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アスタシア王国の男装令嬢         作者: 大鳥 俊
三章:男装令嬢と「熱風と臆病風の吹く秋」
78/79

番外編5.文庫本を片手に


本日(2016/4/5)番外編更新二話目。

時系列は番外編3と4の間。おまけのエピソードです(*^_^*)


  





 ――願い事がひとつだけ叶うとしたら、君は何を願う?


 愛しくて、愛しくて。

 でも決して届かない手をぎゅっと握りしめたまま。

 尋ねられた私は瞳に涙を溜めて、唯一絶対叶わない願いを口にする。


 貴方と一緒に居たい――と。



◆◇◆◇◆



 ぬっと顔を上げ、持っていた本を手放す。

 ぱたむと、本の閉じられる音と共に、男爵令嬢の言葉は紙面の海に消える。

 もう何度目か分からないけれど反射的に後頭部をさすり、ユリウスはチラリと本を見つめた。


 事のきっかけは些細なことだった。


 フィリップが良く屋敷に来るようになった。

 初めの頃は休暇日の昼下がりに。少し経ったら休暇日の午前中に。最近では仕事が終わった、夕方にも。


 公務が少ないのかな、と一瞬思ったけれど。様子を見る限りそれはなく。

 日に日に増える来訪に、ユリウスは首を傾げた。


 こんなに外は寒いのに。

 時間なんて、ない癖に。


 ほんの五分でも顔を出しに来る彼に「用があるなら次の日に聞くよ?」と、言い渡したのが先日。

 するとその翌日から来訪が無くなってしまったのだ。


 ちょっとさみしいと思ったのは内緒である。



 しかし、この出来事を知っている人物が一人。


 侍女マリーである。


 ピタリと止まった来訪に疑問を抱いた彼女は、ユリウスに訊ねた。(問い詰められたとも言う)

 そしてこの会話を知られる事となったのだが。



「それはないですよユリウス様……」



 溜息をつきながら首を振るマリーに、何が無いのかと尋ねたら。

 彼女が無言で渡してきたのが、先程の本だった。


 つまり、読めという事だろう。


 そう悟ったユリウスは本の表紙に視線を落とす。

 

 薄らと涙を浮かべた令嬢の横顔と、すらりとした男性の後ろ姿。

 男性の服装は明らかに高貴な人を連想させ、少しだけ背後を気にするような振り向きざまの横顔は、ご想像にお任せ致しますとばかりに、細かく描かれてはいない。

 ただ、スッとした鼻筋が描かれている時点で、美男を想像してほしい意図が透けて見えた。


 一目で恋愛小説だと分かる表紙に、身が痒くなる。


 これは勉強。

 誰がなんと言おうと勉強だ。


 マリーから手渡された文庫本の表紙をめくり、ユリウスは文字を追う。


 途中、何度も本を手放した。

 それでも元来負けず嫌いなユリウスは、途中でやめる事だけは自分に許してはいない。

 そうしてようやく。本当にようやく。先程のページまで辿り着いた。およそ、半分読み終えていた。


 そこで一つの感情が沸き上がった。

 とても重要で、根本的な疑問。



「……これ、参考になる?」



 自分しかいない執務室で。

 ぱたむ、と気の抜けた音が上がった。



◆◇◆◇◆◇



 休みなのに逆に疲れたユリウスは、いつもの部屋に来ていた。


 仮面騎士が指示を受ける為の伝達部屋。

 王城の部屋とは思えない無機質な内装。一応、机と椅子はあるが、それも飾りのような物で、ユリウスも殆ど使った事が無い。


 壁を挟んだ向こうには自身の仕える主、フィリップがやって来る。自分に指示を出す為だ。

 本来、落ち着いた態度で臨まねばならないのに、やけに心臓がうるさい。

 初任務でもないのに、何故だろう。


 慣れ親しんだ壁に背を預け、隣の部屋からの合図を待つ。



(今の私はフィーの恋人ではなくて、騎士ユリウス)



