これでも一応、恋の話
ユランとヴィオレットの住む屋敷は、基本的に人が来ない。招く程親しい者がいないのもそうだが、元々ユランは人をテリトリーに招きたがらない性質だ。唯一勝手に来訪しそうなギアも、今の所ユランの自宅に興味は無いらしい。未来ではどうだか分からないが。
なので今日は、かなり珍しい来客の日、という事だ。
「いらっしゃいロゼット、何だか久しぶりね」
「お久しぶりですわ、ヴィオ様。お招きいただけて嬉しいです」
「こちらこそ、来てくれて嬉しい。遠かったでしょう。冷たいデザートの用意をお願いしたから、後で皆さんにも持って行かせるわね」
「仰々しくて申し訳ありません……」
「次期王妃様の外出ですもの。相手が私だからと言って、軽んじて良い物ではないでしょう」
「分かってはいるのですが、まだ慣れるまで時間が掛かりそうです」
「あらあら」
クスクス笑う二人の周りは、そこだけ花が咲いた様に麗しい。後ろに控える礼服姿の男達がどうにも武骨だから余計にそう思うのだろうか。外で待たせている運転手やもう二人の護衛を合わせると総勢五人の大所帯だが、会う相手がヴィオレットだからか、これでもいつもより少ない面子である。
「応接室にしようかと思ったのだけれど、今日は天気が良いしテラスの方にしましょうか」
「そうですね。風も気持ち良くて過ごしやすい気候ですし、広いお庭を拝見させていただきたいですわ」
「ふふ、是非。お花はあまり咲いていないのだけれど」
「お花も魅力的ではありますけれど、私は自然一杯な方が好みです」
「そこまで乱雑ではないけれど……次は奥の森に入れる様にしておくわ」
「ありがとうございます」
にっこり笑うロゼットの後ろで、護衛の片方が微かに目の開きを大きくさせた。ヴィオレットの発言に驚いたのか、ロゼットの反応に驚いたのかは分からないが、もう一人がピクリともしない所を見ると、彼の方が若輩であるらしい。
「クローディア様が気を遣って下さって、色んな所に行かせて貰っているんですが……整備されていない森というのはあまりなくって」
「そうでしょうね。念の為うちの森に入るってクローディア様にお伝えしておいてね」
我が家の敷地内で、一応最低限の見回りはしているが、基本的に自然のまま成長させているただの森だ。シスイが一角の木々を狩って家庭菜園でも始めようかと計画しているが、それでもまだまだ広大な森が広がっている。
「本当に素晴らしいですね。私も何処かの森に別宅を建てて頂こうかしら」
「良いと思うけれど、許可が出そうにないわね」
「ですよねぇ……」
「整備が入った後なら兎も角、貴方は出来るだけ手を入れて欲しくないんでしょう?」
「幕屋生活したいなんて贅沢は言いません」
「問題はそこではないのよ。分かって言ってるわね?」
「ふふ、クローディア様にも同じ反応をされましたわ」
ガーデンテラスの下に広がる庭を眺め、その奥に広がる密集した木々を見て、うっとりした様子のロゼットに肩の力が抜ける。仕方がないなとも思うし、変わりなくて安心したとも思う。ヴィオレットがこの城でゆっくりと過ごしている間も、ロゼットは次期王妃として忙しくしているのだ。今日こうして会えたのもその合間に時間を取ってくれたからで、普通であれば擦れ違う事もない程に生活環境が違う。そして環境が変われば人は変わる。
「本当に、元気そうで良かった。私は社交の場から離れてしまっているし、ここは噂話も届かないから」
「私の方こそ、お元気そうな姿を見られて安心しました。こちらは反対に色んな噂を耳にしますから。直接お会いしないと真実がどれか分かりませんもの」
「やっぱり噂になっているのね」
「ユラン様が先手を取って情報を流してはいますけれど、人は聞きたい様にしか聞きませんので」
マリンの用意したハーブティーを片手に優雅に微笑むロゼット本人も、噂の的としてある事ない事囁かれているのだろう。耳にした事もあれば、ご丁寧に教えてくれるお節介もいる。面倒だとは思うが、最早慣れた事。何をしても何かを言われる、わざわざ訂正して回るよりも、噂の鮮度が落ちて見向きもされなくなるのを待つ方が健全だろう。社交界に置いて噂は一種の伝統である割り切ってしまった方が楽だ、己が。
「少し前は私の男性遍歴についてでした」
「随分と直接的な話題ね。珍しい」
「少し前にリトス出身の入り婿が落胤問題で色々とありまして、それの飛び火です。未だにクローディア様の妻にと推薦状が届きますのよ、私宛てに」
「方法も直接的ね」
「折角なので全部クローディア様にお見せしてます。差出人も含めて、ぜーんぶ」
可憐な笑みで告げられた言葉に、本当に変わっていないなとヴィオレットもカップの向こうで笑みを深めた。重圧に負けて心折れる少女であったなら、そも王妃に選ばれはしないのだろう。柔い見た目に、評価に反して、ロゼットの中身はお転婆やじゃじゃ馬と称された少女時代と違いない。仮面の被り方を覚えはしたが、売られた喧嘩に泣き寝入りする様なタマではない。
「それは……怒られたでしょうね、相手は」
