第47話 聖女様は恥じらいを覚えます
事前の予定では、ウォーレスは既に壇の下に下がっているはずであった。
聖女が壇上へ上がるまでは手を貸すが、後は聖女が自分で指定位置について祈りを始める手はずになっていた。それを介助の振りをしてひざまずくまで付き添ったのは、さっきから下で何を騒いでいるのか訊くためだ。
ココとナタリアだけならいつも通りにどうでもいいトラブルなんだろうと思ったけど、騒ぎ方が教皇が降りてからの方がおかしかった。
かといって司会中に状況を見に行くわけにもいかず、当事者が上がってくるのを待って確認しようと思ったのだ。
ひざまずこうとするココの脇で先に片膝を突いていたウォーレスが囁く。
(聖女様、いったい何をやらかしたんですか)
(なぜ私と決めつける)
(他にいないからです)
真理だ。
(まあ、そうなんだけどさ)
一回背筋を伸ばし直して右手で宙に大きく聖印を描きながら、ココは頭上のステンドグラスを仰ぎ見た。背後の会場の者たちからは神秘的な光景に映っているだろう。
その間聖女の動かない唇からこぼれ出たつぶやきは、
(今朝ボケてて、うっかりパンツ履き忘れた)
である。
「……」
ココが大げさな動作で印を切る間、ウォーレスは仕事があるような演技もせずに硬直していた。
教皇庁の情報戦の元締めであるウォーレスが、たった一言のどうでもいい呟きを処理しきれなくて公の場でフリーズしている。非常に珍しい光景だけど、ココの方が忙しくてニヤニヤ眺めていられないのが残念だ。
もう一度立ち上がりながら横の司祭に声をかける。
(おい、詠唱に入るから降りろ)
(………………はっ!?)
想定の斜め上過ぎる耳打ちをされて固まっていたウォーレスが、ココに急かされてやっと我に返った。
本来ウォーレスが袖に引っ込まなければいけないタイミングを大幅に過ぎている。頭が回っていないまま慌てて下がろうとした辣腕の司祭は、最後の二段を踏み外して滑り落ちていった。
(ウォーレスもまだまだ修行が足りないなぁ……さて!)
自分のせいで司会が転げ落ちたのを横目に見ながら、聖女は袖を大げさに横へ払うとひざまずき、天を仰いで指を組んだ。
最前列だったので、側近が踏み外したのをバッチリ見ていた教皇(と修道女)。
(ウォーレスさん、動揺してますね。余計なことを聞いたんだろうなあ)
(後にすればいいものを。急いで今確認しようとするから、あんなことになるんじゃ)
なかなか辛辣な評価をすると、二人の視線が上がる。
壇上では女神を讃え王国の繁栄を祈願する聖句を、ココが鈴のような美声で朗々と唱えている。音響効果を元から考えてある設計とはいえ、大聖堂の広い空間に響き渡る伸びやかな声の張りは目を見張るものがある。
こんな光景を見てしまうと、聖女の歪な成長がつくづく惜しいなと教皇ケイオス七世は思ってしまう。
(あやつ、普段聖典の暗記をするのはまるでダメなのに……こういうのは覚えられるんじゃな)
(覚えさせたんです。一行暗記で銅貨一枚。全文通しで暗唱出来たら半銀貨一枚。今日成功したら銀貨三枚)
(本当に……地頭は良いのに残念な奴じゃなあ……)
(これでもう少しマジメでしたら……)
教皇もナタリアも、感心するやら呆れるやら。
そしてミサのハイライトを見ながら、二人同時に思う。
(澄ました顔をして、履いてない……)
◆
大聖堂を後にして、ココは唸りながら伸びをした。
「やっと終わったな……今日のはさすが特別行事だ。長かったなあ」
「私は別の意味で、ものすごく長く感じましたけどね……」
ぐったりしているナタリアのぼやきをココは笑い飛ばす。
「別にナッツが履き忘れているわけじゃ無いのに。法衣が風でめくれるわけ無いんだから、素知らぬ顔をしていればなんでも無いだろ」
「それはそうですが!? でも、気になっちゃうじゃないですか……なんで当の本人が平然としてられるんですか」
「ふふふ、私はぶっつけ本番に強いんだ」
「そういうレベルの話では無いような……」
退屈なミサのはずだったけど、意外なアクシデントで今日は暇しなかった。
履き忘れの緊張感とか、たくさんいる中で自分たちだけが秘密を知ってる優越感とかが気持ちよかった。そして何より秘密を教えられた時のナタリアや教皇、ウォーレスの意外な慌てぶりときたら……。
「うーん、今日のが面白すぎてクセになりそうだ。またやろうかな」
一人ご満悦なココが漏らした言葉に、気が気じゃなかったナタリアが悲鳴を上げる。
「こんなの二度もやられたらたまりません! これ以上のトラブルは勘弁してください!?」
「いいじゃないか、別に困ることなんて……」
泣きそうなナタリアへ、何故か得意げにココが言いかけた……その時。
「ココーッ!」
王子登場!
