包囲
※スパイダルコ トライアングルシャープナー
刃物であれば何でも簡単に研げます。パン切り包丁だろうと、ダーツの矢であろうとも(ノコギリ以外)。普通の砥石で研ぐのも楽しいですが、このシャープナーで研ぐのも楽しいです。
特にザイルを切る時に使う波刃を研ぐのは普通の砥石では難しいのですがこれであれば軽く研げます。
※CPM-S35VN(粉末冶金鋼《Powder Metallurgy Steel》系の刃物用鋼材)
クルーシブ・マテリアルス・コーポレーションが開発した、高炭素、高バナジウムのマルテンサイトステンレス鋼。高耐食性、高摩耗性、高靭性に優れています。
鹿の燻製はそこそこ上手くいった。
表面は燻されて水分が飛んでいる。長期間持つかどうかはちょっと怪しいところではあるが。
何も言わないでも夜は交代で番をすることになっている。
先に俺が日没と同時に寝た。
寝る際に燻製の注意点の話を十分にした。フキは直ぐにフニャフニャになってしまうので、隙間が出来ないようにこまめに継ぎ足すこと。柳の木も生木なので直ぐに消えてしまうかもしれないので火には気をつけること。火勢が強すぎても弱すぎても駄目なことをコンコンと話をした。
途中から夏木さんが引いていた。曰く俺は食い物の話になるの眼の色が変わるみたいだ。少し狂気を感じるほどらしい。
その辺は典型的な日本人ってことで許して欲しいね。
そんな甲斐もあって俺が番を交代するときに燻製の状態を見たが概ね上手く行っていた。少し焦げ気味だったのはご愛嬌って感じか。
深夜にぼーと起きているのはしんどい。
本当にどこかに飛ばされて人と巡り会えないと思うと絶望感が押し寄せてくる。
……こんなときには刃物の手入れをして頭を空っぽにするに限る。
又鬼山刀を焚き火に透かしてみるが刃こぼれは無い。あれだけ木を切り倒したり、肋骨を叩き切ったりしても傷は付いていない。だが切れ味は落ちている。
家には#1000〜#3000の砥石が揃っているがここではそうもいかない。スパイダルコのトライアングルシャープナーも無い。携帯用の小さな砥石しか無い。これでシコシコと研ぐ。研いだあとは椿油で防錆処理をしておく。日頃の手入れが重要だ。
研いだあとに試し斬りをするときの気持ち良さは何程にも代え難い。ティッシュペーパーを切ったり、トマトを切ったりするときにスッと刃が入っていく感覚はやった人にしか分からない感動がある。
ついでに釣り針も研いでいると遠くの山から日が差し込んできた。
朝起きて鹿の燻製を朝食代わりに味見をして出発した。
充電もほぼ満タンになり、道中に障害も無かったためスイスイと進む。
地図上では市街地に差し掛かる前に昼食にし、夏木さんと打ち合わせをした。
「これから平野部に出ますけど一度ドローンを飛ばして偵察しませんか? あのミミズがウヨウヨいたら困りますし……」
夏木さんはなかなか噛みきれない鹿肉をもぐもぐしながら端末を操作した。
ドローンから折りたたまれた回転翼が現れ空中に飛び立った。
ドローンから端末に送られてきた映像を見る。川沿いは俺達が今見えている環境とたいして代わり映えしない。そして、木々が減っていくと平野部に移っていく。
「ん? 何かしら」
夏木さんが画面を食い入る様に見ている。
距離的にはT市市街地に入っている筈だ。明らかに人工物のようなモノがちらほらと映し出されていく。
「建物? ……いや、廃墟ね」
朽ちてボロボロになった建物が無数にある。コンクリートで出来ていたであろう構造物だけが残されている。その構造物も崩れ落ち殆どが原型を留めていない。
周辺で一番背の高かったT市市役所も朽ち果て2階部分までを残しているのみだ。
その周り一帯も草木で覆われて人が住んでいる気配はない。
周囲を確認し終えたドローンを帰投させるが二人共声がないほど落ち込んでいる。飯を食べることも忘れて焚き火を見つめている。
「……どう、します?」
