第155話 聖女様は本気で怒ります
「セシル!」
焦りを含んだココの叫びに、倒れ伏した王子は全く反応を示さなかった。
護衛の騎士たちが血相を変えて駆け寄り、グラーダのサソリのような尾に切りつける。ナバロが助け起こした王子の顔色は白く、瞳孔は開いていた。
「殿下っ!?」
側近が必死に揺さぶるが……セシルはわずかに口元を痙攣させるだけで、身体はされるがままに揺れている。すでに死んでいるのか死ぬ直前なのかも分からない。
近衛たちの斬撃なんぞまるで相手にせず、幻魔は尾を素早く収縮させて手元へ引っ込めた。
王子を仕留めた秘密兵器を、グラーダは自分の後ろで挑発するように揺らして見せる。
「ハハハハハハハハハ! どうだ人間ども、俺の作戦勝ちよ! 勇者さえ亡き者にすれば、人間ごときが何万集まろうが同じことだ!」
「うるせえ」
勝ち誇ったばかりの魔族は、いつの間にか目の前に寄っていた聖女に“聖なるすりこぎ”で殴り倒された。
横っ面へ青白く光り輝く鈍器をもろに受け、グラーダは首から宙を飛ぶ。
「ぐおっ!」
普通の人間なら十分致命傷になりそうな一撃だったが、グラーダは首が折れてそうな今の一撃でも生きていた。
「……ハ、ハハハ! おまえがどれほど俺を殴ろうが、とどめを刺すことはできない! 聖剣を扱うことはできないのだからな!」
ちょっと怯えていながらも、幻魔グラーダはまだ高笑いを続けている。
それも仕方ない。人類の希望に致命傷を負わせたのだから。
そのお手柄魔族の頭に、次は“聖なる物干し竿”が音を立てて叩きこまれた。
「ギャアッ!?」
「うるせえと言ったぞ」
頭を押さえてのたうち回るグラーダから目を離さず、ココはナバロを呼び寄せた。
「おい、ちょっとおまえの剣を貸せ」
「は……はい!」
騎士が慌てて手渡して寄こした剣をじっくり眺める。
「これ、物はいいヤツ?」
「はっ、曽祖父はオークの首を一撃で刎ねたという業物です!」
「ふむ」
思えば。
ココは聖女を八年務めてきた。
その間に何度か魔物を倒したし、人間相手の乱闘はその何倍かこなして来たけど。
それでも今まで、浮浪児時代の武器しか使ってこなかった。
なんとなく、“本物”の武器を避けてきたのかもしれない。
だけど今、初めて意識して使う気になった。
「ありがと」
ココは借りた剣をそのまま投げて返した。
「うわぁっ!?」
「あ」
よく考えたら抜身の剣、八割がた刃が付いた部分なので……投げ渡しって受け取る方には難易度高かった。
「まあいいか」
ココのじゃないし。
ココは今じっくり観察した剣を細部まで思い浮かべ、聖心力で具現化した。
「……と、こんなものか」
“聖なる剣”
初めて……さんざん聖心力を固めた道具で戦ってきたココが初めて作った“武器”だ。
聖女が蒼焔をまとった剣を構えるのを見て、それでも尻餅をついたグラーダは……腰が引けているけど……嘲笑った。
「聖心力で作れば魔王四将にも通用すると思ったか? 甘いな! 勇者の聖剣と聖心力の剣はまったくの別物だ!」
「そんなの分かってるから、一々解説は要らないんだよ」
眼の据わった聖女様は魔族を相手にしない。
“聖なる剣”を自己流で構える。
ココは踏み出しながら、力いっぱい横なぎに刀身を払った。
人っ子一人いない辺りを。
「は?」
己から五メートルは離れた辺りで剣を振るココを見て、幻魔グラーダは間抜けな声を上げた。
「え?」
てっきりココが王子の敵を討つと思っていた周囲の兵は、なぜか素振りだけして武器を消した聖女に戸惑った。
困惑の空気の中をてくてく戻ってきたココは、盾を並べた上に寝かせられたセシルの横にひざまずいた。
「え? 今のは何が……?」
意味が分からぬ聖女の行動に唖然としているグラーダは、ふと何かの気配を感じて上を見た。
自分目がけて、杉の木が倒れてくるところだった。
三本。
無様な悲鳴を上げて押しつぶされた王太子暗殺犯に向かって、ココは顎をしゃくった。
「おいナバロ、出来るだけの人数で丸太を押さえつけろ! 並の人間じゃ、あの体格の魔族を取り押さえるなんてできないからな。私がセシルの介抱をしているあいだに逃がすんじゃないぞ!?」
「は、はいっ!」
「それと、何人かでしばらくメチャクチャに殴ってろ。やつに脱出の方法を考える暇を与えるな」
「了解しました!」
それだけだと、ちょっと足りない気がする。
ココはこんな状況の中、さすがに何をしたらいいのか分からない様子のゴブリンを見た。
「ゴブさん、魔王四将とやらは試したことはあるかい?」
「ギャッ! (理解した。任せろ!)」
ココはセシルを診てみた。
まだ息はある。
そして。
もう、すぐに死ぬ。
「しっかり意識を保て、セシル!」
ココは刺された辺りを脱がせ、手を当てた。
意識は呼び戻せる。だけど身体に毒を打ち込まれたままでは意味がない。
