第66話 聖女様は王子をこっそり表敬訪問します
王太子セシルは警護の騎士から来客を告げられ、眉をひそめた。
「ココからの手紙を持って来た? そいつは本当に大聖堂からの使者なのか?」
神官に偽装することなど簡単にできる。ましてやセシルが聖女様に熱を上げているというのは宮中では有名な話だ。故意に広めた本人が言っているのだから間違いない。
一方であまり知られていないことだが、聖女様は王子の求愛に色良い反応を見せたことはほとんどない。
内心マジメに片思いしている王子が、心に軽く傷を負うぐらいにはそっけない対応ばかりだ。向こうから手紙が来たことなど、「悪徳業者を潰したいから手を貸せ」という色気も何もない用件の時に一度きりだ。
この態度が“ツンデレ”と言うヤツに違いないと自分に言い聞かせているセシルから見れば、いきなり聖女から手紙が届くというのは不審物以外の何物でもなかった。
「使者が本物なのはまちがいありません」
話を通したナバロが首肯した。
「持って来たのは聖女様のお付きの、あのお綺麗な修道女の方です」
「ああ、ナッツか」
セシルはペンを弄びながらちょっと考えた。
ナッツ(本名忘れた)の家はたしかウェブリー子爵家。ラグロス公爵との諍いについては中立を保っている家だ。親戚関係で言えばどちらかと言うと公爵派に近いが、子爵自身は文官との付き合いの方が深い……ああもう、身内の争いだとこういう時に敵味方の判別がめんどくさい。
僅かな時間にそういう事を脳裏で計算し、結局セシルは会うことに決めた。家がどうあれ、ナッツの素直すぎる性格を考えると……彼女がココを欺いて陰謀に加担できるような芸達者とは思えなかった。
そしてナッツの本名はまだ出てこない。
すぐに案内されてきたのは確かにナッツだった。お供を一人連れ、文箱だけを持っている。王宮に入ることが滅多に無いからだろうか。少し緊張して見えた。
「急な来訪で失礼を致しました。お目通りをお許しいただき、感謝致します」
「いやいや、ココからのラブレターを運んできたというのでな。では、さっそく見せてもらおうか」
しきりに恐縮する修道女からナバロが文箱を受け取り、セシルの元に持ってくる。彼が封印を切って蓋を開けると中に封筒は無く、紙が一枚だけ入っていた。でかでかと大きく書かれた文字は一語だけ。
『ハズレ』
「ふむ」
箱の中身を一瞥すると、セシルはナッツの背後に目を向けた。
「熱烈な愛の言葉は、直接本人から聞けという解釈でいいのかな?」
「人が心配して様子を見に来てやれば……のっけから飛ばして来るんじゃないぞ、この変態」
ナタリアの斜め後ろに控えていたお供の聖女様は、そう吐き捨てると許可も取らずに王子の前の椅子にどっかりと座り込んだ。
「えっ? あっ、聖女様!?」
今頃気づく護衛の騎士をココは半眼で眺めやった。
「おいセシル……おまえの身辺の警備は本当に大丈夫か?」
「俺も少し不安になってきた。わかって連れて来たんじゃなかったのか」
「いえ、だって……聖女様は銀髪でしたよね!?」
「どうやら私の本体は髪の色らしいぞ」
「確かに目立つ特徴だがな……」
今日のココは髪を庶民に多い茶色に染めていた。ついでに顔も少しくすんだ色に塗って目鼻立ちもぼかしている。普段から一般の修道女と同じ法衣を着ているから、目を引く特徴さえ隠してしまえば地味な見習い修道女の出来上がりだ。
これで貴族の子女としても見栄えの良いナタリアの後ろをついていけば、もう聖女のほうがお供にしか見えない。現にナバロだけでなく、ここに来るまで門番も廷臣も誰一人ココに目を向ける者はいなかった。
「手荷物をナッツが抱えている辺りでおかしいと思えよ」
「……そういえば、何のためのお供だって話になりますよね」
洞察力に欠ける騎士の眼力に、雇用主と来客は同時にため息をついた。
「事態が収まったら、部下のお勉強会を開いた方が良いぞ?」
「考えておく……それは置いておいて、ココがわざわざ王宮まで来てくれた用向きを聞こうじゃないか」
「うむ」
ココは椅子に深くかけなおすと、茶を一杯リクエストした。
◆
「世間の噂を活用しましょう」
ウォーレスのプランは単純だった。
王子様がなんだかんだ理由をつけて、定期的に大聖堂へ彼の女神に会うために詣でているのは有名な話だ。
それが政界の不穏な動きで停まっているのは、宮廷内なら誰もが知っている。そこへ会えなくて寂しがった聖女のほうから、逆にコンタクトを取って来た……そういう筋書きなら、違和感なく王子に連絡が取れるはず。司祭はそう主張した。
「色ボケに見せかければ、教会が何やら画策しているとも取られますまい」
