☆23.達人は、いた。
「なっ、何を!!」
ユリウスを幻想から引き戻したのは可愛らしい声色だった。
振り向くと、声の主であるノアが袖口で額をこすっている。
目を疑った。
令嬢が袖口で額を??
そんな事、するなんて。
「失敬だぞ。セシル」
フィリップが聞き覚えのない名前を口にする。それなのに何故かノアの表情が強張った。
息を呑むようにピタリと動きを止めた彼女は、平静を装うとして失敗したかのように、ぎこちない動きでこちらを振り返る。
「えっと? ノア嬢?」
とりあえず彼女を呼んでみる。
この令嬢はノアであってセシルではないと、確認の為に。
しかし。
「ユリウス、こいつはノアではなく、セシル=ヴァーレイ。子爵家の三男だ」
「…………は?」
ノアが、セシルで、三男?
このお姫様のような令嬢が、男?
「身体が小さいのをいい事に、女装してお前に近づいた変態だ」
「失礼な! 身体が小さいのは魔法のせい! それを、治してもらおうとしただけ!」
「なんでお前が解術方法を知っている!?」
「勘!」
「アホか!!」
……眩暈がした。
あのお淑やかなノアが。
フィリップに「アホ」とか言われている。
見た目がお姫様なだけに、言い合う二人は、何か、何かが違う気がする。
「殿下と言えど、何故、男を介してキスしなきゃいけないんですか!」
「黙れ。正真正銘の王子からのキスだ! 有り難く思え!!」
しかめっ面で苦情をいうお姫様と、あしらうように返事をする本物の王子。
そんな見た目だけなら絵になる二人の言い合いの中身は、まるで子供の喧嘩のようだった。
「えっと!!」
仲裁も兼ねて声を上げると、二人が同時に振り返る。
「えっと……」
まず、何から訊ねたらよいか。
聞きたい事は沢山あるのだが、いざ、聞ける状態になると迷う。
そんな様子を見かねてか、フィリップが口を開いた。
「女装男、お前はなんでユリウスに近づいた?」
「殿下! その呼び名はやめてください!」
ノアが、もといセシルが泣きつく。
ちょっと気の毒。だけどフィリップは態度を変えず、「早く言え」と、冷たく言い放った。
どうやら解術の為に近づいた。と、いう話は信じてないらしい。
セシルが渋い顔をして、こちらに視線を向ける。
困ったような、許しを乞うような。そんな表情を作った後、「保身、です」と、短く息をつく。
「保身?」
「そう。自分の身を守るため。話せば長くなるけど……」
セシルの話はこうだった。
四、五年ほど前から成長が止まってしまったセシル。
原因は不明。当時十五歳だった彼は自分が一向に成長しない事を疑問に思い、独自調査を始める。
同時に、成長期の男子がずっと小柄なままではヘンな噂が立ちかねない為、名目上自分は領地に戻った事にし、代わりに妹のノアが王都に住み始めたように見せかけた。
妹の姿を隠れ蓑に情報を集める日々。
結果は芳しくなかった。
それどころか、いろんな夜会に出席した結果、貴族男性が釣れてしまう。
「男に惚れられても、なんもうれしくない」
同感。
セシルに親近感が沸いた。
女性の結婚は十五歳から。
大体その年が近づくころに夜会デビューをするのが一般的だが、セシルがノアとしてデビューしたのは十二歳。セシルの実年齢が、十六歳の頃だった。
そのため、妹のふりをしているセシルを気に入った貴族の男たちは、ノアが十五歳になるまで牽制し合っていたそうだ。
そして今年。ノアは十五歳に、セシルは十九歳になっていた。
このままでは貴族から縁談が来てしまうと危機感を覚えたセシルは、一つの案を思いつく。
つまり、セクト男爵家に縁談を持ち込む。と、いう事だった。
「……なんで、セクト家を?」
大筋は理解したけれど、それはうちが候補に挙がる理由にはならない。
セシルが困ったように笑う。
その表情はノアのフリをしていた時の可愛らしい笑顔というより、色気のようなものを感じた。
姿は同じなのに、印象をがらりと変えてしまう彼に驚く。
「……言い方は悪いけど。女装趣味のある男なら、安全だと思ったから」
ちょっと待て。
女装趣味な男って。
「俺が、女装趣味?」
セシルは頷き、笑う。
「ホントは男装令嬢だったんだね」
ちょっと待って!
どうして、それを……!!
表情を表に出さないように最大限気をつける。
心臓がバクバク音を立てて、この場をどう切り抜けようかとその事ばかりに思考が向かう。
(単なる否定では、突っ込まれた時に困る。だからと言って、事実と認める訳にも……!!)
