201.あの日の義理立て
「私を連れて来たのは何故ですか」
迎えを待つ間、整えられて木々を眺めるヴィオレットの背中を見つめて、隣に立つ者だけが聞き取れる声がユランの鼓膜を打った。顔だけでなく、視線すら交わらない二人は、並んでいるのに他人の様な空気が流れている。
「聞いてた通り、証人の為だけど」
「貴方が信じていないのは神だけではないでしょう」
神を信じていないから、神に誓わないと言った。ならば人を信じていないのに、人前で誓ったのは何故だ。当然の疑問に、ユランはつい鼻で笑ってしまった。その反応にマリンの纏う空気が固くなったのを感じたけれど、別に馬鹿にする意図はないのだ。
むしろ、その通りだなと思って、自分自身に笑ってしまった。
「そうだな……お前の言う通り、初めは彼女の前だけで誓えば良いと思った」
ユランが伝えたい相手はヴィオレットだけで、そこに他者の承認が欲しいと思った事はない。初めは二人切りで良いと思っていたし、マリンを誘いはしたが、断られていたら彼女なしで誓いを立てていた事だろう。
わざわざマリンを誘ったのは、ただ何となく、泣きじゃくった女の影を思い出したから。
「お前には、見せても良いだろうと、思っただけだ」
蹲って泣きじゃくって、呆然と殺意を吐き出した日の事を、マリンは何一つ覚えていない。それを羨むつもりは欠片も無いし、覚えていない事を責めるつもりもない。ユランは覚えていた事に感謝しているが、マリンにとっては覚えていない方が平和な記憶だ。
それでも、あの恨みと怒りで真っ黒に染まった日々を、必死で戦って来た唯一の同士だった。誰もがヴィオレットを断罪する中で、ただ一人、ユランと同じ方向を向いていた人だった。
ユランと同じ殺意と絶望で、泣きながら呪詛を吐いた顔を、今ではよく覚えていない。仲間と言う程の情はなく、戦友と呼ぶ程の絆もないが、それでも。
あの日共に戦い敗れた女に、少しばかり義理立てをしても良いかなんて、思っただけ。
「彼女も喜んでいたしな」
「真っ赤になってぶすくれていましたが」
「照れ隠ししてる所も可愛い」
「えぇ、良いものを見せて頂きました」
「……早く卒業してぇ」
「何を想像したのかは聞きませんが、私は部屋替えしませんからね」
「権限は俺にあるが」
「私の主はヴィオレット様です」
顔どころか視線すら向けず、さっきまでそれなりに穏やかだったと思ったら、今は背後にブリザードでも見そうだ。ある意味相性はいいのだろうが、それを認めるのが癪であるのは、きっとマリンの方も思っている。
「……二人共、どうしたの?」
「何でもないよ」
「なんでもありません」
首を傾げて近付いて来たヴィオレットを見て、氷点下から小春日和へと変化する所も。本当によく似ていて、似ているからこそ合わない。
綺麗に言葉を一致させた二人に、ヴィオレットが微笑ましいと言わんばかりの穏やかさを見せるから、それだけで全部どうでも良くなってしまうのだけれど。
「もう良いの?」
「えぇ、ロゼットの言っていた子がいるかと思ったけど、そう簡単には見つからないわね」
「俺達はこの国の生態系に慣れちゃってるからねー。どれが他国では珍しいとか、あんまり分かんないし」
「一応図鑑で見て覚えてはいるんだけど、どの辺に居るかって言われると分からないのよね」
「そもそも広いしね、この国。こっちの辺りは久しぶりに来たし、折角だから買い物してから帰ろっか」
「良いわね。折角だから新居に置く物と、か……」
はしゃぐ声を遮る様に、くぅ、と小さな鳴き声が響く。
「……すみ、ません」
目を丸くして音の方を向くと、マリンが少し俯き視線を逸らしていた。水色の髪から覗く耳は真っ赤になっている。
「ふふっ、先に皆で朝食にしましょう」
「今ならモーニングメニューもあるね。行きにあったお店に行ってみようか」
「エッグベネディクトあるかしら」
「パンケーキにしないの?」
「この間食べたのが美味しくって。マリンは何が良いかしら」
「ヴィオレット様がお気に召した所ならどこでも」
「もう、私はマリンの希望を聞いたのよ」
「私は質より何より量なので」
吹っ切れたのか、さっきまでの恥ずかしそうな様子は消えて、いつもの感情の読めないポーカーフェイスが戻ってきた。ツンとすました猫の様に、全身がしなやかな美しさで満ちている。痩せ細って皮と骨だけの様だった面影はどこにもない。
マリンの事は信用している、相性はそれなりに良いだろうし、同じ人を宝物にしているから通じ合うものだって多い。言葉にせずとも察して理解してもらえるのは楽だ。ただ、好きかと問われたら否を唱える、情がある訳でもない。今日の事だってただの義理、一種の気紛れだ。
(……良かった)
それでも、ヴィオレットとマリンが並ぶ姿を見て、素直にそう思う。
きっとあんな姿のマリンを見たら、ヴィオレットは悲嘆に暮れてしまうから。
(彼女が、笑ってて、良かった)