「それでも疑心暗鬼になっている連中は、そこに何か隠れてると疑うんじゃないか?」
「失礼しました。こう見せかければ、疑わしく思っても難癖はつけにくいかと。王子と聖女様のラブラブなのはいつものことですからね。普段にないことだからと咎め立てする根拠が薄く、内心疑っても手紙を届けることを遮ることができないでしょう」
「なあ、私は外からそういう風に見られてんの? セシルの立てた噂でそんな風評被害にあってんの?」
ココとしては根も葉もないうわさにお墨付きを与えるようで、当事者として大変に不本意なのだが……でも確かに、一番自然に接触できる。
不承不承ココが了解したので、ウォーレスが早速教皇へ了解を取ってくると去りかけた。
ココは自分も続こうとしたが、一つ気になったので聞いてみる。
「なあウォーレス。教会としてはセシル支持で良いのか?」
「先ほども言いましたが、我々に都合がいいという点で見ればセシル殿下の方がありがたいですね。あの方は決して操りやすい人材ではありませんが、文官肌なので理屈と政策で考えておられます」
「会った覚えもないが、叔父貴ってのはどんな奴なんだ」
「公爵は感覚的な人ですね。名誉や血統、貴族の誇りなどと言った形式的な面が大好きです。正直、頂点に立ちたいという名誉欲は旺盛でしょうが……内政に興味があるのかどうか」
「ナルシストのガキ大将か」
大きすぎる権力を持った自惚れ屋は、大体ろくなことをしない。
ダニエルみたいに下からコツコツ積み上げたリーダーだったら、世間に揉まれて自分の限界も挫折も知っているのだろうが……王弟なんて身分のおかげで、公爵は自分の能力に疑いを持ったこともないに違いない。
「それで、ウォーレスはセシルの方が良いと思うわけか」
「それともう一つ。我々ゴートランド教団としては切実な問題もありますし」
「なんだ?」
セシルの助力が必要な問題が、今教団にあっただろうか?
「聖女様の大事な押し付け先ですからね。王子に今退場されたら後が困るんです」
ココは自分の前を下るウォーレスの背中を、出しうる限りの力で蹴り飛ばした。
◆
「なるほどな」
ココが来た経緯を聞き、セシルが頷いた。
「教会でそんな話が」
「うむ」
説明し終わったココが、出された茶を飲んで口を湿らせた。
「あのウォーレスがあられもない悲鳴を上げながら、らせん階段をゴロゴロ転げ落ちていったのはなかなか面白かった」
「それはどうでもいいのだが」
セシルが執務机の天板を指先でコツコツ叩いて考え込んだ。
「ゴートランド教団の後援があるとなれば、話が違ってくるな。正直あちらとこちらの軍事力が違いすぎて、今は身を守るので手いっぱいになっていたんだ」
憂い顔の王子様は机をたたくのをやめると両肘をつき、組んだ指先の上に顎を乗せた。
「叔父上が露骨に宮中で力を誇示するようになって来てな。人目が無ければ襲撃も辞さないほどだ。こちらは王宮の中だというのに、やたらな場所を歩くことさえできない。おかげで閉じ籠って向こうの多数派工作を指を咥えて眺めているような状況なんだ」
「そういう脅しはダニエルたちの専門分野だぞ。おまえの叔父貴はどこのギャングだ」
呆れかえったココの指摘に、その甥っ子も苦笑いする。
「やってることは大して変わらないのだが、プライドだけは高いのだよな……ココ、おまえならこういうヤツはどう対処する?」
「私だったらか?」
ココは茶菓子を平らげてセシルの分に手を伸ばしながら考えた。
「お互い一線を踏み越えないように、ギリギリで睨み合っている状態だよな。私なら、か……」
どうする?
ココの流儀でやるのなら……。
虚空を睨んでいるココが無意識に茶碗を振るのを見て、ナタリアが急いでお代わりを注いだ。気がつくと、なぜか出先でもお茶くみをやらされているナタリア。
「……あっ、申し訳ございません! お客に茶を入れさせてしまいまして!」
人払いをして召使もいないことに今頃気がついたナバロが、慌ててナタリアを座らせて給仕を代わった。
「いえいえ、いつもやっていることですので」
「とんでもございません! 修道院の中でもないのに、貴族のご令嬢にこんなことをさせるなどと……」
ナタリアにペコペコしている騎士を見て、ココが指を鳴らした。
「威張りたがりは我慢が足りない。叔父貴はそういう性分か?」
「ん? まあ年食ってるだけあって、思い上がった若手みたいに場所も考えずに怒鳴り散らすようなことはないがな。下の者に意見されただけでも根に持つタイプではある」
「ふむ。じゃあ下請け扱いのゴートランド教団の、貧民出身の成り上がり女幹部なんかに大衆の面前で軽くあしらわれたら……一発で発火するかな?」
「……おまえ、何する気だ」




