206.決意一つ
空っぽだった屋敷が、少しずつ色付いていく。整られていう部屋を見るとワクワクして。森の中の地面に丸を描いて、ここが家なんだ、なんて自分を慰めていたあの日を思い出して、少しだけ泣きたくもなった。
美しい白亜の宝石箱が、大切な人と暮らす家へと変わって行く。
どんな家具が良いか、どんな色が良いか、食器を自分の足で探して、ランプの形に拘ったりして。ユランを顔を見合わせて笑う度、嬉しくて、嬉しくて──思い出す。
ユランを産んだ母の事。
どこかで幸せにしてるだろうと、他人事の様に語った、ユランの顔。
「ヴィオちゃん、ここに居た」
「……やっぱり、私を見付けるのはユランなのね」
屋根裏部屋の窓を開けて、星空を眺めていたヴィオレットに、柔らかなブランケットを下げたユランが近付く。生活用品が揃ってきた屋敷の中で、まだ手を付けられていない場所。ヴィオレットが腰を掛けているのも、椅子ではなく使われなくなった踏み台だ。美しい屋敷の舞台裏にある物置は、星を見るのにぴったりで。
誰も、何も、隔てるものの無い世界。
「寒くない?」
「少しだけ。ユランは平気?」
「俺は寒いのも暑いのも割と平気」
「我慢出来るか聞いたのではないのよ」
ヴィオレットはブランケットでぐるぐる巻きにする癖に、自分は薄いカーディガンを羽織っただけ。ネグリジェ姿の自分が言えた事ではないけれど、見ているだけで寒くなる装いだ。屋根裏部屋には暖を取れる物なんてないし、夜の空気はゆっくりと体温を奪っていくのに。
「ほら、こっちに来て」
「いや、俺は良いよ。ヴィオちゃんの分が足りなくなっちゃう」
「だからくっ付くの。ほら早く、寒いわ」
床に座ると、冷えた木の感覚に鳥肌が立ちそうだった。ブランケットの中にユランを招き入れて、ぴったりとくっ付いたけれど、二人共すっかり体が冷えてしまっていて、ぎゅうぎゅうと抱き合っても温かくなるまではまだ遠い。
「ふふ」
「ん、なぁに?」
「昔も、こんな事があったなぁって思ったの。覚えてる?」
「秘密基地で雨宿りしてた時の事?」
「そう。あの時はピクニックシートだったけれど」
「雨除けにならなかったよね。すっごく寒くて、凍っちゃうかと思ったけど……楽しかったし、嬉しかった」
「真っ青になってたのに?」
「ヴィオちゃんといられるなら、他の事は何だって良かったから」
寒さではない紅に頬を染めて、噛み締める様に笑みを浮かべる。昔からユランは、ヴィオレットの前でよくこの顔をしていた。受け取った物を無くすまいと胸に抱く様な、これを失ったら、もう二度と手に入らないと、思っているかの様な。
ヴィオちゃんが嬉しいなら嬉しいよ。
ヴィオちゃんが楽しいなら楽しいよ。
ヴィオちゃんが幸せなら、幸せだよ。
何度となく伝えられて来た思いは、どれもが彼の恋で、愛情で、本心であるのだろう。その想いに守られて、手を引かれて、ここまで来る事が出来た。
寒くて暗くて少し埃っぽい、まるでいつかの牢と同じだ。心の細く小さな欠片ですら折られ潰され、後悔する以外を許されなかった。全部捨てて、諦めて、終わりを待った。それしか出来ないと、自分さえ、自分の人生の邪魔だと思った、日。
──あの日から、ずっと、この腕に守られていた。




