beloved loss
初めて見た時から好きだった。この人と結ばれる為に生まれたんだと直感した。
氷柱の様に伸びた背筋と、鋭い眼差し。遠目に見ても美しい男。私だけでなく、会場中の女が欲の孕んだ視線を向けている。存在感が違った。周囲の全てが彼を際立たせる為にいる様に、一人だけが鮮明だった。
彼が欲しい。いや、彼は私のものだ。
私はこの人の為に生まれてきたのだから。彼も、そうであるべきだ。
× × × ×
父は、国を為に生まれ、国の為に生き、国の為に死ぬ、自らにそう運命付けた人だった。彼が愛しているのは国だけで、国の為に母を選び、私を作った人だった。彼は国の僕であり、厄介にも、貴族は皆そうであるべきだと信じている人だった。
母はそんな父を尊敬していたらしいけれど、権力と財力しか取り柄の無かった父を生涯愛せる者は、それこそ父と同じ国の信者だけだ。愛すれば愛されたいと思うのは当然で、絶対にこちらを振り返る事の無い父と母の夫婦仲が破綻するのはあまりにも当然すぎる結末で、物語だったら駄作の烙印を押されている。
当然の様に愛人を連れ込む母と、国にしか興味の無い父。私を育てたのは沢山いる使用人の誰かで、毎日代わる代わる誰かが世話をしていた気がする。今日はお姉さん、今日はおじさん、今日はまた別のおじさん。幼い私は執事服とメイド服が両親なのだと勘違いしていた。間違ってパパママと呼んだ人もいた気がする、顔も覚えていないけれど。
父は嫌いじゃないし、母も嫌いじゃない。有り余る金で好き勝手に過ごせた。それが己の実力ではない事くらい知っていたが、彼らに育まれずとも不自由せずに生きて来られたから。時折感じていた寂しさだって、お金をばらまけばいとも容易く埋まる。両親でも埋められたかもしれないが、彼らがいないのだから仕方がない。
欲しい物は知らぬ間に掌にあった。求めずとも与えられた。そういう風に生まれたし、そういう風に育った。愛してと言えば愛された。
「ねぇお父様、私、あの人が欲しいわ」
これで貴方は、私の物。
× × × ×
美しい男の名は、オールドと言った。名前まで美しい。近くで見る瞳は一層鋭く磨かれ、抜き身の刃を思わせる。触れたらこの皮膚を裂くのだろうか。その危うさが強さの様でまた惹かれる。
薄い灰色の髪と瞳。あぁ、色まで刃の様だ。誰も触れられない高潔な剣の様だ。美しい、美しい!
「これからよろしくね、オールド」
「……よろしく、お願い致します」
あぁ、手に入った。いや、戻ってきたのか。彼は私の物であるべきなのだから、私の元こそが在るべき場所。
しかし、まさか結婚出来るなんて。正直、彼が父を納得させるだけの人だとは思っていなかった。将来お父様が選んだ相手と結婚する覚悟はしていたし、オールドは愛人にするしかないだろうと思っていたのに。やっぱり、私達は結ばれるべき運命の相手なのだ。私達は、愛し合う為に生まれて来たのだ。世界がそれを祝福している!
貴方も私が好きよね。愛しているわよね。私もよ。あぁ、愛している。貴方だけが好き、貴方だけを愛してる。
貴方、だけを、愛しているの。
× × × ×
結婚式はどんなのにしようか、とってもとっても迷ったの。本当は二人切りでしたかった。だってこんなに素敵なあなたを、誰にも見せたくなかったんだもの。美しい人、愛しい人、誰もが貴方を好きになる。私が愛した人なのだから、当然、世界一素敵な男。
でも、それが許せない。私の為に生まれた貴方を、他の誰かが想うなんて。オールドを想って良いのは私だけなのに。私だけの、愛しい人なのに。この気持ちを、貴方は分かってくれるかしら。いいえ、きっと彼も同じ様に苦しい想いをしているはず。私はオールドしか愛していないし、彼だって私しか愛していないなんて分かっている。それでも渦巻く感情は、独占欲ってやつなのだろう。貴方に独占されるなら喜んで、私達がいれば、世界はそれで完璧だ。
でも貴方は父の跡を継いで、公爵家の当主となる人。色んな人に顔を見せて、これからの仕事を少しでもやり易くしなければ。国を支えた父の人脈は不足なく引き継がねば勿体ない。私だって父の子、きちんと弁えている。
でもね、父の娘であると同時に、貴方の妻だから。愛する人を独占したい気持ちがあるのだって、当然よね。
愛してるから、仕方ないわよね。
× × × ×
あぁやっぱり、彼への視線には熱がある。どいつもこいつも、私という運命を前にして、それでも卑しく彼へ手を伸ばそうとする。滑稽だわ。オールドは私の夫、私だけを愛しているのに。その視線、その想いに、意味なんてないのに。
えぇ、気持ちは理解出来るの。彼が美しいのも、魅力的なのも、私が誰より知っているんだから。でもね、とっても不快だわ。汚らわしい女の視線に、私の宝物が晒されているなんて。汚い汚い、汚い!
