは薔薇で着色されてるだけで、味は普通のチョコなんですけど」
甘さの中にほんのり酸味があって、ナッツの食感も小気味良い。進められるまま一つ二つと手が伸びてしまう。味が特別良い訳では無いけれど、素朴で飽きない所が謎の中毒性を生んでいるのだろうか。
「甘いもの、お好きだったんですね」
共に食事する機会は幾度もあったが、デザートを頼んでいる姿は見た事がない。それはリツの方も同じではある。しかしマリンはたまにコーヒーに砂糖とミルクを入れる事もあったが、リツはそれすらなかった。
だから勝手に甘い物は好きではないのだろうと思っていたのだが。
「好き……って言うと、少し違いますね」
赤い丸が三つ、リツの口の中に消えていく。一つを犬歯で噛み砕きながら、首を傾げて言葉を探す様に視線を上へと向けた。
「嫌いではないですけど、金払って食う事はほとんどしないですね。腹膨れないですし。ただ何というか……つい買っちゃうんですよ、昔から」
もう一つ、真っ赤なプラリーヌを袋から摘まみ上げる。太陽を遮る様に持ち上げたリツの視界では、その赤がどう映っているのだろうか。
「俺、昔これを宝石だと思ってたんですよ。すげぇ綺麗な赤だから、めちゃくちゃ価値があるんだって信じてて」
リツの頭には、みすぼらしい小さな少年がいる。まだロゼットと出会う前の、ドブネズミの隣で眠っていた頃の己だ。痛みしか与えない両親から逃げて、食べるも寝るも満足に出来ない様な生活の中、いつの間にか生まれた国の外に居た。国境を跨いでいたのだと知ったのは、ぶっ倒れている所をロゼットに拾われた時だ。
そこから何やら色々な手続きを経て、気付くとリトスの国民になっていた。
まともに喋る事すら出来なかった頃は想像もしなかったが、この職に就いたリツには分かる。勝手に国境を越えた異国の少年を迎え入れる事が、どれ程大変で手間のかかる事なのか。
国が経営する孤児院で衣食住を与えられ、お転婆なお姫様の虫取りだ探検だに連れまわされ。普通の、当たり前の、日常を過ごす内に。このお姫様の為に生きて死のうと思うのは、あまりに自然な流れだった。
「姫様から頂いた時初めて、これ食いもんだったんだなーって知りました」
儚げな深窓の令嬢に見えて、中身はそこいらを駆け回る子供と変わらないリツの主は、貰ったお菓子をよくリツや孤児院の子供達に分け与えていた。
甘い物が苦手なロゼットには消費出来ないお菓子の山の中に、綺麗な赤い実を見付けて、手を伸ばした日を思い出す。口に含んだ甘さも、歯で簡単に砕ける柔さも、宝石とは似ても似つかないのに。見掛けるとあの日と同じ様に手を伸ばしてしまう。
「マリンさんと初めて会った時、何処かで見た事がある気がしてたんですけど……これですね、この赤色」
指の間でつままれた赤が揺れる。その度に太陽の光が顔を出して、より美しく見える。
リツが宝石の様だと思った、何より価値のある物だと思った。お菓子だったと知っても、その評価が変わる訳では無い。宝石だと思っていたものが、宝石の様に美しいお菓子だっただけだ。
「ほら──同じ色してる」
マリンの鼻先に近付く赤と、日に焼けた指先。その向こうでは幼さよりも凛々しさを感じさせる表情のリツがいる。
心臓の裏を羽で撫でる様な感覚はくすぐったくて身を捩りたくなるけれど、何故そんな気持ちになるのかは知りたくなかった。頭の片隅でこちらを睨むのは、メイド服を着た己だ。
この服を脱げない自分は、それを知るべきではないのだと。




