203.宝石箱
待たせていた迎えの車に乗って一時間程。ユランの言葉通り、窓の外は木々ばかりで、整備されている事が逆に不思議なくらい人の気配がなくなった道の先。白い柱と鉄の門扉が見えて、遠くに白と紺の色合いが覗く。思わずマリンと二人、窓に張り付いて流れゆく木々を眺めていた。
ゆっくりと速度が落ちて、遠くに見えていたはずの屋敷が目の前にあった。
左右対処に整えられた佇まいは、ヴァーハン家の物とは全然違って見える。その印象が色合いからなのか広さからなのか、それとも単なる心のあり様なのかは分からない。
宝石箱みたいに美しい、白亜の屋敷。
ユランと、その母が暮らしていた家。
「あれ、ヴィオちゃん着いてたんだね」
マリンと二人、見惚れてしまっていたらしい。大きな玄関扉から顔を出したユランが、いらっしゃいと微笑みながら近付いて来る。遅いからとわざわざ出て来てくれたらしい。人員が揃っていないからと呼び鈴を鳴らす様にと言われていたのに、すっかり忘れていた。
「ふふ、その様子だと、外観は気に入って貰えてるみたいだね」
「えぇ……凄く、綺麗」
「手入れがきちんとされてたおかげで、綺麗な色が保たれてるんだって。俺も初めて来た時に驚いたよ」
「ユランから聞いてはいたけれど、想像以上だったわ。ここまでの道も素敵だったし」
「庭は俺の方でも色々して貰ったから、そう言って貰えて嬉しい」
白いロングカーディガンを羽織って笑うユランは、この家によく似合っている。ずっと住んでなかったのが嘘みたいに、柔らかな顔立ちと美しい館はぴったりで。きっとユランとよく似ていたらしい母親にもよく似合ったんだろう。
「中も綺麗だよ、インテリアはまだ全然揃ってないけど」
「元々あった物はダメになっていたの?」
「半々かなぁ。劣化してないのもあったけど、どうせならこの機会に変えちゃった方が良いかなって。だからほとんどの部屋空っぽだよ」
「ユランってたまにすっごく豪快よね」
「思い切りの良さが大事だって、色々学んだからねぇ」
ユランにエスコートされて入った室内は、外から見た印象通りの美しさだった。壁も天井も真っ白で、絨毯の赤がより鮮やかに映える。しかしユランの言葉通り、実家ではそこかしこにあった装飾品が一つもなく、輝くシャンデリアがむしろ違和感を生む程。空っぽと言うのは、強ち大袈裟でもないらしい。
「凄く……広いわね」
「そうだねー。俺も初めて来た時はびっくりした。中も広いけど、庭はもっと広いよ」
「庭?」
「裏の森みたいな所がほとんど家の敷地。使用人の生活スペースを差し引いても広すぎるよね」」
その広さが、元は大人と子供二人の為だったなんて、貴族社会に染まったヴィオレットでも少し眩暈がした。内装がどうだったかは分からないが、外観と合った上品で美しい物であっただろう。ユランに根こそぎ取っ払われた訳だが。
「詳しい間取りは住んでから少しずつ覚えてくれれば良いからねー。とりあえず俺とヴィオちゃんの部屋に案内するから。マリンの部屋はとりあえずヴィオちゃんの近くにしてあるよ」
「ありがとうございます」
「一応必要な家具はシスイのと一緒に揃えたけど、他にも必要な物はヴィオちゃんのと一緒に頼むから」
「シスイさんと同じならそれで大丈夫かと」
「シスイも言ってたよ。俺と同じで良いと思うって」
「そういえば、シスイもここに居るのよね」
きょろきょろと辺り不審なくらいに室内を見渡していたが、二人の会話で一人の人が記憶から浮かんで来た。なんなら、二人よりも昔から知っている人。
「お昼の準備してるよ。まだ設備が整ってないから簡単な物になるって」
「シスイの料理は全部美味しいもの、楽しみだわ」
「デザートだけは一昨日から準備してたけどね。チョコレートタルトだって」
「…………」
「流石、分かっていらっしゃるみたいですね」
「ん?」
「朝、シスイさんのチョコレートが食べたと言っておられましたので」
「暫く食べていないんだもの」
「ふふ、なら良かった。部屋を見たらご飯にしようね」
「えぇ、楽しみだわ」
人気の無い広くて長い廊下を進む。ユランが物心つく前にはこの家を出ているという事は、もう十五年近くは誰も住んでいないという事だ。家は人が住まないと劣化しやすいと言うのに、何処を見ても美しいままで、丁寧に保管されていたのがよく分かる。
ワクワクと心が弾むと同時に、少しだけ、ほんの僅かだけれど、胸の隅に人影が差した。今まで一度も聞いた事がなかった、顔も声も知らない人の、影。
(どんな人、だったんだろ)
この家によく似合ったであろう、ユランによく似た、彼を生んだ女の人は。
何に駆られて、何を思って、この家から消えたのか。




