第156話 聖女様はホッとします
「……殿下! ……殿下!」
急に目の前が明るくなったように感じたセシルの耳に、聞き慣れた声が入ってくる。
「うっ……!」
セシルが目を開けると眩しい視界の中に、何人かの男が自分を覗きこんでいるのが見えた。
「殿下っ! 良かった……!」
その中の一人、側近のナバロが思わず涙ぐむのを不思議そうに見ながら、まだ夢うつつのセシルはかすれた声で呟いた。
「ここは……今、何がどうなって……?」
「グラーダとか名乗る魔族に襲われて、殿下は一昼夜意識不明だったのです!」
はっきり目が覚め、セシルは身を起こそうとした。
「戦況は!? 今はどうなっている!?」
たしか霧の中で幻に襲われ、その正体だったゴブリンを倒した。
そこまでは覚えている。
そして確か、幻を発生させていた魔族がココを騙そうとして……。
「はっ!」
主に問われ、ナバロが頭を下げた。
「聖女様が……」
「っココが!?」
「一方的に嬲っております!」
◆
セシルの容態が安定したのを見て、ココは後をナバロに任せて魔族を拘束している現場に取って返した。
幻魔グラーダを拘束している兵士たちは、ココがいない間も善戦していた。
百人ほどで魔族の上に倒した杉に乗って揺さぶったり、振動でグラーダを痛めつけようと木を斧で叩いたりしている。勇気を振り絞って直接魔族を蹴り飛ばしている者もいた。
……まあ、消化試合と言えなくもない。
中でもゴブリンは驚異的な持久力を発揮して、交代する者もいない中で未だにグラーダを頑張って責め立てていた。
……それが必要な努力かどうかは、誰も分からない。
戻ってきたココを見つけ、ゴブリンが手を振った。腰を振りながら。
「ギャッ? (向こうは何とかなった?)」
「ああ、たぶん大丈夫だと思う……頑張ってくれてありがとうな、ゴブさん」
「ギャギャ! (これくらいお互い様だって)」
ゴブリンはリズミカルに腰を動かしながら、照れ臭そうに鼻の下を人差し指でこすった。
「ギャッ! ギャギャギャ! (俺だって心配していたんだ。あいつは、俺が大人にしてやらないとならないからな)」
ココはゴブリンのたわごとを無視して兵士たちに指示し、三本載せていた杉を二本どかした。
そのうえで魔族の胸の上に残した丸太にどっかりと座る。
「よお、まだまだ元気そうだな?」
気安げなココの呼びかけに、
「クッ、フフフ……どうだ、言ったとおりだろう? 我ら魔王四将は勇者以外には殺せないとな!」
グラーダは拷問を受けているさなかと思えないほど不敵に返した。
……但し威勢はいいが、声が上ずっている。
「ああ、しぶといことだ。正直に言えば、驚いてる」
一方のココは感情を感じさせない声色で答えながら、手の中の“聖なるバールのようなもの”をくるくる回した。
「だから、まあ、なんだ」
ココは魔族がぞっとする暗い目で、口元だけでニコリと微笑んだ。
「死ねないなんて、可哀想にな」
「……はっ?」
「悪いことは言わない。うちの女神でも、おまえのとこのでも、好きな方に祈れや……勇者が奇跡的に回復して、早く自分を殺して楽にしてくれますように、ってな。じゃないと」
ココがよりどす黒い笑みを深めて、“聖なるバールのようなもの”を大きく振り上げた。
「テメエら魔王軍、未来永劫死ねないまま折檻され続けることになるんだからさ」
◆
「と言うわけでして」
説明を終えたナバロが、セシルが倒された現場のほうを指し示した。
魔族の胸の上の丸太に腰かけたココが、あらん限りの力で魔族の頭部を“バールのようなもの”で殴っている。
右からぶつけたら左に振り抜き、返す力で逆側を殴る。
手が疲れてきたら左手に持ち替える。
そんな往復ビンタの要領で、ココはグラーダをずっと同じ速度を保って鈍器で殴り続けていた。
グラーダが失神すると、指先でくるっと百八十度廻して梃子の先端を遠慮なく顔面にザクザク突き刺している。
今セシルが寝ている所まで、ココからにじみ出る冷気と怒気が伝わって来る。
よく耳を澄ませれば、魔族があげる悲鳴と泣き声も……兵たちも一帯に張り詰めた狂気に怯えて、遠巻きに見守るばかりだ。
そこに時々混じるゴブリンの脳天気な歓喜の雄叫びが、なぜかほのぼのした感じがしてホッと和ませてくれる。
「殿下の容態が落ち着いたのを見届けてから、すぐに始めたので……むこうも、もう一昼夜」
「……ココ」
「そして、割と忠義に厚いアイツも」
