第68話 聖女様は間抜けな魚を釣り上げます
公爵が初めて見る聖女は、何も知らずにみれば深窓の令嬢にしか見えなかった。
珍しい髪色や上品な美貌に加え、儚げな雰囲気を身にまとい、舞うような物腰にたおやかなしぐさ。血筋の良さを重視する公爵でさえ、ビネージュの社交界にこのような空気を持つ貴族令嬢はいないと認めざるを得ない。
聖女任命の経緯を知っている公爵が、この少女が貧民街で見つかったなど嘘ではないかと……うっかり思ってしまうほど、非現実的なまでの美しさだった。
(なるほど、庶民どもが精霊の化身だなどとぬかすわけだ……)
ミサに殺到する大衆の熱狂が、公爵にも残念ながら理解できてしまった。
予期せぬ遭遇に固まる公爵に、聖女が首をかしげた。
「公爵様? どうかなされましたか?」
「……あっ、ああ。いや、聖女殿がいらしていると聞いていなかったのでな。つい戸惑ってしまった」
とっさに言い逃れた公爵に、合点がいったと美少女が頷いた。
「ああ、そうでしたか。お伺いしたことが伝わっておられなかったようですね」
「う、うむ。聖女殿はいつこちらに? 使者が来たことは聞いていたのだが、手紙を持って来たのではなく先触れであったか」
内心の動揺を悟られないよう平静を装う公爵。スムースに取り繕えたと思った、のだが……。
「え?」
聖女が目をぱちくりさせる。
「いえ、先触れを出さずに来てしまいましたので、失礼してしまったと申し訳なく思っていたのですが」
「はっ!?」
公爵はうっかり、驚きを表に出してしまった。
上流階級が他人の家を訪問する際、基本的には思い立った段階で先触れを送って在宅やスケジュールを確認する。忙しい所へお邪魔しても悪いし、行ってみたら留守だったというのは避けたい。
なので、いきなり押し掛けるのは確かにはしたない事ではあるのだが……今はそれより、“いきなり来た”という聖女の言葉。
それはつまり……。
聖女がちょっと困ったように笑う。
「なるほど、それででしたか。来意を告げたらそのまま直接王太子殿下のお部屋に通されたので、少し戸惑っていたのですが……使いの者と間違えられていたのですね」
公爵は門番がとんでもないミスをしたことを知り、一瞬で全身に鳥肌が立った。
門番には指揮官として騎士が置かれている。これは非常時に兵だけでは判断がつかないという理由に加えて、来客の素性を確認する為でもある。
式典の案内係もそうだが、受付は訪れた客がどこの誰か、相手に名乗らせる前に判別して皆に知らしめねばならない。高貴な人間に「誰だか知らない」などと言うのは最大級の侮辱になるからだ。
混乱と憤怒でいっぱいになった胸の内を隠し切れず、きしむ音が聞こえそうなカクカクした動きで公爵は使者の来訪を伝えた騎士を振り返る。
「……貴様は、裏で居眠りでもしていたのか……?」
地の底からとどろくような危険な響きに、すでに青くなっている騎士が震え上がった。
「いえ、私は……その、そんなことは……」
「ならばなぜ、こんなことになっているのだ?」
客の前なので怒鳴りはしなかったが、公爵の声には吹き上がるマグマのような怒りが含まれていた。当たり前だ。
ゴートランド教団は王国に拠点を置きながら世界中に根を張り、本拠地のゴートランド大聖堂は王都の中心部で治外法権を持つ。のみならず中小国に匹敵する軍事力さえ王都に駐屯させている特別な存在だ。
つまり王国にとって、
“もっとも密接で”
“もっとも油断できず”
“もっともデリケートに扱わなくてはならない”
組織の“国家元首級の重要人物”を、
“下っ端と間違え”
“粗略に扱い”
“帰る直前に自己申告されるまで気がつかなかった”。
……一つだけでも担当者の首が(物理的に)飛ぶ失態を、幾重にも重ねていたことになる。
しかもゴートランド教の当代の聖女と言えば、存在を嫌っている公爵でさえ特徴を知っているほどの有名人だ。
顔を知っている人間は貴族でも庶民でも数多い。まして“輝く銀髪とアイスブルーの瞳、儚げな容姿の美少女”なんて条件が揃っている人間は、おそらく王都で聖女ただ一人。
門番が来訪をうっかり見落とすなんて、ありえない。
(なぜ!? なんでこんなことに!?)
