第31話 聖女様は直接話し合うほうが得意です
毎日毎日、テレジアの身の回りでは彼女が恥をかくようなハプニングが起こる。夜も油断すると“悪夢”を見るのでおちおち寝ていられないし、その分日課にもしわ寄せが出ている。
三日もすると、さすがにゲッソリとやつれたテレジアの様子に他の者もおかしいと首を捻るようになってきた。
そして五日もするとテレジアが聖女様相手に“やらかした”らしいことが広まって……誰も気にしなくなった。
何をされているのか判らないけど、ココを怒らせるようなことをしたのならやり返されてもおかしくない。それならごくごく普通の日常だ。気にするような話でもない、と言うのが大方の意見だ。
……別の言い方をすれば、手が出るほどに怒っているココと関わり合いになるのを避けたとも言う。
なにが悲しゅうて場所もわきまえずやらかした我が儘っ娘に巻き込まれなくてはならないのか……そして聖女の不興をかってまでテレジアの肩を持つほど親しくしている人間もいない。けんかの仲裁を買って出て、うっかりテレジアに連座なんて冗談じゃない。
貴族令嬢の皆が皆、テレジアみたいに目端の利かない人間ではないのだ。
修道院とはいえ、ここは高貴なお嬢様がちょっとだけ勉強に来るマルグレード女子修道院。シスター・ベロニカからシスター・テレジアまで、聖人君子なんかほぼいない。
皆、自分が一番かわいいに決まってる。
十日ほどで、聖女に喧嘩を売った当の本人のところまで噂が到達した。どれだけ周りと溝があるか判る伝達速度だけど、幸いなことにテレジアはそれに気づいていない。
それはともかく、怪奇現象にからくりがあることは本人まで伝わった。
「あの下賤なガキが、裏で糸を引いていたわけね……!」
散々怯えさせられ家に逃げ帰ることまで画策していたテレジアは、真実? を知り激怒した。
高貴な侯爵家令嬢の自分に、身分もわきまえぬ貧民が悪戯を仕掛けていたなんて許せない。その悪だくみに思いっきり怯えて狼狽えていた可哀想な自分の醜態を、品性下劣な聖女はこっそり影で笑っていたなんて……ただじゃ済まさない!
テレジアは吼えた。
「裏でこそこそ嫌がらせをしてくるドブネズミに、正面から思い切り殴りつけてやらないと気が済みませんわ!」
もちろんテレジアの言う“殴りつける”というのは、素知らぬ顔で裏で汚い工作をする聖女に面と向かって「バレているんだぞ!」と怒鳴りつける事だ。
己の所業が白日の下に晒され、聖女が処罰を恐れて地面に頭をこすりつけて泣いて謝る姿が目に見えるようだ……だが、謝っても許すつもりはない。あの手の連中は表面的には謝罪しても、ほとぼりが冷めたらまた何かやらかすに決まっている。
まるっきり自分のことだとは判っていないけど、テレジアの思考は一周回って正解に到達していた。
「お父様に言って、生意気でクズの聖女をきつく断罪をしてくれるわ! ……まずはあいつに詫びをいれさせてやる!」
テレジアは聖女を締め上げるため、直ちに彼女のいそうな場所へ向かった。
◆
他の者に聞いてたどり着いた聖女の部屋には、留守番しかいなかった。
テレジアの居丈高な抗議を受けた、聖女の側付きのなんとかの反応は……。
「では、直接ココ様に言われてはどうですか?」
と言う薄いものだった。
自分が応対する気、無し!
「あなたねぇ……!」
このぼんやりした女も気に食わない。
側付きのくせに、貴人を怒らせた主人の代わりに取りあえず謝罪するとか、やるべきことにまったく気が回らない。
テレジアは怒鳴りつけて立場を思い知らせてやりたい気持ちに駆られたが……今はあの貧民を叩きのめすほうが先だと思い直した。
「ならば聖女を今すぐ呼びなさい!」
と命令するも……。
「ココ様なら、古いほうの礼拝堂に行っています。こちらから行ったほうが早いですよ」
お使いをする気も無し。
(マルグレードは本当にロクな人間がいませんわね!?)
サルボワ侯爵家に生まれて、テレジアはどこでも最優先で遇されて来た。彼女にとって、マルグレードほど軽く扱われた場所は無い。全くここは、どいつもこいつも……。
(お父様に言いつけて、絶対にここの馬鹿どもを一掃してやるわ!)
