184.凪
諦めていたもの。夢とか愛とかの美しい感情。それらが幻ではなく、ちゃんと触れる事の出来る物なのだと、与えられなかっただけなのだと気付いた時、人に湧き上がる感情は──。
× × × ×
テストの結果が帰って来た。今までよりも格段に悪い結果だったけれど、期間中にあった騒動を考えれば充分だろう。無理に無理を重ねて上位をキープ出来ていた今までが異常だっただけで、本来の実力はこんなものなのだ。
順位表を眺めて、肩から力が抜けた。成績が下がったのだから落ち込む所であるはずなのに、何故か深く息が出来る気になった。
「ヴィオ様、確認されましたか?」
「えぇ、ロゼットも大丈夫?」
「はい。では食堂に行きましょうか。今日は特別豪華だそうですよ」
「卒業式も近くなってきたから、その影響でしょう」
「あぁ……もうそんな時期なんですね」
今年のクローディアの卒業とあって色々と桁違いになりそうだ。一度目は卒業式を迎える前に凶行に至ってしまったから、それがどんなものであるかはヴィオレットにも予想しか出来ないけれど。
「他人事みたいに言っているけれど、貴方も色々忙しくなるでしょう」
「まぁ、それなりに……でも私自身の卒業まではまだありますから」
クローディアとロゼットの婚約が発表された後、ロゼットは学園のみならず国中の祝福を浴びて窒息しそうになっていた。クローディアというワードが出た事で、ヴィオレットとロゼットの仲を邪推する者もいた様だけれど、好奇に視線は今に始まった事ではない。
ヴィオレットとユランの婚約も今年中に発表となるだろうが、次期国王の伴侶に隠れて消えていく事だろう。
「長期休みに国へ帰る事になっているんです。その時に以前言っていたリトスの石を見てこようと思います」
「まぁ、ありがとう。じゃあ私の方でも良い加工職人を探してみるわ」
「でも肝心の、どんな物にするかが決まっていないんですけどね」
「普段使い出来る物、って事だけね」
「やっぱり髪飾りでしょうか……」
「万年筆とかもいいんじゃないかしら。メンテナンスすれば長く使えるじゃない?」
「あ、良いですね。お手紙を書くのが楽しくなりそう」
「文通相手なら喜んで立候補させてもらうわ」
穏やかな会話が違和感なく続く……本当なら不信感を覚えるべきなのだろう。実家への挨拶は、もうすぐそこまで迫っているのに。自分でも驚くほどに気持ちが凪いで、こんなにも落ち着いた気持ちでいられるなんて思ってもいなかった。心がぐちゃぐちゃだからこそ、一周回って落ち着いているだけなのかもしれないけれど。
「戻るのはいつ頃になるの?」
「そうですね……暫く帰っていませんでしたし、婚約の件も合わせてゆっくり時間を取るつもりでいます」
「そう……私もこのお休みは忙しくなりそうだし、卒業式が終わったら時間を作っってどこかに出掛けましょうか」
「そういえば学園外でお会いした事ありませんでしたね」
「テストも重なったから、お互い考えた事なかったわよね。何をお揃いにするかは、その後に出もゆっくり考えましょう」
「良いですね、そうしましょう!」
ふくふくと微笑むロゼットは、いつもの清廉な雰囲気よりもずっと幼く見える。お手本の様な笑みは美し過ぎるせいで作り物染みた側面があるけれど、ただ柔らかく笑むロゼットは愛らしさが増すばかりだ。
『理想のお姫様』を求める者には前者の方が重要なのだろうけど、愛らしさと美しさを両方兼ね備えた今の表情が見れないなんて、随分と勿体ない考え方だと思う。
「楽しみだわ」
「私もです。実はこっちに来てからちゃんとお出掛けした事ってなくて」
「そうなの? 私もそれほど詳しい訳ではないけれど、素敵なお店が色々あるのよ」
ロゼットとの会話の中、頭の片隅に過った『予定』がある。
ユランと二人で、実家に帰る最後の日。祖父の決定だ、父に覆す力はない。どんな暴走に出るのかは分からないが、ユランがいるのだ、恐怖を覚える必要もないだろう。怒りに染まった父の表情が思い出されたけれど、それすらも滑稽な暴走だったと思える。ヴィオレットの凪いだ心に、風が吹く事も波が立つ事も無い。
そんな、諦めとはまた別の無関心さ。
その理由を、ヴィオレットは何となく理解していた。




