そして恋となった愛の話
キャラキャラと笑う声が聞こえる。仕事に追われていた父と、久しぶりに太陽の下で遊べる事が嬉しくてたまらないらしかった。芝生に座っているクローディアの周りをくるくると走り回っている。さっきまで絵本を読んでもらっていたはずだが、他に興味が移ってしまったらしい。それでも読むのを止めると、読んで! とせがんで来るので、絵本は開いたままクローディアの膝の上で再開の時を待っている。
ロゼットは少し離れたガーデンパラソルの下、その光景を眺めていた。
普段は母である自分にべったりで、どこ行くにもついてくる雛鳥。クローディアにべったり甘えている姿はきっと、いつも使用人達が見ているロゼットの姿なのだろう。国を背負う為に昼夜問わず忙しなく働いている父を、息子はよく慕っている。寂しい想いをさせない様にと頑張ってはいるが、母の変わりが居ない様に父を補う存在も居ない。
「かーさまー!」
「はーい! ちゃんと見ていますよ」
ブンブンと両手を振り回す我が子に手を振り返す。ロゼットからの返事が嬉しかったのか、クローディアの腕に抱き着いて何かを一生懸命伝えていた。まだそれほど多くは話せないし、ちゃんとした文章にもなっていない。両親共に意味が分からず首を傾げてしまう事だってあるけれど、それでも少ない言葉の引き出しを駆使して、時には身振り手振りも交えて何かを伝えようとするラディアは可愛い。
クローディアもきっと同じ事を思っているんだろう。
キラキラした目で楽しそうに話すラディアとは違い、クローディアは少し困った様子で。何とかラディアの言葉を理解したいけれど、出来なくてどうすれば良いか分からない、といった所か。子の言葉に耳を傾けるのは素晴らしいけれど、真剣に考える程ドツボにハマってしまうものだ。結局、ラディアの気が済んでクローディアの膝を陣地にした所で、クローディアも考えるのを止めたらしい。小さな溜息を一つ、自分と同じ金色の髪を優しく撫でた。
──あぁ、幸せだ。
すとんと、心の在るべき場所に収まった気がした。
ロゼットによく似た面差しの息子を膝に抱え、優しい声で読み聞かせる夫。絵を指差して柔らかな頬を揺らすラディアと、その度にきちんと頷くクローディア。その光景そのものが絵本の一ページに刻まれそうな、美しく優しい世界。
それをただ美しいと眺めるのではなく、幸福に胸を膨らませる。それがロゼットにとっての愛であり、恋だった。
独占したいと閉じ込めるのではない。全てを賭けて尽くすでもない。何より優先する事だってないし、彼よりも大切な物があり、クローディアにもロゼットより大切な物がある。それでも心を寄せ、共に生きる。病める時も健やかなる時も、顔も見たくないと拒絶する時があっても、この先の人生をクローディアの妻として生きていく。
ロゼットにとっての恋は、その覚悟の名前だった。
「ふふっ」
拍子抜けして、思わず笑ってしまった。親友の夫の様に、敬虔な信徒の様に全てを捧げる恋情とは、似ても似つかない姿形に。
一生縁遠いと思っていたそれは、思っていたよりもずっと傍にあったらしい。
「かーさま?」
「ロゼ、風が出て来たからそろそろ中へ」
クローディアの腕に抱えられたラディアが、一人微笑んでいるロゼットに首を傾げていた。日が傾き始めて、肌を撫でる空気も冷たくなってきたから、絵本の朗読会は中断したらしい。
「そうね……お夕飯まではまだ時間があるかしら」
「用意を始めた頃じゃないか? ラディアが新しいのを読んで欲しいと」
「あら……もうほとんど読んでしまったんじゃなかった? あなたが使っていたのは、別の邸宅に置いて来てしまったし」
「夕飯までは起きていて欲しいんだが……」
「無理な気がするわね」
既にクローディアの肩に頭を預けてしまっているし、目も閉じかけ始めている。今眠られては夕飯が遅れてしまうし、それに伴って入浴から就寝までズレて来るだろう。生活リズムを一定にするのが理想だが、子供はそう理想通りに動いてはくれない。
「久しぶりの父様で嬉しかったのよ。少し休ませましょう」
「……そうだな。もう少し時間が取れれば良いんだが」
「仕方がないわ。むしろこの時期に一日お休みなんて、無理をしたでしょう」
「優秀な部下が多くて助かっているよ」
「それはそれで、ヴィオ様の所にご迷惑をかけていないか心配になってしまうわ」
「ユランが彼女より俺を優先するはずないだろう」
「それもそうですね。特に今は大切な時期ですし」
私の親友は、彼がかつて恋をした人。私の夫は、私の親友がかつて恋をしていたらしい人。そしてヴィオレットは、彼の異母弟と結ばれた。
その全てを恋心と呼ぶけれど、一つとして同じ想いは無い。クローディアは恋よりも国を優先し、ユランは世界よりもヴィオレットを尊び、ヴィオレットはユランの箱庭に飛び込んで行った。そしてロゼットの恋は、家族の形をして漸く名を持つ気持ちだった。
「時間になったら俺が起こすから、ロゼも休むと良い。毎日ラディアの相手をして疲れているだろう」
「あら、私としては毎日仕事で寝る間も惜しんでいる旦那様にこそ休んで頂きたいのだけれど」
「仕事は君もしているじゃないか」
「偶の公務を数時間だもの。お休みだって頂いてるわ」
「休みは俺も取っているよ。今日だって」
「ラディアのお相手はお仕事より大変だわ」
「それは……そうだな」
幼子に振り回されるのは、仕事で大人相手に腹を探り合うそれとまた違った疲労感がある。体力気力共に自分よりも旺盛な子供は、手加減なしでこちらの活力を削ぎに来るのだ。絵本を読んでいたはずが蝶々を追いかけ、と思ったら雑草を積んでは巻いてを繰り返し、前触れもなく電池切れを起こしてクローディアの腕の中。可愛いと疲れるは同時に抱えられる感情だ。
「でも久しぶりにこうして時間が取れて良かった。ラディアに父様の事を忘れられていたら悲しい」
「ふふ、大丈夫よ。ラディアの父様好きは皆知っているわ」
「それは嬉しいけど、子の成長はあっという間と聞く。出来るだけ見ておきたい。老後に懐かしめる思い出は多い方が良いだろう?」
「気が早すぎないかしら? そんなだからミラ様にお爺さんみたいだって言われるの」
「へぇ、あいつそんな事を言っていたのか。俺にはロゼと似てきたって言ってたけど」
遠い未来、王と王妃を離れた私達は、どうなっているのか。
広い庭の片隅で、紅茶を片手に子の幼少期を懐かしむ──そんな光景が当たり前に想像出来る事が、この恋を証明している。そんな気がした。




