第137話 聖女様は廃墟を訪問します
今日はまだ昼間なのに薄暗く、空は今にも雨粒を落としそう。
そんな天気の下で見るボロボロの大きな家と雑草だらけの庭先は……あまりにもおどろおどろしい雰囲気に似合い過ぎていて、合わせて描かれた一枚の絵のようだった。
「うーむ……帰るまで天気がもつかなあ」
馬車を降りながら、ココは湿気の多い空気に顔をしかめた。聖女様は髪が長いから、湿度が高いとペタンと肌に張り付いて気持ち悪いのだ。
不快感で眉間にしわが寄っているココの後ろから、もう今にも気絶しそうなナタリアが降りてくる。
「うう、なんでこんなに気持ち悪い天気なんでしょう……」
「気持ち悪いって言ったら、このベタベタした空気の方が気持ち悪いだろう。天気なんか、まだ景色が見える程度なんだからいいじゃないか」
「そりゃ大聖堂にいる時はそうですけど!? でも今日は、気持ち悪いのは断然おかしな天気の方ですよ!」
ココに反論しながらも、ナタリアはこわごわ目の前に立つ豪邸に視線を向ける。
「……よりによって、なんでお化け屋敷の除霊に来た日に限ってこんな天気なんですか……」
◆
事の起こりは昨日のこと。
教皇庁に呼び出されたココがナタリアを連れてウォーレスの所まで行くと、何故か王都の郊外の地図を見せられた。
「実はですね」
教皇秘書は地図の中の一角を差し示す。
「東の城門に近いこの屋敷なんですが……聖女様はこの付近、ご存じですか?」
「ふむ」
ココも地図を覗き込んだ。
「答える前に一つ言っておきたいのだが」
「はい? なんですか?」
「地図というものを初めて見る私に、よくわからん図形を見て実際の街を思い浮かべる技能があると思うか?」
「失礼致しました」
ウォーレスは地図を片付けた。
古くからの高級住宅街の一角に、いつからか廃墟となった邸宅があるらしい。
空き家自体はどこにでも普通にあるもので、所有権のハッキリしている豪邸などは他の人間がいつの間にか住み着くこともめったにない。
だから老朽化した家が廃墟になった状態で残っているのは、別に珍しいことではないのだが……。
「この家も最近まで、別に何かあったわけではないのですが……ここのところ怪しい人影が見えたり、おかしな現象が起こると話題になっているのです」
「ふーん」
聖女様はどうでも良さそうな顔をして菓子を食べている。
「話、聞いてます?」
「聞くだけは。でも興味はこのスポンジケーキほども無いな」
「シフォンケーキというそうです。では、要点だけ言いますと……聖女様、ちょっとお化け退治に行って来て下さい」
ココはもぐもぐ食べていた菓子を、音を立てて飲み込んだ。
「なんで私が」
ココの疑問ももっともだ。
確かに教会は業務として除霊なども行ったりしているが、それには専門職の折伏司祭がいる。聖女がわざわざ乗り出すような話じゃない。
「元々は冒険者ギルドに行くはずだった話らしいのです。それが、誰かさんのおかげでギルドが休業中でして。周辺住民も噂に動揺しているため、至急の案件として教団に持ち込まれました」
「そうか……間が悪い話もあったものだな」
「全くですね。というわけで、自分の蒔いた種なので自分で始末しに行って下さい」
お茶も飲みほしたココがフーッとため息をついた。
「ウォーレス……『俺が代わりにやっとくぜ!』ぐらい言えないと、女にモテないぞ?」
「神官ですので、特に女性モテは気にしておりません。分かったらとっとと片付けてきてください」
◆
「まったくウォーレスのヤツ……自分で片づけろって、花びんをひっくり返したのとはわけが違うぞ。あのヘタレな冒険者ギルドのおかげで、とんだとばっちりだ」
めんどくさい仕事を回されて、プリプリ怒っているココだけど……。
「あの、ココ様……?」
「なんだ、ナッツ」
「さらに玉突き衝突で、もらい事故の私は……?」
ココが責任が無いというのなら、ナタリアも是非主張しておきたい。
当日会場に行ってもいなかった自分は、余計に巻き込まれるいわれはないのでは……?
