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「異能というものは、基本的に遺伝するものと言われている」

 白衣を着た研究員のお兄さんはコリオさんと仰るそうで、数年前からこの研究所で働いているらしい。

 穏やかな口調で片手を上げると、掌を返して手の甲を向ける。


「ところが、ごく稀に見られる現象なんだけどね、親の異能が反転して受け継がれることがあるんだ」


 はい、と私は椅子に浅く腰かけたまま頷いた。すぐ後ろでエリクスさんが腕組みをして聞いている。


 女王陛下直属の研究所は、現状国内で唯一の異能専門の研究施設で、噂通り分かりづらい場所にあった。

 それほど規模が大きな施設ではないけれど、中では白衣や検査服を着ている人が行き来していて、なかなか活気のある雰囲気だ。


(エリクスさん、さっきは『面通しまでしかいられない』って言ってたのに、全然退室しないな)

 何となく背後の気配を感じつつ、私は説明に耳を傾ける。


「ユティニアの生まれだと言っていたね。彼らは炎を出すと記録されているから、君が氷を出したと聞いたときから、もしかしたら異能反転かもしれないと思っていたんだ」


 話を聞いただけで分かるなんて、専門家ってすごい。私はすっかり感心して前のめりになった。



「じゃあ、詳しく見てみようか。まずは触診から」

 言った途端、視界の隅でエリクスさんがぴくりと動く。コリオさんは目を上げてエリクスさんを一瞥すると、私の手元に目を落としながら「エリクス」とため息をついた。


「君のかわいい後輩を取って食おうってんじゃないんだ。睨むのはよしてくれ」

 睨んでる? 

 私が振り返ると、エリクスさんはにっこりと笑っている。

「エリクスさん……ご用事がおありなんですよね? ずっと付き添っていただかなくても大丈夫ですよ」

 扉の方向をおずおずと指し示すと、エリクスさんの笑顔が引きつった。


「……メルちゃんがそう言うなら、出ていこうかな」

 硬い声で応じて、エリクスさんはそそくさと退室する。


 ぱたんと扉が閉じると、コリオさんは生暖かい眼差しで頬杖をついた。

「最近元気が出てきたって聞いたけど、本当みたいだね」

「あれって、元気なんですか?」

 思わず聞き返すと、コリオさんの口元に笑みが浮かぶ。


「彼、クールぶってる割には、すぐ焦ったり拗ねたりするだろ。少し前までずっとクールだったから、この感じが懐かしいんだよね」

 言いながら、私の手を取り、ひっくり返して検分し、手首から肩にかけて何点か押して確認する。私の顎を上げさせて、目にライトを当ててしばらく観察したり、慣れた手つきだ。


「コリオさんは、エリクスさんと昔からお知り合いなんですね」

「訓練生時代の同期でね。彼はずば抜けて優秀だったから、気後れもしたものだけど、今じゃこんな可愛い女の子に翻弄されてるときた。人生何が起こるか分からないな」

 同期という言葉に、私は目を見開いた。

「じゃあ、アネラさんとも同期なんですか?」


 聞くと、コリオさんは意外な顔をして私をまじまじと見た。「エリクスから聞いてない?」と指をさされて、私はきょとんとする。


「俺、前に潜入捜査でアネラと夫婦役をやったんだよね。そしたらトントン拍子で本当に結婚しちゃった」


 笑顔で言い放ったコリオさんに、私は口をあんぐりと開けた。

 その話は聞いたことがある。任務のための偽装結婚で浮かれて本当に結婚した馬鹿がいるとかって、エリクスさんが悪態ついてた。

(あの話の諜報員が、コリオさんとアネラさん……!?)

 初耳で驚く私に、コリオさんが肩を竦める。


「当時あれだけ俺たちのこと非難しておいて、最近になってあんまり言わなくなったんだよな……」

 ぼそっと呟かれた言葉も耳に入らず、私はうっとりと指を組んだ。


 任務での夫婦役で、その後は本当に結婚!

(良いなぁ……!)

 ぜひ私もあやかりたい!

(コツとか聞きたい……経緯を教えてほしい!)