そう怒鳴りつけてやりたいのを、一旦我慢する。こいつらにいちいち取り合っていたら時間ばかりが過ぎていく。とにもかくにも、今は聖女だ。
テレジアはこちらから出向いてやって、さっさとあのチビを片付けることにした。
修道女どころか、貴族としてもいまいちマナーがなっていない令嬢の後ろ姿をナタリアが見送っていると、シスター・ドロテアが顔を出した。
「アレが噂の~? で、とうとう~?」
「ええ、ココ様に直接喧嘩を売りに行くようです」
ドロテアがなるほどと頷いた。
「ホントにバカっぽい子ね~」
「全くですよね」
ナタリアも相槌を打った。
「ココ様がわざわざ人気の無い場所に行っている意味が分からないんだから」
「ココ様にね~、貴族の序列が通用すると思ってるとか~。ホントにバカよね~」
◆
テレジアはこの一週間の溜まりに溜まった怒りを込めて、廃墟のような礼拝堂の扉を乱暴に開きながら叫んだ。
「聖女! この私への無礼の数々があなたの仕業だと聞いてきたわよ! 立場をわきまえないふざけた真似の報いをたっぷりと受けさせてあげるわ!」
「ほう。そいつは私のセリフなんだがな」
聖女はテレジアが来るのが判っていたかのように、椅子もない礼拝堂の真ん中に立っていた。なぜか離れた位置にもう一人若い修道女がいる。
「たかが貧民が何様のつもりなのかしら!」
「“たかが”ってのも、私の言いたいセリフなんだけどな……まあいいや。じゃあお互い気に食わないってことで、スパッと解決しようじゃないか」
「……はっ?」
下賤な聖女ごときが何を言っているのだろう?
首を傾げるテレジアに、部屋の隅にいた修道女が声をかけた。
「そっちも心の準備は良いですね?」
「え? 何の?」
ココがファイティングポーズをとってリズミカルに動き始めた。
「私もホントは貴族みたいな陰湿な嫌がらせは好きじゃないんだ。真正面から来たことは褒めてやる。ここなら人も来ないし、心置きなく殴りあおうぜ」
「殴り合うって……えっ? 拳で?」
「当たり前だろ? それとも形にこだわって刃物を持ち出したいのか? 痛いぞ、きっと」
状況がいまいち掴めていないテレジアを置いてきぼりに、ココが顎をしゃくるのを見てシスター・アデリアがさっさと手を上げた。
「決闘の立会人は私が務めまーす。目つぶしと武器の使用は禁止ね?」
「はぃっ!? 決闘ぉ!?」
「お嬢ちゃんの望むとおり、貴族らしいだろ?」
「えっ? いや、ちょっと待っ……」
「それでは! レディー……ファイッ!」
状況を理解できてないテレジアを待たず、アデリアが非情に手を振り下ろす。
呆気に取られているテレジアがイベントの主旨を理解する前に……跳ねるようにステップを踏んだココが、テレジアの脇腹に会心の右フックを叩きこんだ。
◆
「ちょっ、何するんですのっ!? いや、痛い痛い痛い!」
「ヘイヘーイ、全然当たってないぞ新入り! なんだ、そのへっぴり腰は!」
「侯爵家令嬢の私に対して暴力を振るうなんて……どうなると思って……だから痛いっ!」
「講釈垂れてる余裕があったら、一発でも当てて見せろアホウ!」
「ひぃっ、ひぃぃぃ!」
「おいおい、こっちは若い女だからって顔には当てないように気を使ってやってんだぞ? 全然勝負にならないな、おまえ。ちっとはコブシで言い返してみろ、オラ!」
「うぎゃあああああ!? 死ぬ、死ぬううぅぅぅっ!?」
「関節逆に曲げたぐらいで死ぬか、ボケ。グリグリまわすとちょっと痛いだけだ」
「ピギャアアアアッ!」
◆
いまだ意気軒昂なココが軽くフットワークを利かせながらシャドーをしている横で、ヒイヒイ泣いて這いつくばっているテレジアの横にアデリアが跪いて具合を尋ねた。
「一旦離しましたけど、どうします? 続行できます?」
「あ、ああああああ……」
「ちなみにこれ、試合じゃなくて決闘なんで。『負けました、ごめんなさい』って言わないといつまでも続くんですけど」
「いやああああ!?」
「ココ様、シスター・テレジアはまだ戦意旺盛なようです」
「うん、挑戦者はそう来なくっちゃいけないな。立会人は離れてろ」
「はーい」
「待ってええええ!」
痛みと屈辱ととにかくイカレた連中から逃げたい恐怖心で、ぶるぶる震えるテレジアは初めて……人生で初めて、泣きながら土下座して謝った。
「もういや、勘弁してぇ……」
「んんっん~? いまいち悪かったって気持ちが伝わってこないなあ~?」
極悪外道貧民聖女がイヤミったらしく煽ってくるが……テレジアには今ここで言い返すだけの度胸はさすがにない。こいつら、侯爵令嬢であるテレジアに平気で手を出してくる極悪犯罪者なのだ。
悔し涙を飲んで、テレジアは額を汚い床にこすりつけた。
「すみません。悪かったからもう許してください……」
「誰が悪かったのかなあ?」
「わ・た・し・が! 悪かったわよ!」
◆
ココの部屋に戻りながら、アデリアが後ろを振り返って聖女様に尋ねた。
「ねえ、あれまだ絶対やり返してくるよ?」
「だろうなあ」
ココもそれぐらい判ってる。
「でも、とりあえず放置しておこう」
「なんで? 危なくない?」
すたすた歩くココがアデリアを見上げ、犬歯を剥き出しにして獰猛な笑みを見せた。
「ヤツはまだ、マルグレードを判ってないからな。とりあえずは高みの見物をさせてもらおうじゃないか」
「……たぶん、ろくでもないことがまだ織り込んであるんだね?」
アデリアの呆れたような質問に答えず、ココは鼻歌を歌いながら自分の部屋へ戻っていった。