俺はかすれた声を出した。夏木さんに声を掛けたのか、自分に問いかけたのかは良く分からない。何か言わなくてはいけない様な切迫感が俺を急き立てる。
夏木さんが立ち上がり、TAHSに手をかけた。
「行きましょう。何があるか、何があったか調べないとどうしようも無いわね」
「……分かりましたよ」
俺も勢い良く立ち上がり、焚き火に砂をかけた。
「何も無いですね」
市庁舎跡地をぐるっと回った。ミミズの影も無い。
建物の一部が崩落して中に入れそうだ。俺はMK16の銃口で指す。
「どうしましょう? 中に入れそうですけど様子見てみます?」
「そうね。 気をつけて見てきて」
「それってどういう意味ですか? 俺だけ見てこいってことですかね」
「当たり前でしょ。女に危険なことさせるつもり?」
女はズルい。こんな時だけ女を盾にする。あの「男でしょ」とか「男の癖に」とかの男の自尊心を刺激する言葉をサラッと使いやがる。言われたら退けないことを分かってやってるのが始末に終えない。
銃を構えて中を覗く。レーダーには生体反応は無い。ぶっちゃけミミズより崩落が恐ろしい。
この建物の中で銃を使ったら全体が崩れ落ちてきそうだ。壁面を見るとコンクリートは風化してぼそぼそになっている。鉄筋が入っていたと思うが欠片も見当たらない。建物の構造部は鉄骨造だったと思うがその痕跡すら見当たらない。
恐る恐る入るが、天井は抜けていてガラや落ち葉や土が堆積していて、雑草が腰の高さまで伸びている。建物が崩壊したのは1年、2年では利かないと思う。
内部を見渡しても役に立ちそうなものは一切見受けられない。
キョロキョロしながら慎重に一歩一歩進んでいくとTAHSのレーダーに影が映りピンっと警告音が鳴った。レーダーの範囲を最大範囲にしているので2km先に何かいるってことだ。
「直ぐに出てきて」
インカムから夏木さんの強張った声が聞こえてきた。
急いで建物から出ると夏木さんが着込んでいる二号機がM2を構えて周囲を警戒している。
「どうしました!?」
「……レーダーに感あり。こちらに急速に集まってきているわ」
「集まってきてる?」
レーダーを良く見ると無数の赤い影が周囲を覆い、中心部つまり俺達に向かって進んできている。
「こ、これ何ですかね?」
「……バイタルから割り出すと、アレよ」
赤い影はヒモ状で解析すると赤い巨大ミミズ。自衛隊駐屯地跡にいた奴らだ。山間部のトレーラーで襲われた緑色のミミズとは種類が違うのかな?
ともあれ囲われている状況は厳しい。倒すか逃げるかどうするか。
――マズイ。足がガクガクしてきた。
足の震えがTAHSに伝わり体全体が揺れだした。
夏木さんも声は落ち着いている感じだが、同じように銃先が揺れている。
「距離500m」
夏木さんが距離をカウントしてくるがまだ何も見えない。雑草が茂っているので見えないのか。
「……逃げましょう。見通しの悪い場所で囲まれるとTAHSでもキツイでしょ」
レーダーの影が薄い場所を探すと川方向はそれ程いないようだ。土手っぽい高台もあるのでそこで迎え撃てばいいかも。
「夏木さん! あっちに行きますよ!」
俺が先頭になり走りだす。
レーダーではミミズが100m以内に近付いている筈なのに姿が見えない。
「どう言うことですか! レーダーの故障ですか!?」
焦ってインカムに向かって怒鳴ると不意に地面が盛り上がった。
踏み出した右足を狙ってミミズが地面から顔を出し丸呑みしようとして来た。
足を引っ込め受け身を取るように転がり、すんでのところで難を避けた。
周りを見ると地面がひび割れニョキニョキとミミズたちが鎌首をもたげてこちらに襲いかかろうとしていた。
「ひぃっ!」
夏木さんが息を飲んだかと思うと絶叫しだしM2重機関銃を構えて撃ち始めた。
その多くがミミズの頭上を飛び越えているが偶に命中している。命中するとミミズは弾け飛ぶように肉塊になる。
夏木さんが回転しながら全方位に撃ってくる。やがて銃口が俺を捉えて……
「や、やめてー!」
