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第122話 聖女様は初めてに出会います

 ビネージュ王国から、選挙戦準備の予定表が教団へ渡された。


 この工程表に従って選挙戦の意義と投票義務を説明してまわる事前準備要員が送り込まれ、告知が済んだ地域から両陣営が立ち入って宣伝することが許可される。

 市民への説明係として全体会議の延期で手持ち無沙汰になった、地方と三大聖堂の聖職者約四百人が動員された。

 王国からも同じぐらいの役人と、治安の悪い地域には護衛の兵士も派遣され……約千人が王都をくまなく走り回る予定だ。


「経理担当が真っ青になっていますよ」

 ウォーレスの報告に、教皇ケイオス七世も頭を抱えている。

「王国側からの請求は、日当だけでもかなりのものになりそうじゃな……」

「教皇庁から派遣した者の話では、王国の役人は街路図作成(マッピング)や家族構成の確認までしながら進んでいるそうです。今まで地図さえ無かった貧民街などの掌握を確固としたものにするつもりのようですね……教団(うち)の金で」

「セシル王子はさすがじゃな……聖女と気が合うわけじゃ」

 懐へ入れるだけの聖女より、活用する王子の方がマシなのだろうか……。


 そんなことを考えていた教皇はふと、今日は聖女が全く顔を出さない事に気が付いた。

「……そう言えば聖女はどうした?」

「ヴァルケン大司教側がさっそく演説に出ているので、偵察してくるそうです」

「なるほど」

 一旦頷いた教皇は、両肘を机についたまま頭を抱えた。

「要するにまた無断外出か……」

「シスター・ナタリアの話では、トイレに行ったと思ったら置手紙だけ残っていたそうです」

「また何をやらかしてくるのかのう……」

「それは大丈夫っぽいですよ。置手紙には『()()()見るだけ』と書いてあったそうですから」

「アレの約束はアテにならん」

 


   ◆



 ココは外出着(いつもの)で群衆の中に紛れ込み、広場の隅に転がしてあった樽に腰かけてスカーレット派の演説会を眺めていた。

(ヤツらも固いだけかと思っていたら、それなりにこういう時の()()()が分かってるじゃないか)


 下層市民は政治なんか興味が無い。

 教皇に誰がなるかなんて余計に関心が無い。

 だから国外からやってきた、誰だか知らない聖職者の演説なんか最高にどうでもいい。


 スカーレット派は杓子定規な連中だから、そんな民衆心理なんか知りもしないんじゃないかとココは思っていた。

 だから誰も足を止めない中で、辻説法をするのかと見ていたんだけど……しかし、彼らはココが思っていたよりは頭が良かったみたいだ。


(演説会に参加すれば、炊き出しがもらえるとはね)

 ココの目の前で広場を埋め尽くす貧民たちは、話は全然聞いていないだろう。

 さっき広場に入る時に確認したら、ちゃんとお行儀よく座っていたら最後に肉の入ったスープと白いパンがもらえるらしい。

 それが配給されるのだけを楽しみに、群衆は演説を聞いて暇を潰しているのだ。


 仮設の舞台の上で、ヴァルケンが熱を入れて叫んでいる。あの血色の悪い男が紅潮した顔で身振り手振りもいれて、なかなかにテンションが上がっているようだ。


「市民諸君! どうか思い出して欲しい!

 今まで王都を担当していた現教皇は何をしてくれたのか!

 怠惰な彼の部下は民の話を聞いてくれたのか!

 君たちにすぐに心当たりのある者はそうは多くないはずだ!

 なぜなら!   

 彼の者はただ己の椅子を守ることしか興味が無かったからだ!」


 ヴァルケンの熱の入れ方に比べて、見ている方は興奮しているとは言い難い。壇上で変なオッサンがわめき散らしているのを、ぽかんとした顔で見ている。

 原因はまあ、ココにもわかる。

「まだ固いなあ……下町(ここ)のヤツらに理解してほしかったら、もっと難しい言葉を削らないとなあ」

 熱弁してるのは認めるけど、あれじゃあ理解はされないわ。

 ココも周りに合わせた白けた顔で、口の中でツッコミを入れた。


 ただ、演説全部を聴衆に理解させる必要はない。


 聞いた人間の十人に一人が、ヴァルケンの名前を憶えていてくれればいい。

 そして百人に一人が、教皇に悪いイメージを持ってくれればいい。

 元から関心なんか無しに等しい教皇選で、どちらに手をあげるかと言われて咄嗟にヴァルケンの名前が浮かべばいいんだろう。


(意外と、現実的に考えちゃいるなあ) 

 それが分かっただけでも、見に来た甲斐はあった。


(……まあ、演説はそれぐらいで良しとして……)

 ココはちらっと太陽を見た。

 広場に集められてから、すでに結構位置が動いている。

(……早く炊き出し、食わせろよ……)