 そう、()はセクト家長男(・・)ユリウス=セクト。

 まじないの様に自分の立場を繰り返し、心を落ち着かせる。


 フィリップと話をするのは五日ぶり。

 少し前ならそれは当たり前だったのに、今回はすごく長かった様に感じる。

 以前はもっと話す機会が少なかったというのに。



 しばらくしてノックがあった。

 決められた回数、リズムが壁向こうから響く。


 ただ。これは――……



「……ミラー?」



 待ち望んでいたはずの音は、フィリップの合図ではなかった。


 結局その日はフィリップと話をする事は出来ず、ミラーから伝達された仕事をこなす。

 この仕事には三日ほど時間がかかった。想定より早い日数で終えてはいるものの、なんだか落ち着かない。心の中がずっとそわそわしていて、早く地に足を付けたい気分だった。


 休暇日を挟み、翌日。

 休みにも顔を出さなかったフィリップは、やはり伝達部屋にも来なかった。


 五日前と同じようにミラーから仕事を言い渡されたユリウスは、本来なら言うべきではない言葉を彼に投げかける。



「殿下はいかがお過ごしでしょうか?」



 ミラーが仕事の伝達に来る事は珍しくない。

 それはフィリップが彼を信用しているからで、同時に、自分への指示より大事な案件があるから。


 わかっている。

 自分より優先される事柄があるぐらい。分かっている。


 だけどもユリウスは、その事実に苦しくなる心を持て余していた。


 ミラーからの解答は「精力的に公務に当たられている」とだけ。

 当たり前だ。大事な案件を抱えていたとしても、指示の無い自分には伝えるべきではない。



 それからも日は流れ。

 毎日毎日、今日は会えるだろうかと期待を膨らませ、ミラーの声を聞く度に気落ちする。

 休暇の日も最初から身支度を整えていたし、フィリップの好きな紅茶の用意もした。

 窓辺から門扉を眺めつつ、変装してやって来る彼の姿を探す。無意識に胸元のペンダントを握りしめた。だけど彼は一向に姿を現さない。


 元気かな?

 忙しいのかな?

 私では役に立てない?


 解決したはずの想いがまた沸き起こって来る。


 ユリウスは首を振る。


 こんなの、私らしくない。


 フィリップと会えない事はよくあったじゃないか。

 自分は公に姿を現さない、仮面騎士。本来接触は最低限にするべきなのだから。


 ――だけど。



「……会いたい、な」



 たったの二週間でこんなに寂しいと思う自分が信じられなかった。



◆◇◆◇◆◇



 フィリップに会えず、声すらも聞けないまま、一カ月が経とうとしていた。

 その間ユリウスは連絡を一切しなかった。

 寂しいと思った気持ちに気付かなかった振りをして、ミラーから届く指示を全うする。


 忙しいフィリップの邪魔をしたくなかった。ただ、それだけだった。



(――今なら、ちょっと分かるかも)



 マリーから借りた文庫本。

 身分違いの恋に悩む二人は、お互いの邪魔をしたくないと遠慮ばかりしていた。


 ハッキリ言えばいいのに。

 読んでいた時はそう思っていたけれど、それは現実には難しいと気付かされる。


 会いたいけど、邪魔をしたくない。


 この気持ちは同時に存在するのに、その両方を満たす事は難しい。

 純粋に、会いたいと想う気持ち。一方、その想いが相手の邪魔になるかもしれないという恐怖。

 焦がれる思いと同時に沸き起こる不安は、ハッキリと想いを伝える事に二の足を踏ませる。


 物語はすれ違いを経て結ばれるハッピーエンド。

 だけど自分とフィリップの場合は結ばれて終わりじゃない。ずっとずっと続く未来があるからこそ、一時の想いをそのままぶつけて良いのか迷ってしまう。


 それに。と、ユリウスは言葉を呑み込む。


 今回の事で気付いてしまった、この気持ち。

 それはすごく重たくて、でも叶ってしまうならとても甘ったるくて。

 そんな気持ちを抱く自分の存在自体に驚いていた。


 だから、こそ。

 今は動いてはいけない。と、考えていたのだが。


 今回ばかりはその考えが仇となる。



「……殿下は精力的に仕事をされているが、少し元気がないようだ」



 仕事の報告をした後、ミラーがそんな事を言った。

 以前、自分が質問した事を覚えていたからだと思う。



「……体調が、思わしくないのか?」



 内心、心配で心配でたまらないのに、かき集めた理性を総動員し騎士ユリウスとして言葉を発する。春がもうそこまで来ていると言えど、アスタシアの冬は寒い。無理をすれば、身体に響く。



