207.今度は、誰にも
ゆっくりと、体温が上がって行く。もう、寒くはなかった。
「ヴィオちゃん、まだここにいたい? それなら飲み物と、何かクッションになる物を」
「ありがとう。でも、もう少しこのままが良いわ」
「そう……? 体痛かったりとかしない?」
「ユランの方こそ、足が痛くなったりしていない?」
「ふふ、大丈夫だよー」
大きな体を縮めるユランはきっと窮屈なはずなのに、内緒話をする時の様に顔を寄せて、ブランケットに包まれた世界を楽しんでいる。
その甘さに、思う存分甘えて来た。寄り掛かって支えられて、知らぬ間に全ての災いから遠ざけられて。その庇護下に居た事も知らず、全てを諦めて置いて行こうとしていた──ずっと置いて行かれ続けた、この子を。
「この部屋、気に入った?」
「そうね……星が良く見えて、素敵だと思う」
「なら、ここも綺麗にしよっか。ソファとか、灯りもあった方が良いよね」
「……ここは、このままで良いわ」
「え……でも」
「このままが良い……これが、良いの」
腕を絡ませて、肩に頭を預ける。大きな手に、触れる。ぴったりとくっ付いて、誰も入り込めないくらいに近く、傍に。
「──愛しているわ」
初めて音にして、こんなにも甘い言葉であったのだと知った。口の中も頭の中も甘ったるいシロップで一杯になって、溺れてしまいそうなのに。足りない、足りないと心が悲鳴を上げているみたいだ。
優しいユラン、愛してくれて、愛していて、幸せをくれる大切な人。
沢山の幸福をくれる彼に、報える方法を探していた。
「どんな言葉を使っても足りないくらい、愛しているの」
キラキラ、キラキラ、流れ星が落ちる。月の様な黄金の瞳から零れて、掬おうにも、指先から一つ二つと転がって。星を掴めずに終わった手は、大きな手の平に包まれる。痛くも痒くもない力で引かれて、二人の影が重なった。
星空の下、初めてのキスは、微かに甘い涙の味がした。
少しだけカサついた唇が離れて、頬に自分の物ではない雫が流れる。水の纏って輝く黄金の瞳は、空に輝く月よりもずっとずっと美しい。肩を震わせてしゃくりあげるユランは何とも可哀想で──何と、愛おしい事か。
「貴方は、私を幸せにする為に生まれて来てくれたのね」
誰からも捨てられて、同じだけ捨てて来た人生。最早嘆く必要も感じないくらい、馴染んでしまった事実。だから、もう良いのだ。自分を産んだ者達が、どんな意味を抱いたとして、どんな思いで、捨てたとして。それを考えるのはもう、良いのだと。
「ヴィ、ォ、ちゃん」
「あらあら、目が溶けてしまいそうね」
ぐちゃぐちゃになった顔を隠す事も忘れて、離れまいとヴィオレットを抱く腕の力が強まった。同じブランケットの中、鼻先がくっ付きそうな程近付いて、聞こえるのは互いの呼吸と心臓の音。まるで、一つの生き物になったみたい。
「ふふ」
「わらわないでよー」
「ごめんなさい、でも可愛くてつい」
「ゔぅ~……」
手の平で包み込んだ頬は、涙のせいか思ったよりも冷たい。目も頬も真っ赤で、きっと明日は大変だろうななんて、想像してまた笑ってしまった。
「私もね、ユランを幸せする為に生まれて来たの」
この人の為に生まれて来た。ヴィオレットの命の価値はユランで、ユランの命はヴィオレットの為にある。ユランはその覚悟を持って、自分を救い出してくれた。ならばヴィオレットも、相応の決意が必要だ。
顔も知らぬ義母へ。我らが国王へ。その他、ユランを害する全ての『悪』へ。
どうか届けば良いと思う。この嫌悪、この怨念、この殺意。それら全てを纏った、宣戦布告を。
「だからもう、間違わない……今度こそ、間違ったりしない。今度は、誰にも」
この愛を、この幸せを。
誰にも、邪魔させはしない。