ココの後ろで、だいぶ消耗した様子ながらもゴブリンも頑張っている。
「アイツはそこまで頑張らなくてもいいんじゃないか? あれは忠誠心じゃないだろ?」
「大半自分の性癖ですよね」
「ココ……」
「セシル! 意識が戻ったのか!? 起きて大丈夫なのか!?」
ナバロに支えられながらやってきたセシルの声に、ココは泣きそうな顔で振り返った。
「ああ、なんとかな……心配かけたな。ありがとう」
「セシルぅ……!」
横に腰かけたセシルの胸に、もう涙も隠せないココが抱きついた。
「本当に俺はこういう方面のセンスが無いな。まさか罠で毒を打たれるとは思わなかった」
「人間同士の戦いじゃ、ここまで極端な手は普通やらないからな……ああ、でも、本当に回復して良かったぁ」
「うん。俺も……戻って来れて、自分でも安心した」
「そりゃ良かった……ハハッ、折檻しすぎて手の感覚がもう無いや……疲れてホッとして、眠い……」
「ゆっくり寝ろよ。もう、俺は大丈夫」
セシルは優しく囁くと、自分の胸に顔をうずめて肩を震わせる聖女をそっと抱きしめた。
「凄いっすね、隊長」
「ああ……あの二人は凄い。凄すぎる」
感動の再会を見守っていた本陣直轄部隊の騎士たちが、我らが王太子と聖女の逢瀬にドン引きしていた。
「あんな会話をしながら、魔族が苦しむように二人で丸太を揺すってますよ」
「聖女様、殿下に泣きついているあいだも手の動きが止まらない……あの姿勢でどうやって腕を振ってるんだ!?」
「殿下もさりげなく魔族の指先を踏みにじってますよ!? 死にかけて今息を吹き返したばかりなのに、状況判断早え……!?」
「そもそも、後ろにあんなことしているゴブリンがいるのに、良く甘い雰囲気に持ってったな……」
グラーダが勇者セシルに首を刎ねてもらえたのは、この更に後。セシルも存分に意趣返しを済ませた後のことになる。
その時の魔王四将が一・幻魔グラーダの様子は、非常に嬉しそうだったと伝わっている。
そして魔王討伐軍がやっと前進を始めた時。
唯一人、愚かな魔族の死を悼んだゴブリンが……落ちていた石に彫った墓標を処刑場所に置いて、野花を供えていた。
「ギャ……! (安らかに眠れ)」
ゴブリンはしばし黙とうすると、本陣に遅れないように慌てて行列を追って去って行った。
墓標には、ココでさえ読めないゴブリン文字でこう書かれていた。
“今までで五指に入る素敵な尻 死後の為に今から予約を入れる ゴブリン”
◆
今回の戦いはこちらが先手を打ったということもあり、王都では今も変わらず平和な時が流れている。
この風景だけを見ている分には、去年と何も変わっていないように見えるだろう。しかし今、同じ王国の中で……人類は魔王と世界の存亡をかけて、一大決戦をしているのだ。
王国や教団など、関係者は庶民のように平和ボケしているわけにもいかない。
武人は軒並み出征しているし、残された者たちも様々な仕事に忙殺されている。
街を通過していく商人たちもほとんどは同盟軍の物資を運んでいる。輸入品などは、確実に品薄になり始めていた。
どこかでバランスが崩れればたちまち、日常が維持されているという幻想は崩壊する。
難しいかじ取りを強いられている中には、当然ゴートランド教団教皇・ケイオス七世も含まれていた。
ノックの音がして、司祭の一人が執務室に顔を出した。
「ウォーレス様」
「はいはい」
礼を言って通信係の司祭から報告を受け取った教皇秘書は、内容を一瞥してため息をついた。
「教皇聖下……」
「確実か?」
ちらりとこちらを見て確認してくる教皇に、秘書も受け取った文面をそのまま指し示した。
「はい。声明が出ました」
「やれやれ……」
教皇も、苦いものを飲み下した顔でため息をついた。
魔王討伐軍が全て出撃したすぐ後に、ウォーレスの情報網は一つの重要な情報をキャッチしていた。
内容が内容なので、今に至っても討伐軍には知らせていない。むしろ、伝わらないようにあらゆる伝達手段をシャットアウトしていた。
ゴートランド教団の最古の聖堂であり、初代勇者パーティの聖女の出身地でもあるスカーレット大聖堂。
ならびに、かつて初代勇者を支援して前回の魔王討伐戦で主力を担ったクレムト王国。
ある意味魔王討伐に関してはもっとも権威あるその両者が……今度の戦いに異議を申し立て、同盟の事務局である教皇庁へ詰問状と決議に反対する趣意書を送ってきたのだ。




