気まずさと誠意
感動の再会や和解の瞬間は、ここで過ごす長くない日々の中で何度も目にしてきた。知らぬ間に施設に入っていた親戚と抱き合う人。教会の前に捨てた赤子を取りに戻る母親。置き去りにした幼子を月日を経て迎えに来た両親。その全てを、まるで素敵な光景とでも言いたげに見つめる大人達。
もしマリンの両親が迎えに来たら、同じ様に笑って許しを与えるんだろう。それが、マリンの幸せだと信じ切って。
「もうここには来ません。連絡もしません。シスターもそうして下さい。両親の事も教えて頂かなくて結構です。知りたいとも思いませんし、私には不必要な方たちですから」
産みの親への盲目的な神格化は、善性を尊ぶ彼女達らしい。罪を憎んで人を憎まずなんて綺麗事は、第三者が勝手に掲げていればいい。何故被害者自身まで、殴って来た手を優しく包まねばならぬのか。
血の繋がった家族、両親。もしかしたら出来ているかもしれない弟妹。輪郭の無い団欒に縋る日は過ぎた。教会から去って行く両親の背に泣いたあの日から、マリンはもう誰の娘でもない。
「マリンちゃん……」
「突然、失礼しました。さようなら」
かつての小さな世界に背を向けて、最愛の主の許へ帰ろうと歩を進める。マリンの覚悟がどれ程伝わったかは分からない。もしかしたら少しも伝わっていないのかもしれないが、どちらでも構わなかった。決別は果たされて、マリンがここに戻ることは無い。
ずっと捨てたかった、でも捨てるのが怖かった。どんなに煩わしい思い出も、マリンと言う人間を構成する大切な要素ではあったから。アイデンティティを削り取る行為はどんなに痛いだろうと、怖くて不安で、踏ん切りがつかなくて──いざ蓋を開けてみれば、少しの喪失感と、それを上回る爽快感で足取りすらも軽く感じる。
自宅に着くまで、置いて来てしまった知り合いの存在をすっかり忘れていた。
「はー……」
「すげぇ溜息」
「自分の集中力に感嘆しております……」
「発言と姿勢が真逆」
大きな片手鍋を軽々と振るシスイの前に座り、机の上で組んだ手に額を預けた。何処からどう見ても項垂れている。
休日らしく私服姿のマリンとは違い、いつものコックコートに身を包んだシスイは心配よりも呆れが勝って来たらしい。帰宅してからずっとこうしているのだから仕方がないかもしれないが、こちらだって当たり前の様にキッチンで動き回っているシスイに溜息でも零したい所だ。確か今日は彼も休みを貰っていたはずなのだが。
「休日返上はヴィオレット様に叱られますよ」
「自宅でやる分には誰にも口出させねぇよ」
ここはユランがシスイに割り当てた部屋……一軒家。シスイのプライベートスペースな訳で、確かに誰に文句を言われる筋合いはない。というか、ユランが文句を言うのも面倒になってこの家を用意したのだ。ヴィオレットが心配するから視界外でやれ、と。
「それにマリも人の事言えないだろ。折角街に出たってのに、こんな早く帰ってきて」
「……元から長居するつもりはありませんでしたから」
人里離れたクグルス邸は、何処に行くにも時間が掛かる。休みになれば大抵の者が早くに出て遅くに帰るくらいに、周辺には自然しかない。喧騒から隔絶された小さな世界。友人と呼べる相手も居ないし、行きたい場所も会いたい者もない。
そして今日、唯一あった外での縁を断ち切って来た。
「はぁぁぁ……」
そんな場面を、赤の他人以上知り合い未満の様な相手の前で繰り広げ、あまつさえ置いてきぼりにするなんて。自分が彼の立場だったら嫌悪を越えて呆れてしまうだろう。マリンの知り合いだと思われてシスターに絡まれていたら目も当てられない。
誠心誠意謝罪する気持ちは当然として、問題はその機会がいつあるか。
連絡先も知らず、唯一確実な方法はお互い仕事中。しかも向こうは次期王妃の護衛として気を張っている状態だ。こんな個人的な会話が出来るとは思えない。
「うぐぐぐ……」
「人の家にわざわざ呻きに来たのか?」
「苦渋の決断です……」
「人ん家で何してんだ」