「ぎゃああああああ!?」
聖女絶叫!
ちょっと赤面したココは別に何も言われていないのに、法衣の下半身をとっさに手で押さえて突如乱入した王子様を睨みつけた。
「な、なんだセシル!? ミサは終わっただろ? 教皇庁まで何しに来たんだ!?」
「なんだも何も!」
年上の加護欲を掻き立てる見目麗しき王子は、なぜか夢見る少年のようにすっごいエキサイトして活き活きしている。
「俺のココが“履いてない”と聞いて飛んできた!」
「ぎゃああっ!?」
履き忘れが、よりによって王太子にバレていた。
真っ赤になったココが喚き散らす。
「誰に聞いたッ!? 失せろ変態!」
「おいおい、いきなりご挨拶だな。ウォーレスに聞いて全速力で走って来たのに!」
さり気に密告者を売ると、すっごく人の悪い笑みを浮かべたセシル王太子は手の指をワキワキさせる。
「そういう素敵イベントをやっているなら、先に言ってくれよココ! 事前にわかっていれば、ミサの間中これでもかとニヤニヤしながら見つめてやったのに!」
「おまえがそういうヤツだから知られたくなかったんだ!」
さっきはあれだけ他人にムリヤリ秘密を共有させて面白がっていたココが、今は真っ赤になって法衣を押さえている。
王子様も、履いていないこと自体よりも恥ずかしがるココのほうを愛でに来たみたいだった。
「俺に知られて嬉しいくせに照れちゃって! ココは可愛いな、もう!」
「死ね! 変質者!」
「今日のところは変質者はおまえだろう」
「うがーっ!?」
言い返せないで歯噛みするココに、美麗な王子様が変質者そのものの動きでじりじり迫る。対するココも、法衣の裾を押さえてじりじり逃げる。
その動きにナタリアは疑問を持った。
「ココ様、さっきは法衣がめくれる事なんか無いから堂々としろって言ってたのに」
「気持ちの問題だ! 今ここにそれを知っている変態が待機しているんだぞ!?」
そんなことを言ったら、儀式の最中に嬉々として「履いてない」と言って回ったココ自身はどうなんだろうとナタリアは思った……が、口には出さなかった。余計なことを言って巻き込まれたくはないから。
「しかしココ。おまえ自分がパンツを履いているかどうか、ちゃんと確認したのか?」
「はあっ?」
「もしかしたら気がするだけで、実は履いているかも知れないぞ?」
「それがなんだ! そんなのおまえに関係ないだろ!?」
「いやいや、念の為に確認した方が良いかもしれない。結婚式でガータートスをする練習を兼ねて、俺が確認してやろう」
「いらん! 寄るな! そもそもお前と結婚する未来は来ない! おまえは理由をつけてスカートの中に潜り込みたいだけだろう!?」
「判っているなら、いちいち説明させるなよ」
「本当に死んでしまえ!」
「まあまあ、遠慮するな! 王太子自ら確認してやるから光栄に思え!」
「誰が思うか! 近寄るな!」
突如始まった鬼ごっこを見ながらナタリアは……やっぱりこの二人、お似合いなんじゃないかなとほんのり思った。
「なんていうか……お二人って、“割れ鍋に綴じ蓋”って感じですよねえ」
「聞こえてるぞナッツ! とにかくおまえらどっか行け! 私は部屋に戻ってパンツを履くんだ!」
「俺は履いてない君が好きさ!」
「特におまえは今すぐ帰れ、変態王子!」
廊下のど真ん中でぎゃあぎゃあ騒ぐ若者たちを眺め、教皇は額を押さえて首を振った。
「教皇庁の心臓部で、パンツパンツと連呼するな……」
「若いって、いいですね」
「それでまとめるでない、ウォーレス」
なんで履き忘れたかはまた明日。