焦る。
自分の正体を、ここで知られていいのか。本当に、いいのか。
「セシル。お前、何故ユリウスが女性の姿をしていた事を知っている?」
静観していたフィリップが口を開いた。
『女性である事を』ではなく『女性の姿をしていた事を』と。
そう、これならまだ確定していない。
セシルはニヤリと笑い、こちらを見る。
「ユリウス嬢は俺の事、本当に覚えてないの?」
ノアの姿で「俺」などといわれ、違和感を覚える。
当然だ。声も可愛らしいままだし、姿だって完璧な令嬢なのだから。
「ほんとに、お会いしてます……?」
慎重に。でも、本音で。
考えても何も思い出せない事に首をかしげる。
勘違いではなかろうか?
こんなお姫様みたいな子に会っているなら、多分覚えているハズだ。
続きをしゃべらないユリウスに、セシルが笑ってヒントをくれる。
「仮面舞踏会で会ってます。しかも、話をしています」
その言葉にフィリップがピクリと反応した。
だけどこっちはさっぱり。
仮面舞踏会には、時期的なもので数えると二回しか参加していない。
言わずと知れて連日参加していた最近と、五年前行った、あの時である。
「…………」
えっと。
その二つを思い起こしても、何も思い出さない自分を残念に思った。
護衛騎士という立場上、相手の顔を覚えるようにしている。
よって、最近会ったのであれば分かる自信がある。
だが、仮面舞踏会のように仮装している場合となれば、途端に自信がなくなってくる。
なんといっても、女装していたセシルの事を最後の最後まで令嬢だと思っていたわけだから。
「ああ、もう。なんで、君の記憶に残ってないかな」
セシルが悔しそうに言いながら、前髪をかきあげた。
金糸のようなさらさらの髪がふわりと動く。
あっ、と。
重なるものを一つ、思い出した。
「……ひょっとして、五年前の……?」
初めての参加と女性の姿で落ち着かなかった、あの日。
ようやく席を見つけ腰かけていたら、なぜか話しかけてきた金髪碧眼男の子。
「やっと思い出してくれた! 碧眼の魔女さん!」
がばっと身を乗り出して、セシルが手を掴んできた。
この強引さ。
あの日もしつこく話しかけられて、逃げ出した事を思い出す。
そのせいでフィリップに見つかってしまったのだ。
「はい。そこまで」
不機嫌そうな声がセシルの腕を払う。
「殿下……邪魔しないでください」
「話すなら普通に話せ。触れる必要はないだろう」
舌打ちをして手を離すセシルに、ユリウスは違う焦りを感じた。
女装趣味の男と思っていたのに、一体いつ女だと勘付いたのか。
「いつ、女性だって気づいたか知りたい?」
まるで心を読んだかのような問いかけ。
内心では頷き、実際には無言を通したユリウスにセシルは笑う。
「答えはデート中の所作だね」
過去に女性の姿を見た事があるからかもしれないけど。と、続けた。
なんとも曖昧な。
所作だなんて言われても、自分で気づきようがないから困る。
「ああ。でも、確信したのは……」
セシルが思い出したように言う。
「抱き合った時かな? 森の入り口で」
「へ?」
「な!!」
フィリップと声が被った。
「ほらユリウス嬢が、ガラの悪い連中を追い払った後に、ね?」
ウィンクして、二人だけの秘密のように続ける。
なにが「ね?」なんだ。
たしかに森の入り口で抱きつかれた記憶はある。そしてもちろん、抱き合った覚えはない。
「……ユウリィ」
低い声でフィリップが呼ぶ。
……なんだか責められている気がする。
反射的に何か言い訳をしないといけない気になるのは、日ごろの主従関係のせいかもしれない。
「……抱き合ってない。抱きつかれただけ」
自分で言っていて、なんの言い訳かわからない。
「セシル……お前……」
「で、殿下、目が、目が据わってます!!」
「変態はここで成敗してやる! ここになおれ!!」
「殿下ひどいわ!!」
セシルが悲劇のヒロインのように、足を横にして座り込み泣きまねをする。
中身が男だとわかっているから止めやしないけれど、見た目的にはフィリップが令嬢をいじめているようにしか見えない。
「殿下は、嫌がる私にキスまでしておいて……」
「脚色するな!! そして思い出させるな!!」
「ひどいわ! ひどすぎる……!」
「やめろ! 気色悪い!!」
舞台女優さながらの演技に唖然とする。
内容はおマヌケ過ぎるのが傷だが、さすが五年間も女装し続けていただけはある。
「私を捨てるのね……!!」
「本気でやめろ!!」
人気のない森で怒声が響く。
ユリウスは思った。
変装力も演技力も高いセシルに感心してしまったのは、たぶん内緒の方がいい。
フィリップには特に。と。
今回もお読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)




