まだ恋に育たない関係の話
共に過ごす時間は圧倒的に増えたが、それがイコールして愛に通じるかと言えばそう簡単でもない。会えない時間が恋を燃え上がらせる事があるように結局は当人の心の持ちようだ。そしてクローディアとロゼットの間にあるのは、恋心よりも仕事仲間への情である。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
何かの書面に視線を落としたまま、こちらを見る事もなく感謝の言葉だけを述べる姿を、この数ヶ月で何度見た事か。初めこそ失礼な態度だと不快感を抱いたりもしたけれど、今となっては、顔を上げる暇すらない程に忙しいのだと理解している。
王子様の婚約。表面だけ見ると、おとぎ話のようなキラキラした世界を想像させるけれど、実際に経験するとそんなのはハリボテでしかない。民に見せる笑顔の下で、泥臭いバタ足を絶えず繰り返している。特にクローディアの伴侶は隣国の姫君で、分担出来る事にも限りがあったから。挨拶周り以外の雑務のほぼ全てがクローディアの肩に圧し掛かっている状況だ。
お手伝いをと申し出ても、まだ籍を入れていない状態では機密に触れさせられないとかなんとか。お古い考えで大事な王子様の顔色も窺えない者達がロゼットの邪魔をしていた。そしてクローディア自身も、ロゼットに何かを任せる気はないらしい。こちらはロゼットがまだ学生で、学業を優先させるべきと言う配慮だけれど。どちらにしても何と非効率なと思うのは、ロゼットがこの国で生まれ育った訳では無いからだろうか。
「俺はまだ掛かるが」
「えぇ、これを頂いたら戻ります」
「あぁ、おやすみ」
この数ヶ月ですっかり定位置になったソファに腰を下ろして、感情の削がれた横顔を眺める。金色の長い髪は乱雑に耳に掛けられて、表情の無い王子様は、美しいからこそ作り物みたいだ。血色が悪いから余計にそう思うのかもしれない。
王子様という存在は、ロゼットにとって馴染み深いものだ。自身が姫であり、双子の兄が居る。二人はいつもロゼットを可愛がって、甘く優しい笑顔で迎えていた。それこそ、おとぎ話の王子様そのままに。裏側の苦労を、滲ませる事なく。
クローディアを見ていると、王子様とは一体何なのだろうかと、考える事がある。
将来の約束されたエリート。何不自由ない生活。決められた道を進み、ゆくゆくは国の全てを背負う王となる。恋心すら、己の意思で向けられない。それは王妃となる自分も同じだが、国の顔としてその一挙手一投足に善しを求められるのは彼の方だ。支えると言っても、結局はクローディアの背中越しであるロゼット。それはあまりに大きな差ではないか。少なくともロゼットは寝る間も惜しんで書類に目を通す事はない。
クローディアのついでに淹れた自分用のコーヒーに口をつける。砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒー。きっと用意を頼んだ人には、こちらがクローディアの分だと思っただろう。優しい甘さのカフェオレを片手に眉間を寄せているクローディアは、ロゼットの味覚も趣味も知っている。蛇の鱗を美しいと眺める女を何の疑問も持たずに受け入れて、飼育出来る住居まで候補に挙げてくれた。俺は好きでも嫌いでもないから、ロゼットが好きなら合わせると。
(優しい……けれど)
優しいだけではダメだ。善性だけでは、ダメなのだ。夢物語に紡ぐだけなら美しくとも、現実に国を導く者ならば、奸智にも長けていなければ。勿論クローディアとて無知無垢な坊やではないだろうけれど。謀略に関しては、彼の友人や、縁深い後輩の方が優秀だろう。逆に彼らにはクローディアほどの正義感や国への献身はない。
適材適所と言われればそうだろう。そしてそれはロゼットも。クローディアの妻には、ロゼットが適当とされたように。
彼の心にいる人――我が美しき親友が、不充分とされたように。