 と、そこで私は我に返って頭を振った。駄目駄目、と自分に言い聞かせる。

 この気持ちは隠すって決めたのだ。周りに気取られるわけにはいかない。

 もの言いたげなコリオさんの視線に気付いて、私は慌てて作り笑いを浮かべた。



 コリオさんが咳払いをする。

「……話は戻るんだけれど、君の異能はユティニアの典型的な異能が反転している可能性が高い。ここで問題になるのが、本来の異能の効果だと思う」

 こちらへ、と案内されて、私は隣室に移動した。何やら大きな機械からケーブルが伸びていて、先端にはゴーグルがくっついている。


 異能というものは、眼差しに宿るものである。ゴーグルを着けて異能を使用することで、その強度などを測れる機械だという。



 まずは水の入ったコップを目の前に置かれて、さあ異能を使ってみろと言われたが、異能の強度を測る針はびくともしない。

 続いてぬいぐるみや花瓶、ケージに入ったマウスなど、手を変え品を変え実験するが、上手くいかなかった。



 うーん、とコリオさんは顎に手を当てた。

「ユティニアの炎はただの燃焼ではないと言われている。故郷で異能について、何か聞いたことはある?」

 画面を見ながらコリオさんが訊いた。私はゴーグルの薄暗い視界のなかで、斜め上を見上げた。


 父の面影が瞼の裏をよぎる。村を囲むように灯された篝火を指さして、父が笑う。

「……あの炎は、悪いものから隠してくれるものだと、聞いたことがあります」


 目が潤んだが、色の濃いゴーグルの中だから気付かれなかったはずだ。

 コリオさんは「なるほど」と真剣な口調で頷くと、顎に手を当てた。


「やはり、攪乱や意識散逸とか……認識系の異能なんだろうな。となると、その異能反転も、認識に干渉する力があるはずだ」

 その言葉に、私はふと思い至るものがあった。

 初めて異能が発現したときのこと。制御できない強い衝動に突き動かされて、周りの全ての熱を吸い込んだ。


 私は両手を見下ろした。

「初めて、異能が使えたとき……『私を見つけて』とか、『こっちを見て』とか……そういう気持ちがありました」

 目に見える効果としては周囲を凍らせただけだけれど、私自身の感情としてはそちらの方が大きかった。


 コリオさんはしばらく考えこむと、「ちょっと待ってね」と一旦退席した。



 手持ち無沙汰に待つこと数分、コリオさんが何故かこちらに背を向けたまま後ろ向きに入ってくる。

 首を傾げて眺めていると、コリオさんは「どうだ」と勢いよく振り返った。


 ……エリクスさんの顔を印刷した紙で顔を隠している。

(なにこれ?)

 思わず呆気に取られた私に、コリオさんが「俺のことはエリクスだと思ってほしい」と手を挙げた。


「それで、エリクスの注意を引きたいと強く念じてみてくれるかな」

 ちょっと折り目がついて歪んだエリクスさんのお面では、なかなか本物と同じ気分にはなれない。

(これはエリクスさん……絶対エリクスさん……)

