第107話 大司教たちはちょっかいを出します
もはや、誰も聖女を侮る者はいなくなった。
あいつはヤバい。
どう考えてもイカレてる。
放火されたらわざと延焼させて町全体の問題へ広げていくスタイルに、今更ながら各派の震えが止まらない。
「トニオのヤツ、なんてモノを拾って来おったんじゃ……」
モンターノ大司教の呟きに、ブレマートン派ナンバー2のルブランが肩を竦めた。
「神託ですぞ。ゴートランド派に責任を問うても……ヤツらもあの通りでしたからな。制御できんのでしょう」
「それにしてもな……こんな大陸会議は前代未聞じゃ」
モンターノの知っている派閥抗争というものは、もっと穏やかに……他派の上げ足を取ったり、懐に金を押し込んだり、示し合わせて議決を潰したりといった心温まるものだったはずだ。
十四歳の少女がたった一人で好き放題に暴れまわり、これだけの数の大人が押さえることもできずに振り回されている。卓上の暗闘で済んでいた前回が懐かしい。
大司教はしかめっつらで頬を歪めた。
「なんとか、あの聖女を押さえられないものかな……」
ゴートランド派が有利とか何とかいうのではなくて。
このまま放置したら、エスカレートして何をやらかすか分からない。
「教皇のところも放し飼いのようですからな。八年飼っていてあの有り様では、野良犬どころか野生の熊か何かのような……手なずけるのは絶望的ということでしょうかね」
「そんな分析をしている場合ではないぞ」
ブレマートン大司教の地位はゴートランド教の中でも特殊だ。
役立たずと断定されると席を追われるので、安定している他の大司教座に比べて在任期間がはるかに短い。ここまで(ブレマートンにしては)長期政権を築いてきたモンターノとて、大陸会議から手ぶらで帰れば来年の改選でどうなるか分からない。
「……基本終身制の教皇が羨ましいのう」
そんなことをつぶやく大司教の後ろで、もう一人の側近が笑い声を立てた。
それまで会話に加わらず一人ワインを嗜んでいた大司教秘書だ。
優雅なしぐさで神官と思えぬ長髪をスッと手櫛で掻き上げ、甘いマスクで微笑んだ。
「大司教猊下、そんなに悩まなくてもよろしいのでは? このヘロイストスをお忘れですよ?」
「おまえ……」
教皇庁のウォーレス司祭、スカーレット大聖堂のネブガルド司教と並ぶブレマートン大聖堂きっての知将(自称)、ヘロイストス司祭。ルブラン副大司教が表の引き締め役とすれば、大聖堂の裏を司るのが彼だ。
だが、いま彼が言わんとしているのは……もう一つの特技のほうだとモンターノにも分かった。
「……まさか、おまえ聖女を相手にやる気か?」
「なぜ、“まさか”などとおっしゃるのですか。どう考えても私の出番でしょう」
「そう言われれば、そうなんじゃがのう……」
考えてみれば、確かにコイツの出番かもしれない。
モンターノもそうは思ったけど、それが正解かは判断が付かなかった。
彼の秘書を務める華やかな優男は、キザなしぐさで輝く笑みを見せた。
「聖女と言えど、しょせんは十四歳の年頃の乙女ですよ。絶世の色男に言い寄られてのぼせ上がらない女などいません」
ヘロイストス司祭の特技。それは……。
“口説き落とし(守備範囲の女性限定)”
成功率は実に九十パーセント超を誇るが……正直、宗教団体高官が自慢していい特技ではない。
「ふふっ、十四歳はイイとして正直あの成長ぶりは守備範囲より下過ぎるのですが……ブレマートン派の為です。この色魔ヘロイストス、一肌でもパンツでも脱ぎましょう!」
司祭の自信に溢れた宣言を受け……こちらはいぶし銀の魅力光るルブラン副大司教が、頭痛をこらえるようにこめかみをゆっくり揉んだ。
「おまえはな……自分で色魔と言っちゃう辺りがな……」
デブ専にはモテそうなモンターノも、いまいち乗り気でない顔を崩さない。
「おまえは何で聖職者なんかやってるんじゃろうなぁ……俗物過ぎるぞ」
俗物でないと務まらないブレマートン大司教に“過ぎる”と言われる男、ヘロイストス。
