197.国家の話
国家を軽々と担いで尚、この男の足取りが変わる事は無い。それが度量の違いなのか、はたまた精神の材質が違うのかは不明だが、どちらにしても現状ユランには、ギアの言葉をただ受け止める以外に選択肢はない。
「シーナは別に中立を宣言した訳じゃない。組む相手を見極めて、満足いく奴がいなかった、相手も、俺達を知って手を出さない決断をしてるだけ」
周囲が勝手に中立と不可侵を漂わせているだけで、シーナ自体はむしろ来る者拒まず去る者追わず。誰にも属さない代わりに誰も求めない所は、中立と言って差し支えないのかも知れない。
手を伸ばす価値がなかった。居座る意味もなかった。だからずっと、勝手に持ち上げられた場所から、一定の距離でこちらを窺う他国を見下ろしていた。
「未知ってのは、可能性だ。ただそれに気付いても、大抵のやつは途中で折れる。それは俺達が受け入れないんじゃなく、俺達に順応出来ないから」
お互いに少しずつ譲り合う事を対等だと、柔らかく肩を組むなんてつまらない。シーナの人間にとって『対等』とは、己の意思をぶつけ合い膝をつかなかった方が正しいという認識だ。
優しさより激しさを、理性より欲求を。尊ぶものが違い過ぎる国で、誰もが故郷を思って泣き、最後は背を向けた。そしてそれを追い掛ける人間も、シーナにはいない。
「俺達も、別にそれで困らねぇしな。外交が無くても成立する様に出来てる。国も、民も」
「……なら余計に、俺を紹介する意味は?」
留学先で出来た友人を親に紹介したい──で済まない事は、いくら自由と気紛れの化身足るギアでも分かっているだろう。シーナの現国王がどんな人物かは分からないが、お国柄を考えるとギアと似たり寄ったりな事は想像がつく。
自由で気儘で傲慢で、頭の回転が速い。享楽主義で、時にユランよりも残酷になれる。ギア程極端ではないだろうが、その極端な男の親ではあるのだ。
「無くても困らんが、有っても困らんのでなぁ」
にんまりと弧を描く口元から、牙を思わせる尖った犬歯が見える。肉食獣を思わせる、捕食者のそれだ。では今の自分は、捕食される食糧だと言うのか。
背筋に冷たい汗が一筋だけ伝って、心の片隅で怯んで後退る自分がいる事に腹が立った。気圧されているのだという自覚はあるが、目の前の男に脅えて及び腰になるなんて、ユランのプライドが許さない。
「……俺はお前のお眼鏡に適ったって訳か」
「まぁな。少なくとも最低条件はクリアしてんなー」
一息吐いて、身体に入っていた余計な力を抜く。瞬きの様な時間、その一瞬で、覚悟を決めた。自分で蒔いた種が、想定よりも大きな花を咲かせただけ。まさかギアから持ち掛けられるとは思っていなかったけれど、想定の範囲内だ。
値踏みする視線はユランの神経を優しく逆撫でて来る。いつもならばそのにやけた面をひっぱたいてやるのだが、今の自分達は『友人』ではなく、『シーナ王子』と『ジュラリア貴族』として対面している。表に出すべきは苛立ちではなく、美しく飾らされた笑みだ。
「不可侵国家の王子様にそう言って頂けるとは、光栄だね」
「はは、嘘くせぇ」
着け慣れた好青年の仮面、この微笑みで騙せる相手だったなら、どんなに楽だっただろう。
ギアにとって、ユランの美しさ程胡散臭い物はない、そして。
「──だからこそ、信用が出来る」