オールドは優しいから、とっても紳士的だから、振り払う事が出来ないのでしょう。女に恥を掻かせてはいけないと、どんなに気持ち悪くても笑顔で応じるしか出来ない。なんて素晴らしい人、なんて慈悲深い人。貴方のその優しさは美しいわ。
だから、私が。
× × × ×
オールドが怒る。もう止めろと、どうしてこんな事をするんだと。
優しい貴方は、自業自得で傷付く人にまで心を寄せる。
ええ、えぇ。変わらず美しい貴方。その優しさはとっても素敵、でもね、あの子達は理解していないの。貴方の優しさを隙として狙っているの。分かるでしょう、あの視線、あの声、あの態度。挨拶だなんて言い訳だわ。夫が居るからって油断しては駄目。どうか分かって。優しい貴方は、誰も傷付けたくないのでしょうけれど、目の前で泣く人を放っておけないのでしょうけれど、それは貴方の為にならないの。
ねぇ、どうか、分かって。
× × × ×
分かってない、分かってない、分かってない。どうして、分かってくれないの!
私の行動は全てオールドの為だと、どうして分ってくれないの。
貴方を守れるのは私だけだから。身の程を知らず貴方に想いを寄せるなんて真似、させてはいけない。貴方を想って良いのは私だけ、貴方が想って良いのも私だけ。だって運命なんだから。私達は、お互いだけを、愛さなければいけないの。
ねぇ、そうでしょう。
× × × ×
「誰といたの」
「仕事だ」
「嘘、本当は女の所にいたんでしょ!」
全部全部知っている。彼の傍に居る女の事。名前も容姿も年齢も、今日何処で何をして何を話して、笑い合っていた事。どうして、私は連れて行ってくれないのに、私ではない女を隣に立たせて笑えるなんて、そんなの可笑しい。貴方は私の運命、私達はお互いの為に生まれて来た。だから貴方は、私だけを愛してる、私だけを想ってる。優しいのも紳士的なのも、私だけが知っているべきでしょう。貴方の美しさは、私だけの。
ねぇ、愛してるって言ってよ。
× × × ×
ほらやっぱり、私達は運命。
× × × ×
腕に抱く重み、それだけで愛おしい。まだ目も開かぬ柔い存在は、私とオールドの愛の結晶だ。私達の愛が目に見える形でこの腕に舞い降りてくれた。なんて美しい、なんて素晴らしい。私達は愛し合っている。私の愛は通じている。私は間違っていなかった。
もしかしたら彼は、私の行動が、彼への不信から来るものだと思っていたのだろうか。想いを向けられたらそっちに行く様な男だと。だからあんなに怒って、やめろと声を荒げていたのか。あぁ、なんだ、そうか。己が愛を疑われたと、そう思っていたのか。違う。彼の私への愛を疑ったのではなく、彼を私から奪えると欠片でも思われる事が我慢ならなかったのだ。
互いに想い合うからこそ起きてしまった擦れ違い。私も言葉が足らなかった。愛しているからこその行動であるのだと、ちゃんと説明出来ていなかった。帰って来たら、話さなければ。
ほら、早く、帰ってきて。
× × × ×
オールドが帰って来ない。娘の名は父が付けた。母が枯らした菫を見て、これでいいだろうとヴィオレットになった。
丸い目も柔らかい髪も薄い灰色。オールドの昔の写真に瓜二つの顔がそこにあって、誰が見てもオールドの子だとすぐに分かる、美しい赤子。私達の愛の結晶。私が彼に愛されている証明。誰にも触らせない、私の宝物。これさえあれば、彼は私の元に帰って来る。私への愛を、私の愛を、思い出す。貴方は私を愛している、私だけを愛している。私しか、愛してはいけないのだと。
腕の中できゃらきゃらと笑う赤ん坊に、胸の奥が温かくなった。
あぁ、本当に、彼にそっくり。
× × × ×
オールドは帰って来ない。子が生まれのだと聞いた。
そんなはずない。だって彼は私を愛していて、私だけを愛していて。他の誰も愛してはいけないのに。私だけが想われる、私だけが想える人なのに。私達は運命なのに。
私だけが、私だけの、私の為に生まれて来た人なのに!
「おかーたま?」
まあるい目が、私を見る。薄い灰色。彼と同じ色。幼いオールドとよく似た、美しく愛らしい子供。似ている? いや、同じだ。彼と同じ顔、同じ髪、同じ目。あぁ、でも髪の長さが違う。切れば良いのか。呼び方も違う、それも変えればいい。そうすればこの子は、オールドと同じになる。
「……なぁんだ」
ここにいたのね、オールド。
× × × ×
オールドが帰って来た! 私の元に! 私の為に生まれてきてくれた!
まだ身体は小さいけれど、これから成長するわ。写真と何度見比べても待ったく同じ、知識は今から少しずつ、傷だってこれから作ればいい。大丈夫、見える所も見えない所も、私が全部覚えている。
あぁ素敵、素晴らしい。彼はやっぱり私だけの人。私だけを愛する為に生まれ直してくれたのだ。他の誰かを愛した過去をやり直してくれるのだ。なんて深い愛なのだろう。私も貴方を愛しているから、どれだけ時間が掛かっても待てるわ。間違ってお母様なんて呼んでも、何度だって教えてあげる。
さぁ、私を呼んで。
× × × ×
またオールドが居なくなってしまった。折角作り直していたのに、失敗した。彼は帰って来ない。彼がいないと食事も喉を通らない。ねぇ、だから会いに来て。貴方が居ないと、私は生きていけない。
貴方も、そうであるはずでしょう?
× × × ×
心臓がゆっくり止まっていくのが分かる。木枯らしに揺れる枝とそう変わらない腕は、もう自力で持ち上げる事すら億劫だ。誰かの声が聞こえる、オールドの物ではないからどうでも良い。彼はどこだ。どうしてここに居ないの。
愛しているの。貴方の為に生まれて来たの。私、貴方の為に生きて来たの。愛しているわ、心から、貴方以外誰もいらないわ。ねぇ、だから。
「……オ、ルド」
私を、愛して。