「ははは、それはもちろん」
上司にしみじみ言われ、最高のキメ顔で大司教秘書が就職理由を披露した。
「男性的な魅力に満ち溢れた親切な神官と、愛の無い政略結婚に悩む美しき若妻の目くるめく人生相談……会っちゃいけない! 期待しちゃいけない! だけどダメだと思えば思うほど燃え上がってしまう! もはや止まれない暴走馬車のような禁断のイケナイ関係! そんな美味しいシチュエーションを目指して神官になったのに決まっているじゃないですか」
「コイツ、良く神学校の修了試験を通ったな……」
「私が考査をしていたら絶対落としています。今からでも当時の学校長、処分しましょうか?」
上司二人の評価が渋い。
「ブレマートン宣教部で俗でない神官などいないじゃないですか」
「それはそうなんじゃが……ヘロイストスのは、なんか違うんじゃよあ……」
「手が汚れた神官というより、性根が腐った人間なんですよね」
でも、確かに口説き落としは有効かもしれない。
一抹どころではない不安を抱えながらも、モンターノは秘書の作戦に承認を与えた。
◆
一方その頃、教皇庁では。
「お初にお目にかかる! あなたが聖女ココ・スパイス殿ですな!?」
用事を済ませ修道院へ帰ろうと教皇の部屋から出てきたココは、見知らぬ神官たちに声をかけられていた。
ココの目の前に立ちふさがる連中は、どう見ても普通の神官ではなかった。
髪型に規定の無いゴートランド教なのに、十人以上いる男たちは全員スキンヘッドにしている。そして法衣の上からでも分かる、限界まで張りつめた分厚い筋肉。
聖堂騎士団やビネージュ王国軍を探しても、ここまで筋骨隆々な兵なんか見たことが無い。何かの武器を使うというより、格闘技とか拳で戦う系の鍛え上げた肉体だと見えた。
集団の先頭に立つ大男が拳を打ち合わせる礼をする。
「拙僧、スカーレット大聖堂において僧兵団長を任されておるダマラムと申す者! お見知りおきいただきたい! こちらは我が部下である!」
この連中は僧兵団とかいうらしい。ゴートランド大聖堂には無い役職だ。
ダマラム団長はいきなりココを訪ねて来た理由を語った。
「聞くところによると聖女殿は、教団が巻き込まれた騒動で数々の武勲を立てておられるとか!」
教団が巻き込まれたというか、ココが巻き込んだのだが。
「我ら僧兵団は自らの身体を以て女神に奉仕する、戦う神官である! そんな我ら、聖女殿の噂を聞き! 実戦の心得を一手御指南いただきたく推参致した次第! 是非、是非ともお手合わせ願いたい!」
彼らの目的はなんと、聖女に武技の手合わせの依頼だった。
(こーゆー輩は初めてだなあ……)
人間、長く生きてみるもんだ。
人生には思いがけない出会いがいくつも出てくる。
……そんなことを十四歳が思わず考えてしまうくらいに、おかしな連中だった。
ココが見た感じ、身体を鍛えているのは本当のようだ。
なにしろただの挨拶なのに腹筋と肺活量が鍛えられているので、彼らがしゃべるとバカみたいに声がデカい。
目の前で挨拶されたココはあまりの音量に、鼓膜が破れるかと思った。
気に食わない連中だが、正面から頼まれたとなると邪険にもしにくい。
(どうしたものかな……)
返事に困っていると、後ろから声がした。
「そういうのは、普通聖女に頼む話じゃないと思いますがね……」
振り返れば、教皇の執務室からウォーレスが顔を出していた。
「おっ? どうしたウォーレス」
「どうしたもこうしたも」
嫌そうな顔をしたウォーレスが耳を押さえている。
「彼らの声が大きすぎて、部屋の中にいても丸聞こえでした」
ココが力いっぱい怒鳴っても音が漏れない教皇執務室に丸聞こえ……。
「……とりあえず」
顔だけ出しているウォーレスがダマラム団長に声をかけた。
「相手、間違えてますよ。聖女様はこっち」
ウォーレスがココを指した。
そしてダマラムに真正面から挨拶されて、立ったまま気絶しているのを指して……。
「そっちはお付きのシスター・ナタリアです」




