第22話 聖女様は王子と因縁があります
テーブルを挟んで、一組の男女が好対照な表情で座っていた。
ビネージュ王国王太子セシルは光り輝くような笑顔で。
ゴートランド教団聖女ココは苦虫をかみつぶしたピットブルのような渋面で。
お茶を入れた聖女付きの修道女ナタリアが、二人の顔を見比べてココの肩をつついた。
「ココ様……せっかく久しぶりのデートなんですから、もっと笑顔で」
「デートじゃない!」
先日の「しみったれ成金野郎の喜捨拒否事件」(ココ命名)で教会……というかココはセシルに借りを作ってしまった。
それで王太子はさっそく貸しを返してもらおうと、今日大聖堂まで押しかけて来たわけだった。今回ばかりはココも逃げるわけにもいかず……。
敢えて行儀悪く音を立てて茶をすすりながら、ココがじろりとニッコニッコ喜色満面で微笑む王子を眺める。
「それにしても権利を使うのが随分早いな。もったいぶって切り札を使うような場面まで温存するかと思ったんだが」
「だってココの出す約束手形なんて、使用期限が短かそうだからな。何か月も置いておいたら、無かったことにされそうだ」
「私はそんなあくどいことはしないぞ。私の記憶次第で価値が下がるだけだ」
「同じ話だろう、それは」
ココの言いそうなことぐらい、王子様も判ってる。上機嫌の王子はお茶を飲みながら、空いたほうの指先でテーブルをリズミカルに叩いて考えている。
「せっかく俺の希望を聞いてもらえるんだ、何がいいかな……そうだ!」
セシルはうまそうにカップを空けると身を乗り出した。
「ココ、今度お忍びで街場へ遊びに行かないか?」
「遊びにって……私とおまえだぞ? どう考えても忍べないだろう」
眉間のしわをそのままに、聖女様はまったく賛成してない顔で王子の笑顔を眺めた。
自慢する気はないけど、ココは顔が良い。しかも髪も綺麗だから遠目にも目立つ。宮廷女子の憧れの的であるセシル王子もそれは一緒だ。しかも二人とも人前に出る仕事なので、民衆にも顔が相当に売れている。
そんな二人が連れ立って歩いていては、足し算どころか一桁繰り上がった目立ち方になるのは間違いない。
……なお、ココ一人なら上手く変装して時々街へ遊びに行っているのはセシルにもナタリアにも内緒だ。ココもバカじゃないので、うっかり楽しい秘密を漏らしたりはしない。
「わざわざ“信者”にもみくちゃにされに行くのか? 中に暗殺者が混じっていたらどうする」
「もちろん変装はするさ。王子様の形で出かけるほど馬鹿じゃないぞ」
ココはちょっと考えてみたが、やっぱり危ないと首を横に振った。
「おまえ一人息子だろう。誘拐にしろ暗殺にしろ、王国を狙うヤツが殺到して来そうな気がする」
そんなことを考えているヤツがこの国にいるのか判らない。だけど絶好の機会なのは確かだし、そのつもりのある連中ならセシルの行動を四六時中見張っているはず。警護が薄くなるうえに王子がいる事を広言できないイベントを見逃すとは思えない。
昔のココなら雲の上の人たちがどんな騒ぎを起こそうが、自分には関係ないので気にしなかった。だけど今は思いっきりとばっちりを受ける立場だ。政争はココが聖女を引退する四年後以降にやって欲しい。
セシルがつまらなそうに唇を尖らせる。
「ダメか? 揚げたてのピロシキを喰わせてやろうと思ったのに」
「……………………なんでもピロシキで釣れると思うなよ」
「返事をするまでにずいぶん時間がかかったな」
「うるさい!」
へらへらしつつも痛いところを的確に突いて来る王子に、ココは不快感全開でしかめっ面を見せるが……。
「いいね、その顔だ! やっぱりココの反応は最高だな!」
それを見た趣味の悪い王子を、より一層ゴキゲンにさせただけだった。
いつもこの調子。
何を言ってもダメ。
ココも口が回る方だけど、セシルはそれを上回る。
話はどんどん広がって行って、お忍び外出のことからいつの間にかココの性格、王子の女の趣味、周りへの迷惑だの立場をわきまえているのかまで飛びまくった。
……けど、ココが何を言っても王子をやり込められない。
とうとう言うことが無くなったココが面と向かって、直接的な表現を吐いた。