そんな思いのお付きに、ココは悲しそうな顔で首を振った。
「残念ながら……ナッツのソレは運命だな。そういう星の元に生まれたんだ。諦めろ」
「……なんで教会なんかに花嫁修業に来ちゃったのかなあ、私」
「おじゃましまーす……」
ナタリアがそーっと扉を開けた。
大きな邸宅とはいえ、あくまで個人の家。大聖堂や修道院でずっと暮らしてきたココやナタリアから見ると、玄関も廊下も非常に小さく見える。
「どうします?」
「お化け退治なんかやったこともないしなあ……片っ端から扉を開けてみるか。じゃあナッツ、私は左から廻るから、おまえ右の廊下な」
「待ってください」
さっさと行きかけたココの肩をナタリアがむんずと掴んだ。
「どうした?」
「どうしたも何も、手分けして見るんですか!? 一人で見て回って、うっかり出会っちゃったらどうするんですか!?」
悲鳴を上げるナタリアに、ココが眉をしかめて小指でコリコリ後頭部を掻く。
「お化けに会いに来たんだろ? それでこそ当たりじゃないか」
「冗談じゃないですよ!? 私はそもそも会いたくないんですよ!」
「あのなあ」
度胸の無い側付きに、業を煮やした聖女様は言い聞かせる。
「いいか、ナッツ」
「はい……?」
眼に涙を浮かべて震える修道女に、ココは毅然と事実を突きつけた。
「本当に怖いのは生きている人間だぞ?」
「……あのですね、ココ様」
「なんだ?」
「中が見えにくい大きな空き家って、浮浪者や盗賊がねぐらに使っていたりするんですけど」
「なるほど」
ココたちは二人で見て回ることにした。
二人で見て回ることにしたが。
「……待てよ?」
踏み出しかけた足を止めるココ。
「なあナッツ。二人で見て回るのは良いんだけどな?」
「はい。それが?」
「盗賊団とかから見て、若い女が一人で来るか二人で来るかって……そんなに違いがあるかな?」
ナタリアもあごに手を当てて考えた。
「普通に考えれば違いは無いと思うんですけど」
「うむ」
「オークを一撃で殺しちゃうココ様だったら、十人や二十人の盗賊団ぐらい一人で叩き潰しちゃうかなって」
「なるほどな、ハハハ!」
ココは手近な部屋の扉を開けて、真っ暗な室内へナタリアを蹴り込んだ。
◆
“か弱い女子”と言うココのメンツを守るため、ココは御者に警護の騎士を呼びに行かせることにした。人数を集めて、万全の態勢で調査に臨むのだ。
「あー、それにしても」
埃っぽい玄関に腕を組んで立ち、ココは壁を睨みながら段取りの悪さに不平を漏らす。
「なんでこんな時に限って、ウォルサム達は遅れてくるんだ。ウォーレスの嫌がらせじゃないだろうな」
「たった今、呼び出しをかけたからだと思います」
市内だからというのもあるけれど、今日は護衛が付いていない。
だけどよく考えれば、お化け退治だろうと不審な家の家宅捜索には違いない。
護衛は初めから連れて来るべきで、段取りの悪さを嘆くならココの判断ミスということになる。
その理屈に気が付いたけど、指摘したら何をされるか分からないので口には出さないナタリアだった。
ただ待っているだけというのもつらい。
「当たり前ですけど、薄気味悪い家ですよね……」
ナタリアが心細そうにココの背中にしがみつく。ちなみに背丈は当然ナタリアの方が高い。こんな時、ココはちょっとお口がムズムズする。
そんな上司の葛藤なんか知らず、呑気なお付きはため息をつく。
「こんなところで応援が来るまで女子二人ですか……あー、一緒に馬車に乗って帰りたかったなぁ……」
「おい、ナッツ……」
ココがナタリアの泣き言を聞き咎めた。
「はい?」
首を傾げるナタリアの襟を、振り向いたココが掴んで揺さぶる。
「そういうことは先に言え! よく考えたらアレじゃないか、どうせウォルサム達が来るまで待機なら、一緒に乗って帰って後日仕切り直しでも同じ話じゃないか!」
「ああっ!?」
バカ二人、足りない知恵を呪っても後の祭り。
「しまったな……余計なことをして、身動き取れなくなってしまった」
馬車を帰らせたので、いまさら気が付いても足が無い。
悪いことに、この辺りは街の中でも郊外に当たる。富裕層が別宅を置いているような場所なので、大聖堂まで歩いて帰るには遠すぎた。
「なんていうか……今日はついてないですね」
「口に出すな、ナッツ。現実になっちゃうぞ」
暇を潰していようにも、長年使っていなかった屋敷は埃っぽくて腰を下ろす場所もない。
つくづくついていない日に、ココのテンションもダダ下がり。
「もう外に出て、近所に屋台でもないか探しに行こうかな……」
「お化け探しに来て、なんで違うものを探しているんですか……」
そんなことを言い合っていると……。
二人の耳に、何やら奇妙な音が聞こえてきた。
水が滴る音にも聞こえるし、人が歩き回る足音にも聞こえる。
ヒタヒタ、シトシト。
どちらにも取れるし、はっきり何の音だと言えるほどは聞き取れない。
ただ分かっているのは、雨も降っていないのにそんな音が無人の空き家でするはずがないということ。
「……」
「……!」
ココとナタリアは顔を見合わせあった。
そしてそのままナタリアは気を失って倒れ掛かり、上からのし掛かられたココが自分より大きいナタリアを無理やり抱き留める形になった。
「おい、しっかりしろナッツ! この馬鹿、気持ちよく気絶しやがって……」
ココは慌てて揺さぶり、ナタリアを起こそうとする。
正直、泣きたいのはココの方だ。ナタリアを支えている場合じゃない。
「こんな時まで女子力の差が出るのかよ……構えちゃった自分が憎い」
ココちゃん、うっかり迎撃体制を取っちゃった。
か弱い乙女を主張したばかりだったのに……。
怪奇現象なんかより、ココはそっちの方が気になった。




