第十四話 レモネード
込み上げる感情に、なんて名付けるのが正解なのか。泣きたい様な笑いたい様な、全身を預けて沈んでしまいたい衝動を、人はなんと呼ぶのだろう。堕落か依存か、妄執か。そういう病と、呼ばれるだろうか。
ヴィオレットにとって、この病こそが、真実の愛だ。
「後継ぎの事は、どうするの……?」
「分家があるんじゃないかなぁ? 俺は交流ないから知らないけど、もしいなかったら引き取れば良いよ。血筋は俺が入った時点で途絶えてるし」
「産んでも、愛せなかったら」
「代わりに愛してくれる人がいるよ」
「私、母親を知らないわ」
「奇遇だね、俺も」
「あの人みたい、なってしまうかも」
ぽろぽろと転がり落ちた水滴が手の甲で弾ける。一つ二つと、涙と共に噴き出した記憶は、どれも歪んだ女の顔。赤い赤い、赤い人。運命の糸と同じ色をした目に息の根を止められるかと思った。頬を撫でる手が、包み込む体温が、吐き気を催す程に気持ち悪くて。
ヴィオレットの知る家族の形は、親子は、母親は。
「大丈夫だよ」
頬を撫でる手の大きさも、少し低めの体温も、向けられる視線も。
面影が剥がれ、今目の前で笑う人を映し出す。鼻先が触れそうな距離で輝く金色の中で、かつて少年だった女が泣いていた。
「俺達は愛され方を知らないけど、愛し方も、大切にし方も、ちゃんと分かってる」
それは全部、ユランから教わった事。大切に出来なかった、壊す事しか思い浮かばなかったヴィオレットを、ただ慈しんでくれたから、知ったやり方。
指先を重ね、手を繋ぎ、腕を組んで、胸にしまい込む。ゆっくりゆっくり、ユランの存在がヴィオレットに馴染む様に、時間を掛けて溶かしてくれたから。溺れるのではなく、自ら沈みゆく様に恋が出来た。
「選択肢は選んだからって消えたりしない。今日選ばなかった方を明日選ぶ事だって、同じ物を選び続けたって、ヴィオちゃんの自由なんだから」
大粒の真珠が零れ落ち、頬を伝い顎から滴って、ユランの膝に吸い込まれる。
小さな世界で守られて、注がれる幸せを、ただ口を開けて待っているだと思っていた。ユランを幸せにすると大口を叩いた癖に、実際幸せになったのは自分だけなのではないかと。不安もあったんだろう、神に永遠を誓っても、人は簡単に裏切るから。雛鳥の様に口を開けて待っているだけの人間を、ユランが永遠に想い続けてくれるのか、なんて。
──なんて、愚かな。
「……そっか」
愛し合う二人の間に子が生まれる事は有ろう。繁栄の理由の一つだ。そして二人切りで生涯を終える事も、決して無情の結末ではない。子を望む事が、愛情の証明にはならない。
ユランとの間に生まれる存在を見たくない訳でもない。もしかしたらいつか宿るかもしれないし、一生芽吹かないかもしれない。望んでいない、でもいらない訳でもない。結局その時が来るまで、何も定まりはしないんだろう。
それでいい。家族を知らぬ己が家族を想像出来ないのは当然で、子が生まれる事がユランの幸せだなんて、あまりにも浅はかな考えだ。
「ふふ、顔真っ赤だ。タオル持って来ようか」
「大丈夫、そこまでじゃないわ。頭が少しぼーっとするけど」
「それ大丈夫って言わないよ。冷たい飲み物に変えようか」
「ありがとう。最近シスイが新しいシロップを作ってくれてね、とっても美味しいのよ」
「へぇ……今度はどんなの? 前は桃の甘いやつだったよね」
「今回のはユランも飲みやすいんじゃないかしら、甘酸っぱいレモンシロップだから」