公爵に今すぐ絞め殺されそうな騎士は、パニックになりながら必死に思い返す。
もちろん当直としてさぼっているなんてことはなく、彼は普段通りに仕事をしていたつもりだ。
修道女が来て“聖女様の指示で来た。王太子にお会いしたい……”と言われて手続きをして通して、公爵へ知らせて……。
(あれ? てっきり使者だと思っていたが、本人だったっけ!?)
そのあたり、なぜかはっきり覚えていない。
確かに二人の修道女を通したけど、片方に見とれて背が低い方がどうだったかよく覚えていない。背格好は確かにこんな感じだった気もするけど、でも目を引くような美少女では無かったような……。
でも、その証拠がない。通った人間の姿なんか記録はしていない。違和感はあるのだが、でも記憶が曖昧で思い出せない。焦った彼の思考は、同じところをグルグル回っていた。
◆
「ねえココ様、ウォーレスさんに言って先触れを出してもらわなくていいの?」
「ああ、いいんだ。(ウォーレスとは)話はついてる。それよりアデル、これ手伝ってくれ」
王宮に出発する直前、ココは親しい修道女を集めてナタリアのメイクをさせていた。
「ナッツにな、化粧してないように見えるごく薄い化粧をしてくれ」
ココ自身は特殊メイクとでもいうべき、見栄えを逆に悪くする化粧を自分で済ませている。
「してないように見える?」
「女にはバレるだろうが、男は見ても素顔だと誤解するようなヤツ。ナッツはすっぴんでもイケるけど、もう一押し自然と男が目を離せなくなるような感じにしたい」
「あ~、了解~」
同僚に寄ってたかって渾身のメイクをされているナタリアが不思議そうに聞く。
「なぜ私にそんな化粧を? そりゃ、修道院と違って王宮で全くの素顔は違和感があるかもですけど」
「ちょっと考えがあってな。王宮の男どもの視線をナッツに集めておきたいんだわ」
「はあ……」
◆
壁際に寄って控えているナタリアも、あの時の“仕込み”の意味を理解して舌を巻いていた。
(まさか自分の印象を薄めて、こんな風にひっかけるなんて……)
目立つナタリアの陰で地味になっていたココは、セシルの部屋を辞去する直前に聖心力で偽装(化粧というより偽装だ、アレは)を吹き飛ばしていた。
そして法衣の下に隠していた、聖女しか身につけていない法具を襟から引っ張り出す。別に意味のある装備品ではないけど、ただの修道女と同じ法衣を着ている聖女様を一般人が見分ける目印にしているヤツ。
たったそれだけで来た時はすれ違ったことも忘れるような地味な修道女が、帰りは誰もが振り返る美少女聖女に……。
呆れたセシルがココの目論見を看破するまで、片棒を担いでいたナタリアでさえ何をやるのか分かっていなかった。それがあれよあれよという間に大問題になって、あの絶対権力者の公爵が脂汗を流す事態になっている。
(受付の見落とし一つで、こんな大ごとになるなんて……)
政治や外交って、怖い。
ナタリアはココ演出の茶番劇を見ながら、心に深く刻み込んだ。
訪問者の姿をはっきり覚えていない哀れな騎士に、額に青筋を立てた公爵は一言申し渡した。
「貴様の処分は後で通達する。営舎で謹慎していろ」
「はっ、はぃぃ……」
この瞬間、一人の騎士の更迭が決まった。
腹立ちを持て余しながら正面に向き直った公爵は、聖女一行がそのまま自分を見ているのに気がついた。
聖女がなぜ待ちの姿勢なのか。もちろん、王国側の謝罪を待っているのだ。公人の立場として、他所から恥をかかされたら詫びてもらわねば引き下がるわけにいかない。
(くそっ、厄介なことに!)
公爵は奥歯をかみしめ、必死に考えた。
……外交問題を発生させた間抜けな担当者の処分はした。しかし、そのバカが起こしたトラブルは全く解決していない。
やらかしたことが単純であるだけに、王国側にはゴネて正当化する余地さえなかった。王国側にしても、こんな一方的な失態で準同盟相手に禍根を残すわけににはいかない。公文書に残される前に、口頭で謝罪して無かったことにしておく必要がある。
その為には事態が悪化する前に王国側の責任者が聖女へ、悪気はなかったと謝罪しなくては収まらない。謝罪も軽い身分の者では聖女が納得しないだろう。
教団側の怒りが収まる、この場でもっとも地位がある王国側の責任者は誰だ?
公爵だ。
すまねえ。オヤジに因縁つけるのに時間がかかっちゃって、ココのウザがらみはまた明日。