「みたいですね。でもプレゼンしたいなら私ではなくクローディア様本人にしていただかないと。私に言われたって困りますわ」
「ま、自業自得ね。ロゼットに対してそんな失礼な事をしたんだもの」
ツンとすました表情は、ヴィオレットがすると随分と傲慢な印象を与える。玉座に腰かけ、跪くもの全てを嘲笑する圧倒的強者の相貌で、ひどく淡い笑みを湛える事を、知る人は少ない。知れば最後、この人のそういう部分をもっと知りたいと、もっと見たいと、自分だけが触れたいと、望んでしまうんだろう。
──だからこそ、こうして大事にしまわれているのか。
「クローディア様とはどう? 大切にされているの?」
「えぇ、大丈夫ですよ。彼の方は分かりませんが、私は比較的自由に過ごせています。公務の付き添いも最低限で、今日だってスケジュールの調整をしてくださいました」
「なら良かった。ロゼットってば、手紙にはそういう事全然書かないんだもの」
「ヴィオ様だって、ユラン様の事はほとんど書かないじゃないですか」
輝く太陽の日差しから守られた屋根の下、三段のケーキスタンドの上はまだまだ甘いお菓子達並んでいる。美しい人達の白魚の様な手に包まれて、その柔らかな唇に触れる瞬間を今か今かと待っているのに。二人にとってはそれよりも顔を合わせてお喋りする時間の方がずっと惜しい。
「私、とっても楽しみにしているんですよ? ヴィオ様の恋のお話」
整えられた爪先が組まれて、指の網の上にこてんと傾げられた顔が乗る。淡い色合いの瞳が楽しそうに、好奇心を称えた少女のそれで細められた。可愛い。とっても可愛いが、向けられているヴィオレットにとっては追い詰められている気がしてならない。可憐な笑みに騙される勿れ、気付いた時には逃げ場がないなんてザラだと、友人期間が積み重なるにつれて分かってきた。
「……特別な事は何もないわよ」
「ふふ、お顔が赤いですよ」
「ロゼット!」
気を紛らわそうとカップに手を伸ばしたヴィオレットの頬は艶やかに色づいている。それが頬紅のせいでない事は誰が見ても明らかで、つい笑みを深めたロゼットにむすっとしたヴィオレットの視線が刺さる。見る人によっては焦燥感を覚えるだろうその表情も、ロゼットにとっては可愛らしい悪あがきでしかない。ヴィオレットがそうであるように、ロゼットもヴィオレットの友人として同じだけの期間を過ごして来たのだから。
「んんっ、……私だって、貴女のお話を聞くの楽しみにしていたんだからね」
「私達の事はある事無い事書かれているでしょうし」
「紙面を介した情報は鵜呑みにしない様にしています。友人の事なら尚更に」
次期国王夫妻の事は、何時に起きて寝て、何時何を食べたかまでもが紙に載り国中を流れている。自ら提出している情報もあるが、残念な事に民衆向けの情報はそのほとんどが虚偽、若しくは曲解されたものだ。叩けば埃が出る新聞社は多くとも、その全てを裁くには時間も金も掛かり過ぎる。所詮は紙とインクで出来た嘘、国民の興味が移ればゴミとして燃えるのだからと、見て見ぬふりをしているのが現状である。
「ユラン様が手を回してくれているおかげで、随分と減りはしたんですけれど」
「こればかりはなくならないでしょう。昔から減っては増えてのいたちごっこだもの」
「ですねぇ。リトスでも似た様なものでしたから、慣れてしまってはいるんですけれど」
「嫌な慣れではあるけれど、実害がなければそんなものでしょう。嘘の話が流れても、それを信じた人と対面する機会なんてほとんどないし」
「そこはジュラリアの広さが吉と出ましたね。リトスはここより随分狭いので民の声が届き易くて」
「何事も善し悪しね。民との距離が遠いからこそ初動に時間が掛かるというし」
「クローディア様も適切な距離感を模索しているみたいです。この間もそれでユラン様と喧嘩になりそうだったと」
「そうなの?」
「喧嘩と言うか、言い負かされたと言うか……あのお二人はタイプが真逆ですし、ミラ様が間に入ってくれているのでバランスは取れていると思います」
そうだろうな、と思わず納得してしまった。ユランとクローディアはその特異な関係以前に、性格の相性がすこぶる悪い。互いに無いものを補い合える様で、仕事では良いコンビであるらしいが、ユランは稀に見る不機嫌顔を晒すだけで決して頷きはしなかった。
「私も自分のやり方を模索している最中ですが、何とかやっていますよ。クローディア様は思っていたよりも柔軟な方でしたし。むしろ私の方が頑固で」
「ロゼットは芯がしっかりしているものね」
「素敵な表現をありがとうございます」
国を跨いで嫁いだロゼットの言葉に、無意識に入っていた体の力が抜けて細いため息が零れた。ヴィオレットにとっては育った国だが、ロゼットにとっては数年暮らしただけの国。偏見差別、文化の違いに苦しんでやいないかと、手紙で語る以上に心配していたから。
「こうして友人と楽しくお喋りする時間もありますしね」
「良かった。お茶のお替りはいかがかしら」
「是非! とっても美味しいですね、どこの葉ですか?」
「どこだったかしら……料理長が色んな国から仕入れてるのよね」