 黙って聞いてやっているからには、ココだってパンとスープをもらう資格はあるはずだ。


 だがどんどんヒートアップしているヴァルケン大司教は、野次馬にまぎれた現聖女(ココ)の腹具合には気づいてくれそうになかった。



   ◆



「おお、聖女。戻ったか」

 ココが帰ってきたのを見て、珍しく教皇が怒りもしないで声をかけた。

「おう、ジジイ」

「どうじゃった、ヴァルケンのヤツは?」

「うむ」

 演説会の感想を聞かれ、ココは難しい顔でこめかみを掻いた。

「思ったよりいい白パンを配ってるわ……あれ、小麦が七割ぐらい入っているな。スープも量は物足りないけど、肉の切れ端が二片と芋の角切りが三つ入ってた。あの人数に毎日配るとなると、ヤツら結構大盤振る舞いだなあ」

「儂が聞きたいのはメシの感想ではなくてだな……」


 ココの見立てを聞いて、集まった教皇陣営は一斉に唸り声を上げた。

「下町を中心にした宣伝活動か……確かに、つての無いスカーレット派が上層の市民に一々会いに行っても効果は薄い」

「今回の選挙は王都全市民が対象……なるほど、庶民をまとめて教化したほうが一気に人数を刈り取れるな。ギルド長の選出みたいな有権者だけの“閉じた選挙”とは違うと。クソッ、言い出しただけあって考えているぞ」

 口々に呻く高官たちを見ながら、ココはウォーレスに演説で分からなかったことを質問した。

「なあ、ウォーレス。陰険ジジイ(ヴァルケン)の演説の中でさ、『貧しい家庭に生まれた私も苦しい生活の中、塩だけのパスタで食いつなぎながら必死に勉強し……』って言うのがあったんだけど」

「ああ、ヴァルケン師の“塩パスタの逸話”ですね」

 聖女に聞かれ、心当たりがあるらしくウォーレスがすぐに応じてきた。

「それってなんなの?」

「大司教は貧しい家の生まれなんですよ。食費にも事欠き、料理にすることもできずパスタに塩だけを振って食事を済ませ、必死に勉学に励んで特待生となって出世の糸口を掴んだんです。あの上昇志向と言うか、出世欲の原点ですね」

 対立しているせいか、ウォーレスの言い回しがいまいち好意的でない。

 だが、ココが聞きたいのはそれじゃなくて……。

「つまり、パスタって食い物なのか?」

「そこですか」




 ココがフォークに巻き取った小麦麺をしげしげと眺め、ゆっくり口に入れる。

 しばらく黙って口を動かして、飲み込んだ。

「……ほう。悪くないな」

「そう言えば、修道院(マルグレード)ではパスタ出ないですね」

 ココが勢いよく食べ始めるのを見ながら、厨房で作ってもらってきたナタリアが首を傾げる。六年入っていて、一度も食べた覚えがない。

「うん、こんな食い物初めて知った」

 八年修道院に入っているココも食べながら同意する。お気に召したらしく、喋っているあいだも手が止まらない。

 教皇が顎ひげをさすりながら記憶を手繰った。

「儂も聞いた話でしかないが……その昔、シスター・ベロニカが食べようとしたらソースが跳ねて、法衣が汚れたのでキレたらしい」

「院長ぉぉ……」

 歴史の陰に院長あり。


 深みのまるでない歴史的逸話に絶句しているナタリアを脇に寄せ、苦い顔をしているウォーレスが話を元に戻した。

「今問題は、スカーレット派の麦畑を刈り取るような選挙対策にどう対抗するかですよ。このままでは人数が多い地区を総取りされます」

「そうじゃのう」

 秘書に言われ、教皇も顔をゆがめるが……正直、同じやり方を後追いするぐらいしか考えつかない。

「しかし、あらかじめ準備を進めていたスカーレット派と違って準備に時間がかかります。同じような物を配っても印象は薄いでしょうし……」

「ああ……確かに」

 実際に物品の手配をかけるウォーレスの部下の指摘に、上層部もため息をつく。

「教皇聖下が直接語り掛けてくれる……と言うのも、彼らには特別感は無いでしょうね」

 何故かココを見ながらウォーレスが言う。


 そこで手詰まりになってしまい、集まった一同は思い思いに考え込む。

 残念ながらスカーレット派の「想定外の教皇選」という奇襲の一手は、見事に効果を発揮していた。


 選挙スタッフではないけれど一応教皇に勝って欲しいナタリアが、名残惜し気に皿を舐めているココを振り返った。

「どうです、ココ様」

「うん」

 ココは納得できたので頷いた。

「このパスタとかいうヤツ、イケるわ」

「その話じゃなくて」


「何か、コレ! ってご意見ありませんか?」

「うん? そうだな」

 ナタリアに重ねて聞かれて、ちょっと考える。

 選挙戦より“新たな美味”の方が気になるココだけど……まあ注意だけしておこう。

「とりあえずジジイ」

「教皇と呼べと……なんじゃ、妙案があるのか?」

「そんなものあったら初めから苦戦なんかしないだろ。じゃなくて」

 苦言を言いつつ期待を見せる教皇(ジジイ)に、ココは一番大事な釘を刺した。


「変わったことは一切するな」


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