「これは俺個人の見解だが。体調というより、気持ちの問題のように思える」



 ミラーが体調を気遣っても大丈夫だと言い、城下へ出かけますかと誘っても必要ないという。


 なに、それ。


 体調が悪いなら薬を飲んで休めばいい。

 気晴らしが必要なら城下へ行けばいい。


 フィリップは(うれ)いをそのままにしておくような事をしない。

 そういう事柄は、溜め込んでもロクな事がないと知っているから。



「……なあ、ユリウス。お前は何か思い当たらないか?」



 それを知っていたら。もう、動いていた。



◆◇◆◇◆◇



 ――願い事が一つだけ叶うとしたら。君は何を願う?


 今、それを問われたら。

 ユリウスは間違いなくこう答える。


 そんなの、フィーに会う事に決まってるじゃないか!



 ユリウスは隠し通路を通り部屋へ行く。

 仕掛けは昔のまま。自分だけの合図で石壁を鳴らす。



「フィー、私」



 (はや)る気持ちを抑え、解錠されるのを待っていると、カタンッと音がして石壁が動き出す。


 先に続くのはフィリップの私室。

 だから、解錠してくれたのも当然彼で。


 奥から照らされる光で通路に影が伸び、目の前に現れたフィリップを見て。

 ユリウスはそのまま彼の胸に飛び込んだ。



「フィー……!!」



 捕まえたとばかりに抱き締めれば、優しく背中を撫でられる。

 触れる大きな手は温かくて、愛しくて。心を溶かしてしまう魔法がかかっている気さえする。



「……久しぶりだな、ユウリィ」



 聞いた声は落ち着いていて。

 呼ばれた愛称にはたっぷりの愛情を感じる。

 会ったら言ってやろうと思っていた言葉を完全に忘れ、ユリウスはギュッと腕に力を込めた。


 フィリップが笑みを湛えたまま「……寂しかったか?」と、問う。

 うんと返事をしたくても声が出なかったから、コクコクと頷く。



「……俺に、会いたかった?」

「もちろん、会いたかっ……」



 た。と、続けようとして、自分が何を言っているのか気付いて息を呑む。

 だけどもう遅くて。口をパクパクさせていると、フィリップは微笑む。



「……押してダメなら、引いてみろってね」



 え。と、言葉を失う。



「……ミラーが。フィーの元気が無いって言ってたけど……」

「……気付かれていたのか」

「どこか悪いの!?」



 顔を上げて詰め寄ると、フィリップが口角を上げる。



「悪くない。だけどユウリィが足りなかった」



 ヘナヘナと、その場に座り込む。


 会えなくて、寂しくて、寂しくて。

 元気が無いと聞いて心配も加わったら、もう居てもたってもいられなくなったのに。



『……押してダメなら、引いてみろってね』



 その全てが彼の作戦だったのだと思うと、すごく悔しい。


 ――そう。悔しい。


 なのに会えた事が嬉しくて。

 怒りたくても顔がニヤけてしまいそうで、だからユリウスはずるいを繰り返す。



「少しは俺の事で頭が一杯になったか?」

「……知らない」



 クスリと笑うフィリップをジト目で睨む。

 ずるい。こういうの、ずるい。更に図星だから、くやしい。


 フィリップはいつも余裕で。

 あの日、甘えてくれた事が嘘みたいに、毎日を過ごしていて。

 少しでも顔を見せてくれる事は嬉しかったけれど、そうされる事が当然であると思ってはいけなかった。甘えてはいけないと。


 だって、そうじゃない。

 寒いのに――風邪、引いちゃうよ。

 時間ないのに――倒れちゃうよ。


 頑張らないで。

 私は大丈夫。無理に、用事を作らなくていいから。



「……ユウリィ」

「なに」

「俺の事で頭が一杯になったって言ってくれ」

「……なってない」

「なったって、言って? お願い」



 お願い。

 そんな言葉を使うフィリップが珍しくて、ユリウスは横を向いていた顔を上げる。


