そしてそれは廻る
楽しそうに話すヴィオレットを眺めながら、マリンは給仕に精を出していた。日差しや気温に気を配り、お菓子やお茶の交換をして、ヴィオレットとロゼットが望みを口にする前に先回る。いつもの数倍気合が入っている自覚があった。
なんせヴィオレットが友人を招くなんて初めての事だ。それも相手は次期王妃で、隣国から嫁いできたお姫様。権力に頓着はないが、ヴィオレットの友人と言うだけで、マリンには最大限のもてなしをする義務がある。
「私の方にもお招きしたいのですけれど、まだ拠点が決まっていなくて」
「即位はまだ先なのでしょう? 今住んでいるのって」
「今は移動が多いのでそれに合わせて転々としています。いずれ落ち着くとは思いますけれど、どうせなら色々試して吟味するのもいいかと」
「ふふ。じゃあ決まったら訪ねてもいいかしら?」
「はい、勿論」
給仕に精を出しながらも、穏やかに話すヴィオレットの声に頬が緩むのを抑えるのに必死だった。娘が初めて友人を連れて来た時の様な、保護者に近い目線となってしまう。警戒心の塊であったヴィオレットに心を許せる友が出来た事が嬉しくて、ほんの少し寂しくて、でもやっぱり安心する。
他人を信頼するハードルも高さを知っているからこそ、得難い人物の登場は寂寥感よりも安堵の方が大きかった。
「お家もそうですけれど、私としてはリトスへのご招待も叶えたい所です」
「それは私も行ってみたいと思っていたのだけれど……時間が取れるのはまだまだ先になりそうね」
「移動だけでも時間が掛かりますし、宿泊となると~……今からスケジュールを調節しても一年は必要かもしれません」
「クローディア様が即位なさったら更にね」
「そうですねぇ……流石に公務での訪問に私用を合わせる訳にはいきませんし、その時はヴィオ様もお忙しくしているのでは?」
「そうねぇ……ユランはあまり私を連れ歩くつもりは無い様だけれど、クローディア様が王となったらそうも言ってられないのかしら」
「ユラン様はシーナとの外交が主ですし、あちらのお国柄を考えると……どうなのでしょう」
こうして話している内容を聞いていると、自分とはかけ離れた世界を生きているのだと実感する。絶対にマリンが理解出来ない身分の差というものは、何年一緒にいても事あるごとに突き付けられる。それがもどかしくて仕方がなかった時期もあったけれど、同じ世界に友人を得た彼女なら、何も心配する事は無いだろう。
「……あ」
スカートの裾が風に揺れて、太陽の場所を確認した。まだ暗くなっていなけれど、風が強くなっている。室内に戻るかここに残るかでお茶の温度を変えるべきかもしれない。もし残るのならブランケットか何かも必要だ。
「ヴィオレット様、風が出てまいりました。中に入られますか?」
「もうそんなに経っていたのね。肌寒くなる前に戻りましょう」
「そうですね、ありがとうございます」
「応接室には私が案内するから、マリンはお茶の準備をお願い出来る?」
「畏まりました」
扉を潜る背を見送って、テーブルの上を簡単に片してからマリンは給湯室へ向かった。テラスの方は人に任せてしまえるけれど、ヴィオレットへの給仕は他の誰にもさせられない。
さっきはハーブティーにしたが、次はコーヒーでも良いかも知れない。ロゼットはあまり甘い物を好まないと聞いているし、幸い、この家にはユランが飲むコーヒー豆がシスイによって手広い種類揃っている。ヴィオレットには別でアールグレイを入れるとしよう。ミルクティーにするのも良いが、合わせるお菓子を考えるとストレートの方が相性がいい気がする。
「楽しそうだな」
「シスイさん、戻ってたんですね」
扉の無い給湯室の入り口の前を通りかかったシスイは、どうやら今から夕飯の仕込みを始めるらしい。片手には何処から取って来たのか分からない野菜が大量に入った木箱を持っていて、何人前作る気なのか甚だ疑問だ。
「坊ちゃんが良い仕入れ先を見付けてくれたんでな。暫くは遠出せずに済みそうだ」
「シスイさんの食育癖が自分に向いたと気が付いたみたいですからね」
「研究熱心と言って欲しいね。だがまぁ、嫌がられなかったのはちょっと意外だったよ。不機嫌顔で余計な事するなって詰られる想像もしてたんだが」
「あの人はヴィオレット様以外の事に興味ないですからね」
「徹底し過ぎて清々しかった」
好き嫌いのどちらもないユランの味覚を改善したい……自分の料理を美味いと言わせたいシスイの試行錯誤は、勘の良すぎるユランにすぐ勘付かれた。嫌がられても止めるつもりは無かったが、まさか「ヴィオレットの食事を疎かにしなければ何でもいい」とあっさり見逃すとは。シスイが滅多に見せない呆けた顔で固まるので、近くで聞いていたマリンは二重に驚いたのを覚えている。ユランは他者に対して非情なのではなく、ヴィオレット以外に関心がない男だ。その『以外』には当然の様にユラン自身も含まれている。
「お客さん来てんだろ。夕飯は」
「それまでにはお帰りになるかと。応接室に向かわれたので、テラスの掃除を頼んで置いて貰っていいですか」
「了解」
ティーカートの準備を終えて、シスイの横を通り過ぎた。
カラカラカラと小さな音が静かな廊下に響いている。広すぎる屋敷は来た当初に比べると随分中身が詰まって来たけれど、それでも部屋数に対して住む人間が少な過ぎる。あちこちで仕事をしているはずの同僚と擦れ違う事もなく、少しして応接室の扉前に赤い髪が見えた。ロゼットと共に来た、一番若い護衛だ。どうやら今日は一番窓の大きい部屋を選んだらしい。
赤い髪の青年に会釈をすると、猫の様な丸い目が一瞬だけこちらを見て小さく顎を引いた。まだあどけなさの残る顔立ちは精悍さよりも愛らしさが目立つ。ロゼット達と同じ年頃だろうか。
「失礼致します」
「お入りなさい」
中に一声かけると、弾む様なヴィオレットの言葉が聞こえた。楽しいのだと聞くだけで分かる、浮かべている表情まで勝手に脳で構築されて、扉の先では想像通りの笑顔がこちらを向いていた。
たまらずに頬を緩ませた自分も、きっと同じ様な顔をしているんだろう。




