200.求愛
「ヴィオちゃん、大丈夫?」
「ふふ、大丈夫よ。怪我だってもう随分前に治っているんだから」
「そうかも知れないけど、足とか痛くなったら言ってね」
「えぇ、ありがとう」
軽やかな足取りで並んでいるというのに、ユランの心配性は怪我の有無に関わらないらしい。健康的な肌色を取り戻した脚や頬を、今でもたまに痛まし気な視線で撫でているのを知っている。
「ヴィオレット様、寒くはありませんか?」
「大丈夫よ。二人共安心して頂戴」
ユランの逆側から声をかけたマリンは、いつものメイド服ではない。ジャケットにスラックスというシンプルな装いで、荷物も途中までの送りの車に置いて来たからその手には何も持っていない。
まさかこの三人で出掛ける日が来るとは、先日ユランに誘われた時はどうしたのかと疑問が湧いた。不思議なだけで嫌ではなかったから断りはしなかったけれど。
マリンの休みに合わせる事になったのは、少しだけ申し訳ない。折角の休日まで主人と一緒なんて、息がつまりはしないだろうか。ただでさえ実家にいた頃は、ほとんど休みを取らせてあげられなかったというのに。
「早い時間にごめんね。貸し切りに出来るのがこの時間しかなくて」
「貸し切り……?」
どこに行くかは聞いていなかったが、通った道筋で大体想像はついていた。大聖堂の門前で降りた時も、やっぱりと思ったくらい。
まだ朝食を取っている者だっているだろう時間。人が少ないのはそのせいだろうと思っていたのが、まさか貸し切りにしていたとは。出来る出来ない以前にそうした理由が分からな過ぎてユランを見上げたけれど、いつもと変わらない微笑みを返されるだけだった。
中に入ると、誰もいない。参拝者だけでなく司祭やシスターなんかの関係者すらいないのは、やっぱり貸し切りの影響だろうか。
「…………」
「ユラン、……?」
「あ、ごめん。……ここのステンドグラス、こんな図だったんだなと思って」
「ユランは昔から教会とかには行きたがらなかったものね」
「なんか足が向かなくて……ここに来たのも、今日で二回目」
「そうなの?」
ユランは昔からこういった神聖な場を嫌がっていたから、一度も来た事がないと思い込んでいた。この国で暮らしていて二度目なら、充分に少ないのだけれど。
「一年前のね、今日。俺はここに来たんだよ」
懐かしむとは程遠い、未だ治らない傷に触れた様な。痛そうな辛そうな顔で、それでも甘ったるく笑うユランには、一体何が見えているのだろう。
伸ばされた手が髪に触れて、頬に触れて、指先に唇が触れて。婚約者との触れ合いにしては色気がないけれど、ただのじゃれ合いで済ませるにはあまりにも重い。
まるで体温を確かめるみたいに。ヴィオレットという人間の輪郭をなぞり、ここに居るのだと確かめるみたいに。生きているのだと、実感したいかの様に。
「ね、ヴィオちゃん」
頬から下りたユランの指が、ヴィオレットの指に絡まる。見上げるヴィオレットに微笑みではなく、真剣な眼差しを返して、唇が動く。
「俺、何回も間違えたんだ。間違えて、ヴィオちゃんに辛い想いをさせた。もっとちゃんとしたかったのに、全然出来なくて」
それはヴィオレットにとっての求愛であり──ユランにとっての、告解であった。
「それでも、諦める方が無理だった。そんなの、死んだ方がマシだ。諦めたら、息も出来なくなるくらい、俺は貴女への愛で生きてる」
ゆっくりと跪いたユランの額に、繋いだ手が触れた。懺悔の様で、乞う様で、誓う様で祈る様だ。
ヴィオレットの手を包む指先が小さく震えている。怯えているのか、何に、誰に。 そんな疑問を持つよりも早く、ユランは顔を上げて。艶めかしい金色の瞳に射抜かれて、胸が一際強く大きく高鳴るのを感じた。
「俺は神様を信じない。だから、神様なんかに誓わない」
「俺が誓うのは、貴女だ──ヴィオレット」
「貴女を大切にする、貴女を、一生、幸せにし続ける」
「愛しています。貴女の人生を貰うから、俺の命を貰って下さい」
手の甲に柔らかくて少しカサついた感触が触れて、ちゅ、と可愛らしい音と共に離れる。目が合うと、いつもの笑顔。それがあまりにも自然で、何をされたのか自覚するのに時間が掛かった。
「…………、ッ⁉」
一気に顔へと熱が集まって、触らなくても頬が真っ赤になっているのが分かる。目を真ん丸くして、口を開いてもハクハクと空気が零れるだけ。驚愕羞恥感喜、色んな感情で目が回ってしまいそうになっている。
そんなヴィオレットの反応を予想していたのか、ユランは特に答えを求める事はしなかった。いや、その真っ赤になった顔を答えとして受け取ったのか。立ち上がったユランはグッと伸びをして、何処かすっきりした様子だ。
「結婚式では、どうしても神様に誓わなきゃいけないから。その前に、どうしても伝えておきたくて」
「そ……、れは、そう、だけど……」
「二人きりの結婚式ーっていうのもありかなって思ったんだけどね。俺の、ヴィオちゃんの幸せへの誓いなら、彼女に証人になって貰わないとだし」
そこで初めて、二人を後方から見守っていたマリンに視線が送られる。彼女、の言葉で、ヴィオレットもマリンの存在を思い出し慌てて振り返った。ユランの行動の衝撃で一緒に来ていた事がすっかり頭から抜け落ちていた。
つまり、一連の光景を全て見られていた訳で。
「ぁ、ぅ……」
「ヴィオちゃん林檎みたいだねぇ」
羞恥心が限界を越したらしいヴィオレットは、髪で顔を隠そうと必死だが、マリンからすると今日の様な光景は特に珍しいものでもない。ヴィオレットが気付いていないだけで、ユランは日頃からヴィオレットを愛でて止まないのだから。
「ユランは、いつからこんないたずらっ子になったのかしら」
「割と昔からこうだよ?」
「……そうね、そうだったわ」
昔から、突拍子もない事をしてはヴィオレットを驚かせていた。元々そういう気質と言ってしまえばその通りで、ユランの方に変化があった訳ではない。ただヴィオレットが、ユランの行動に対して『弟分』というフィルターをかけられなくなっただけ。
「突然窓から現れて枠から落ちたり、木登りして下りられなくなったり、絵本に埋もれていた事もあったかしら」
「え、何でそんな忘れて欲しい所ばっかり?」
「ふふ」
目に涙を溜めて、ヴィオレットを見付けると破顔する。それを見ると、こちらまで思わず笑ってしまった。可愛らしい少年は、精悍な男性になっても、同じ。
「昔からずっと、ユランは私を喜ばせるのが上手いのよ」