 揺れる、青い瞳。

 いつもの、自信たっぷりな瞳じゃなくて。迷子になった子供のような、瞳。


 トクンと心臓が鳴った。

 愛しい。この人が大切だと。

 今すぐ抱きしめて、この人を安心させてあげたいと。

 波紋のように広がる響きは、身の内に隠れる甘さを伴って身体中に広がってゆく。


 気付けばフィリップを抱きしめていた。

 しっかりとした胸板に顔を埋め、背中に回した手に力を込める。



「……いっぱい、フィーの事考えてた」



 寂しかった事も、会いたいと思った事も。

 毎日フィリップの好きな紅茶を用意して、実は待っていた事を伝える。


 彼は少し驚いた顔をする。

 当然だと思う。自分だってそう思う。こんな気持ちを抱くなんて。私も驚いているのだから。



「沢山会いに来てくれて嬉しかった。でも、同じだけ心配だった。自分は甘えてこないクセに、フィーは私を甘やかし過ぎている」



 本当はこのまま続く言葉があったのだけど、続ける事は出来なかった。

 それはちょっと情けない話であり、内緒にしたい事でもあったから。


 でも、これで終わりにしたら私の本当の想いは伝わらない。

 フィリップが私の気持ちを不安に思う必要が無いと、伝わらない。

 寂しいと思うその根幹が孕む、重すぎて甘すぎる想いが、正確に、伝わらない。



「このままじゃ、私は一人で立てなくなる。フィーが傍にいない時、耐えられなくなる」



 勇気を出して伝える。


 好きだからずっと傍に居たい。

 そう思うのはおかしな事じゃないと分かるけれど。一人前の騎士としては、なんとも情けない。


 いかなる時も冷静に。剣を捧げた主の最善を目指す。


 そうあるべきの騎士が、こんなに頼りないなんて。やっぱり情けない。


 早くなる鼓動を押さえ、フィリップを見つめる。

 恥ずかしい。だけど、もうすれ違いたくないからこそ、ちゃんと伝えないといけない。



「……それ。本当か?」

「うん……このまま甘やかされちゃうと、本格的にマズイ」



 自分はフィリップの恋人である前に一人の騎士。

 役に立ちたいと思うからこそ、甘やかさないでほしい。


 恥ずかしい思いをしながら、なんとか言葉を紡いでみせる。

 ここまでが、私の正直な気持ち。だからきっと、分かってくれるハズ。


 そう、分かってくれるハズ。……なのに。


 フィリップはニヤリと笑い。

 「それ、いいな」と、続けた。



「良し決めた! これから徹底的にユウリィを甘やかす事にした」

「……って!? 聞いてた人の話!?」

「もちろん聞いていた」

「だったら、どうして!?」

「聞いていたからこそ、ドロドロに甘やかしてやる」



 だから、と、続ける。

 耳元で。熱っぽい声で。



「ずっとずっと俺の事だけ考えて。これから、一生――……な?」



 熱烈な囁きに、顔から湯気が出た。

 告白された時と同じぐらい、頭の中が混乱する。


 自分の言ったこの言葉の意味を。

 彼は本当に分かっているのだろうか。


 ――私が、フィーなしで立てなくなる事を。

 彼自身が望んでいるのだと。気付いているのだろうか。



「俺はとっくにユウリィなしじゃ生きられない。だから、ユウリィが俺なしで立てないぐらいが丁度いい」



 立つ時は一緒に立てばいいだろう? と、悪びれる事もなく。

 耳に、そして頬に口づけをおとす。



「わっ、ちょ、ちょっと!?」

「どうして慌てる? 未来の奥さんを抱擁とキスで迎えるのは当然だろう?」

「お、奥さん!?」

「何驚いてるんだ? 婚約したら、結婚式まであっという間だろう」

「そ、そうかもしれないけど……」



 だからって、今回はただ会いに来たわけじゃなくって。



「心配はいらない。深夜になっても屋敷まで送ってゆくから」

「え!? まだ夕方……」

「折角来たのだから、お茶でも飲んでいけばいいだろう?」