「痛いだろうけどな……ショックで死ぬんじゃないぞ、セシル。一々蘇生するのは手間だからな!」
王子の身体の変色した部分に、聖心力を流し込む。
身体に回った魔の毒を聖心力が焼く痛みに、セシルが痙攣を起こして小刻みに跳ねる。かなりキツいみたいだ。
気をしっかり持たないと、このままではどこかのピークで心臓が止まる。
「おいナバロ、セシルが意識を保てるように話しかけろ!」
「はいっ!」
魔族を部下に任せてついてきた騎士は、ちょっと考えてから王子の耳元で叫んだ。
「殿下! しっかり! 聖女様が結婚してもいいと言い出しましたよ!」
「おいっ!」
「あっ、見て下さい! 聖女様とナタリアさんとシスター・トレイシーが紐水着で殿下を取り合ってます!」
「おまえはどういう呼びかけをしているんだ!?」
まあ、有効そうなのは認める。
セシル、意外とムッツリだし。
ココがアホな事を言っているナバロを叱責しようとした、その時。
「……ぁっ」
「セシル!?」
「殿下!」
毒を打たれてから全く反応の無かったセシルが、苦し気な声をわずかに出した。
「しっかりしろ、セシル!」
「殿下! 殿下ッ!」
まだ顔色は蝋のように白く、指先一本動かせないながら……セシルがかすかに声を出し、何かをしゃべろうとしている。
「どうした! 何が言いたい!?」
「……こ、こ……」
「私か!? 私は今横にいるぞ!」
セシルがわずかに唇を震わせ、必死に音を搾り出す。
「お、まえの戦闘力で……その二人と並んじゃ……いけな、い……」
「くっだらねえ想像働かせているんじゃない! おまえ実は余裕あるだろっ!?」
「聖女様! うわごとですから! 無意識ですから!」
「分かってるわ! 本能で言っているのが腹が立つんだよ!」
◆
グラーダを取り押さえている現場も壮絶を極めていた。
数十人の騎士や兵士が魔族の上に倒れ掛かった真っすぐな針葉樹を押さえ込み、力任せに跳ね飛ばされないように体重をかけたり揺さぶったりしている。
そしてゴブリンも大忙しだ。
「ギャッ! ギャッ! (杉の木を時々揺らせ! 木の皮がこすれて痛いからな!)」
こういう興奮している現場では、言葉が通じないのになぜか意味は通じたりする。
ゴブリンに言われたとおりに男たちが作業をし、抑え込まれている魔族が悲鳴を上げる。
ゴブリンは魔族の胸を圧迫している丸太の上にしゃがみ込むと、自分よりはるかに偉い魔の者が重みに叫ぶところへニヤリと笑いかけた。
「ギャッ! ギャ、ギャッ! (こんな樹皮が荒い木で責めて欲しいなんて、おまえはかなりの変態だな!)」
「おまえはなんだ!? いきなり現れて何を言っている!?」
悪魔神官ネブガルドがドジを踏んだ部下の話をちゃんと聞いていなかったので、特殊な趣味のゴブリンの話が魔王軍に共有されていない。これは(グラーダにとっては)痛恨のミス。
「とにかくちょうどいい! おまえ、人間どもを攪乱して俺が抜け出す時間を稼げ!」
「ギャッ! ギャッ! (俺から逃げようったって、そうは問屋が卸さないぜ? かわいい子猫ちゃん)」
「だからおまえは何を言っているんだ!?」
ゴブリンはわめく男を相手にせず、自分の仕事を始めた。
つまり、魔族のパンツを引きずり下ろした。
「何をやっているんだ!? 頭がおかしいのか、このゴブリン!?」
「ギャッ! ギャギャギャ、ギャ! (もちろん、これから何をヤるんだよ)」
「クッ、この……痴れ者め!」
皮肉にも、ゴブリンがズボンをまとめて引っぺがしたことでグラーダの尾が自由になっていた。
その尾が素早く振りかざされ、ゴブリン目がけて飛ぶ……ところを、パシッとキャッチされる。
「ギャッ? ギャギャッ! (ほう、道具持参か……ここまでやる気十分な変態は見たことが無いな。だが、その積極性……嫌いじゃない)」
ゴブリンはしげしげと“道具”を眺めると、そのまま所有者ご本人へ。
プスッ!
「グァァアアア!?」
自分の体内で作っているのに、完全耐性は無かったらしい。
そしてゴブリンは獲物が“持参の道具”で悦んで跳ねているのを見て、イイことをしたと満足げに頷くと……。
ブスッ!
「あ゛ーっ!」
◆
ココは汗を拭うと、一時間ぶりに身を起こした。
「たぶん……もう大丈夫だと思う」
医学なんか学んでないから、聖心力を当てての手探りの検診だけど。
体内の引っかかる部分は、もうないと思う。
呼吸も脈拍も安定した。たぶん、もう大丈夫。
一緒にセシルを押さえ、呼びかけていたナバロもぐったりと座り込んだ。
「後は何をすれば……」
「急変しないか様子を見ててくれ。後はそうだな……ちょっと塩と砂糖を溶かした水を飲ませてやれ。時々呼びかけるのも忘れるな」
ココはふらっと立ち上がると、腕の中に青白い光を顕現させた。
「私はちょっと、投げっぱなしの仕事を引き継いでくるわ」
実はココちゃん、セシルが倒れてからここまでずっと……人を殺せる目をしたままなのだ。