「真人間になれ、この変態!」
「そう喜ばれると、嬉しくってゾクゾクするな」
「本当に救いがないな!? マジでどっか行け!」
王太子に対して平気で罵詈雑言を言い放つココに、セシルは余裕な表情から一転して傷ついた顔を見せた。
「酷いな、ココ! 俺はこんなにも愛しているのに!」
もちろんこんな猿芝居でココが絆されるなんて、本人も思っていないに違いない。
そして自身が通用すると思っていない茶番劇が、ココをさらにイラつかせるのはセシルも判っている。
さらにそんな思考の連鎖をココが読んでいることもまた王子様は先読みしているはずだから、六手先を読んだココは余計に腹立たしい。
「つくづく言葉の軽い男だな。王子が軽々しく聖女にそんな言葉を吐くな!」
「俺は……こんなにも、愛しているのに……!」
「重く言えば良いってもんじゃないぞ!?」
「アッハハハハハ!」
ああ言えばこう言う王子。
地団駄踏んでいるココを横で見ていて、ナタリアは“ああ……”と納得した。
(ココ様の反応が面白いから、殿下もしつこくからかっちゃうんだろうなあ……)
反りが合わないのに波長が合う。二人はそんな関係みたいだ。ココとセシルと、これはどちらにとって不幸なのだろうか……。
確かに言えるのは、王子にこれだけ遠慮なく言えるのは聖女だけだということ。
(やっぱり、殿下の結婚相手はココ様しかいない気がするわ)
貴族の端くれであるナタリアには何となく判る。
たいていの人間なら委縮してしまって、セシルが許してもこんな会話はできやしない。それを不敬だなんだと考えずに平気でやってしまうココは、セシル王子にとって二人といない得難い人材なのだ。
そして世間からは善良系貴公子で通っているイケメン王子様が本性を見せても、平然と受けて態度を変えないのもココぐらい。“全女性の憧れ”に夢を見ていないココが相手なら、王太子ものびのびできる。
王太子殿下がご執心なのも、もっともだと思う……でも口には出さない。巻き込まれたくないから。
散々ココをいじって、王子は満足したように立ち上がった。
「さて、今日も楽しかった。ココをじっくり堪能できたから、そろそろ帰るか」
「何しに来ているんだ、おまえは! 二度と来るな、この涜神者め!」
「それは普段のココ様では……?」
「ナッツ、余計なツッコミを入れるんじゃない!」
「ハハハ! やっぱりココナッツは面白いな」
「二人一緒に合わせるな! 出し物を見たければ道化でも雇え!」
「おまえがそれでもいいのなら……だが、王妃の方が安定した仕事だと思うが」
「私を雇えと言ってるんじゃないやい!」
「ハハハハハ! それじゃ、また来る」
「こんの、クッソ野郎・・・・・・ナッツ! 塩を撒いとけ!」
「ココ様、それゴートランド教の清め方じゃないです……」
「じゃあ聖水だ! バケツで撒け! こいつの歩いた後は念入りにな! 除染しないとペストより悪質な病気が広まりかねない!」
「ハハハハハ!」
◆
王子が帰ってしばらくしたら、機嫌が悪かったココも落ち着いた。騒いだ分だけグッタリして、今は呆けてベッドに横になっている。
「まったく……昔はあいつももっと素直で可愛かったんだが」
「なぜお姉さん目線……ココ様、殿下が嫌いですよね」
面白くなさそうな顔でココが寝返りを打って、窓を閉めているナタリアの方を向いた。
「……別に嫌いなわけじゃない。あいつ鬱陶しいんだ」
「あの様子を見ていると判る気もしますが……」
ココがボソッと言った言葉に思わず苦笑してしまったけど……あれだけ腹を立てて怒鳴りまくっている割に、ココが「嫌いではない」と表現したことをナタリアは意外に思った。
「毛嫌いしているわけじゃないんですね……もっと、人間性が気にくわないとか言い出すかと思いました」
「ナッツも言うなあ……」
また上を向いて大の字になったココが、天井に視線を彷徨わせた。
「そこまでは言わん。あいつの生まれ育った境遇には同情するものもあるからな」
聖女様は指折り数えてみる。
「あの野郎に初めて会ったのは、たしか私の聖女お披露目の時だから……そうか。もう七、八年も前になるのか」