 気付けば会話の主導権は奪われていて。ユリウスに反論の余地はない。


 おかしい。

 私は元気がないフィーを励まして、相談しなかった事を怒りに来たはずなのに。

 初めっから言葉を失念していて今更だが。本当に、そういうつもりやって来たというのに。



「……いいけど。ただ、夜は一人で帰るよ」



 あくまでも渋々といった体で。

 本当は一緒に居られる事が嬉しい事を秘密にして。ユリウスはそっけなく返す。



「一人で帰るなら、返さない」

「だめだよ。だって、フィーが風邪引くといけないし」

「風邪を引くというなら、ユウリィも返さない」



 噛み合っているようで、合っていない会話に首を傾げる。

 逆にフィリップは良い事を思いついたように、ニッコリと笑った。



「――うん。そうだな。今日はこのまま留まって、明日の昼過ぎに帰ればいいだろう」



 それ、ほぼ一日じゃないか。

 と、苦情を言いかけて。


 笑みを浮かべるフィリップの顔が少し赤い事に気が付く。

 それに本人も気が付いたのか、片手を口元に添え視線を泳がせる。



「あー……。つまり、だな。その……」



 もごもごと歯切れの悪いフィリップ。



「『つまり』『その』じゃわからないよ」

「……分かっている。けど、これで伝わればいいと願うぐらいは、許されるだろう?」



 何の事? と思うけれど。

 こちらを見つめるフィリップの眼差しは困っているような、期待に満ちているような。

 彼の言葉を借りるなら、私に何かが伝わればいいと願いが込められている。


 言葉にしないで、私に願う。


 つまり。甘えてくれているのかなって思ってしまう。



「……それって、私に出来る事?」

「……そうだと言ったら、聞いてくれるのか?」

「また質問を質問で返す」



 ムスッとして指摘してやれば、フィリップが苦笑した。

 その表情すら甘さが漂っていて、ユリウスは恥ずかしくなり顔を逸らす。


 背中に回されていた腕に力が籠る。

 お互いの身体がもっとピッタリひっついて、体温も鼓動も分け合える程に隙間が無くなってしまう。


 緊張する。

 ただ抱きしめられているだけなのに、包まれる温かさと匂いにくらくらして、動けなくなる。

 日に日に強くなるその想いは、自分がフィリップなしで立てなくなる日が、どんどん近づいてくる事を知らせる。


 恥ずかしさのあまり、身をよじって逃げようとするユリウスの耳元へ、吐息と共に囁きが届く。


 それは思ってもみない事で。

 聞いた傍から顔が真っ赤になって。早くなる鼓動が苦しくて。本当は収穫祭の時も考えていたと言われれば、息を吸う事も出来なくなった。



「お願いだ、ユウリィ」



 かすれた声で。

 同じだけ、顔を赤くしたフィリップがこちらを見る。

 酷く照れくさそうな笑みを浮かべる彼は第二王子でも幼馴染みでもなく。

 愛を乞う、一人の男性だった。


 大好きな人からこんな表情でされるお願いを、断れる人はいるのだろうか。



「……お願いなんて、ずるくない?」

「ユウリィはいつもずるいっていうな?」

「だ か ら! 質問を質問で返さない!!」



 軽口を言い合うのは照れ隠し。

 それはお互いさまで。顔を赤く染めたままの無言になんて耐えられないから。



 男装していて、恋愛経験もなくて。

 世の中にはもっと素敵な女性がいるハズだと知っているけれど。


 時が合い巡り会えた幸運を。その手を掴む事の出来る奇跡を。

 素直に、受け取っても良いだろうか。


 ユリウスは文庫本を思い出し、フィリップの耳元で囁く。

 普段よりとびきり甘く、甘えるように。ハッピーエンドに続くきっかけとなる、その言葉を。



 ――彼の、照れた幸せそうな笑みは、一生忘れない。






【番外編5.文庫本を片手に おしまい】






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