俺は伏せようとしたが、容赦なく50口径12.7mmの弾丸が向かってくる。TAHSの装甲に当たりガンガンと音をたて、その衝撃で仰向けに倒された。
M2の弾が無くなったのか銃撃が止まる。
一瞬意識が無くなったが、目の前にミミズの口が現れて食いつこうとしていた。転がりながら避け、反動で立ち上がりMK16をぶっ放す。
軽快な音を響かせながら撃つが効いている気配がない。トラックタイヤの様な硬い皮膚が弾いているようだ。それでも少しは効果があるようで、ドロッとした体液が滲み出しているところもある。
「クソッ駄目だ! 逃げるぞ!」
俺が夏木さんを見ると弾切れしているM2のトリガーを無意味に引いている。そこへ一際大きなミミズが、肉塊になったミミズを乗り越えて粘膜のを投網のように広げて捕獲しようとしていた。
俺はタックルをした。ミミズは全身筋肉で出来ているのか倒れることはなかったが、粘膜の大部分は夏木さんを逸れたようだ。
ベタベタした粘膜を必死に引き剥がそうとしている夏木さんの腕をとり走りだす。
我に帰ったのか俺より早く逃げ出していく。俺は下半身のどこかが故障したのか動きがぎこちない。
まるで俺が囮になり、ミミズを惹きつけてる感じになっている。必死に粘膜をかわし、飛び越えて夏木さんを追う。
「夏木さん! どこいくの!」
何故か市街地の中心部に入っていく。
レーダーには赤い影が点滅しあちこちから集まってきている感じだ。
「どれだけいるんだ!」
夏木さんは2階建の建物に入って行った。
俺もそれに続いて行く。その建物はそれ程傷んでいないようで2階建の屋上に登れた。
「……この建物大丈夫かよ」
一歩踏み出すと、風化したコンクリートがパラパラっと崩れていく。
夏木さんは何も喋らずにM2のベルト給弾をバックパックから取り出しセットする。そしてバリバリとミミズに照準を合わせて撃ち始めた。
「ちょ、ちょっと何してるんですか」
俺は夏木さんの行動を呆気に取られて見ていたが我に戻った。
「……あの化物たちを皆殺しにするのよ」
夏木さんが低い声で恐ろしいことを言っている。
ミミズたちを間断なく撃ち殺している。すでに弾帯が3本目に突入している。TAHSが射撃補正をしているので命中率は高いのだが挽肉になるまで撃ち込んでいるので、殺っている数はそれ程でもない。
「止め! ストップ! 夏木さん、聴こえてますか?」
いくらなんでもあれだけのミミズたちをやっつけられない。二号機の肩に手をかけて制止する。
「聞いて下さい。いいですか? あれだけの数を倒せないし弾もない。ここにいても良いことないです。脱出してミミズが近寄らない場所に行く。OK?」
「……分かったわ」
了解を得れたので獲物を変える。MK16では歯が立たないのでMK17の7.62mmに銃を変える。試しに狙撃すると肉片が飛び散りミミズの動きが遅くなる。
射撃補正があるのでMK17を持ち、片手撃ち出来るようにする。替えの弾倉をアリスクリップで止める。そして右手には山刀を持つ。
「そのナイフは役に立つのかしら」
夏木さんが妙に冷静に突っ込んでくる。この大量のミミズたちにまともに立ち向かいたくはないので山刀を振るうイメージは沸かない。
「……お守りみたいなもの? それに無駄弾撃ちたくないし」
「銃剣があるでしょ。専用につくらせたモノを積んであった筈よ」
夏木さんがバックパックからナイフを取り出した。
「これはFN−SCARに取り付けられるM9銃剣の刃渡りを長くしたモノでCPM-S35VNの刃だから丈夫で斬れ味も良いはずよ。ただTAHSで力任せに使ったら折れてしまうけど」
俺はMK17に銃剣を取り付けて準備をする。ミミズたちはもう階段の下まで集まってきている。
「だめだ。階段からは行けなさそうだ。別のところから飛び降りるぞ」
「そうね。その前にこれよ」
夏木さんは何かを階段の下に投げつけ、地面に伏せた。
えっ? と思うと同時に爆発音が聴こえ建物が崩れ始めた。




