親近感
人生を振り返るにはまだまだ先は長い気もするけれど、きっとこの先百年生きたとしても、走馬灯に見るのはヴィオレットに初めて出会ったあの瞬間だ。今だって目を閉じれば瞼の裏に描き出せる、美しい人の姿。優しい思い出ばかりではないけれど、それでも今の幸せに繋がったのなら大切な記憶に違いはない。
考えるだけで笑みが浮かぶ。そんな人のそばで生涯を終えられるなら、やっぱりこれ以上に望むべきではないのかも知れない。
「……その気持ちは、俺にも覚えがありますね」
ポツリと落ちた声は、確かにリツのものだった。カップに隠れて口元は見えないが、伏せられた目元が柔らかく思えるのは、マリンの思い違いだろうか。何処か既視感を感じるその声、瞳──そうまるで、ヴィオレットを想うマリンの様な。
「俺も似た様なものです。両親から逃げて、運よく姫様に拾われ、国を跨いでも傍に置いて貰って……」
信愛、忠誠、信仰。キラキラ眩い感情の全てを貰った。傾倒していると言っても、きっと間違いではない。貴方の為なら死んでも良いのだと、そんな自分が誇らしいのだと、胸を張れる。
「あの人を護る為に、俺は生まれて来た」
柔らかい眼差しが一変して、まだ見ぬ敵を切り裂く様に反射する。同じ様な目をする人を、マリンは知っている。ヴァーハンの家の鏡にはそんな目をした女がよくこちらを睨んでいた。何故動かない、何故守らない。こちらを責め立てる様に。
あの眼差しがこちらを睨みつける事はもうないのだろうけど、その幸せに身を委ねて忘れる訳には行かない過去。
「私達は幸せですね」
「え……」
「命よりも大切に想える相手に出会えた、こんな幸福はありません」
さっきまで幾つもの硝子に隔たれてぼやけていた輪郭が、少しだけ鮮明になった気がした。名前と職業しか知らない事に変わりはないのに、彼の心に指先が一瞬掠めた様な、そしてその熱が自分の物とよく似ていた様な。そういう、親近感。
「そう、ですね……俺は幸せです、凄く」
そう言いつつも、リツの表情は複雑そうで。居心地が悪い……いや、戸惑っているのか。
「この話をして、そんな風に言われたのは初めてです。大抵は大変だったと慰められたり……危ういと、窘められたり」
それはマリンにも覚えがある言葉達だ。幼いマリンに同情した者は哀れんだし、成長するマリンの思想を恐れた者は、深入りするなと咎めた。結局一度も聞き入れはしなかったが、
今思うと、彼らは決して間違った事を言ってはいなかった。
マリンやリツの生い立ちは確かに哀れみを誘うし、一人の人間を神格化し崇め奉るのは、あまりにも危険だ。ただそれと個人の幸せは別の話だった、というだけで。
「一般的に見ればそうなのかもしれませんね。でも、仕方がないじゃないですか。私達……もうこれ無くして生きてはいけませんし」
「その通りではありますが、意外ですね。もっと繊細というか、潔癖な方なのかと」
「ヴィオレット様に関してであれば、それで間違ってはいません。ただ私自身で言えば繊細とは真逆な性質だと思っています」
「そうなんですか?」
「少なくとも、潔癖とは無縁ですね。必要なら野宿くらい余裕です」
「それもそれでどうかと思いますよ」