 一度目を閉じて自分に言い聞かせると、私は瞼を上げ、目の前の推定エリクスさんを真っ直ぐに見つめた。



 次の瞬間、「うお!」と声が聞こえて、私はゴーグルを上げた。

 見ると、コリオさんの上半身に霜が降り、異能を測定する針が大きく振れている。


 こんなにあっさりと成功した。

 一ヶ月以上足踏みしていたのに、できるようになるのはあっという間だ。呆然とする私に、コリオさんは納得顔で「なるほどね」と体を払った。




 ***


 一通りの検査と訓練を終え、私はよれよれになりながらベンチに腰かけた。


「調子はどう?」

「エリクスさん」

 ぐったりと壁に寄りかかったところで扉が開いて、慌てて立ち上がる。私が訓練を行っている間にエリクスさんは用事を済ませたらしい。


 エリクスさんは手振りで楽にするよう伝えると、コリオさんに目を向けた。

「異能の詳細が掴めてきたよ。コントロールもかなり良い感じだ」

 説明を聞いて、エリクスさんがぱっと笑顔になる。


「せっかくだから実演しておこう」

 そう言うと、コリオさんはエリクスさんを部屋の反対側へ連れて行く。

「エリクス、そこの掲示を見てくれるか」

「ん? ごみの分別区分が変わったって?」

 エリクスさんが腕を組んで張り紙を読んでいる間に、コリオさんは私に合図を送った。自身の両目を指さし、次にエリクスさんを指す。


 私はベンチに手をついてそろそろと立ち上がると、エリクスさんの背後に移動した。

 深呼吸をしながら、エリクスさんの後ろ姿をじっと見つめる。

 両手を強く握り合わせて、私は目を見開いた。

(エリクスさん……こっち向いて!)


「へえ、今度から生ごみは裏庭でコンポストにするんだ。発酵系の異能者でも見つか……」

 お知らせを読んでいたエリクスさんが、不意に言葉を切った。一拍おいて、くるりと振り返って私を見る。


 視線がかち合った瞬間、ばちんと火花が散ったような感覚をおぼえた。

 エリクスさんの両目が大きく見開かれる。


「メルちゃん……?」

 エリクスさんは足早に近づいてくると、まるで吸い寄せられるように私の瞳を凝視した。

 至近距離で見つめられて、私の頬が熱を持つ。

 エリクスさんの手がゆっくりと持ち上がって、私に向かって伸びてくる。


 私はどぎまぎして上目遣いになった。

「え、エリクスさん……」

 指先が頬に近づき、触れられていないのに、頬が痺れるような緊張を帯びる。

 思わずぎゅっと目を閉じて縮こまった。

(そ、そんな……私たち、まだ付き合ってもいないのに……!)




「おさわり厳禁だぞ」

 真横からにゅっとコリオさんが割って入って、私は我に返った。エリクスさんも同じように、寝起きみたいに目をぱちくりさせている。


 両目をごしごしと擦って、「今のは」とエリクスさんが呻く。

「彼女の異能だ。氷は副産物で、実際は認識に干渉する力とみた方が良いかな」

「人の注意をこちらに向けさせることができるみたいなんです」


 エリクスさんはこわごわ私を見る。私は控えめに微笑み返す。

 さっきは上手くいった。別のことに気を取られている最中でも、こっちを向けさせることができた。

 諜報員として、一人前に近づけたと思う。けれど、エリクスさんがどう思うかが、すこし怖かった。


「彼女には既に伝えたけれど、以前にも似た効果の異能を持つ人間を見たことがある」

 コリオさんは静かに口を開いた。

「結婚詐欺で逮捕された男で、相手の目を惹きつけて放さない、魅了の異能だった」

 私は小さく頷く。

 異能の扱いと、詳細を伝える相手にはよく気をつける必要があると言われた。


 これまで私が異能を使えなかった理由は、私の意識にあるのだろう。

 成長を焦って、失敗を恥じて、人に見られたくないと縮こまる心持ちが、私の異能と致命的に相性が悪かった。

 この異能をコントロールするには、相手の視線を奪う強い意思が大事らしい。


 エリクスさんは一旦目を泳がせてから、「そっか」と私とを見た。

 異能の内容が内容である。緊張する私に、エリクスさんは穏やかな笑顔を浮かべた。

「なるほど、君の仕事にはぴったりの異能だ。ますます立派になっていくね」

 さらりと言われて、私は安堵のあまりため息をついた。少し涙目になる。


 エリクスさんが、こんなことで見る目を変える人じゃなくてよかった。


「安心しました……実はね、エリクスさんに怖がられたらどうしようと思ってたの」

 ちらと目線を上げてエリクスさんを見上げると、頭上で「うっ」と呻き声が漏れる。


(効いてる)


 素早く判断した私は、及び腰のエリクスさんをうるうるの瞳で見つめた。

「これから本格的に訓練をしていくことになると思うんですけど、たまにお相手を頼んでもいいですか?」


 異能を使われていると察して、エリクスさんの顔が引きつる。

「無」

 理、と言おうとしたエリクスさんの肩を、コリオさんは優しく抱いた。


「可愛い後輩の頼みは聞くものだよ、エリクス」

 同期に窘められてなお、エリクスさんは首を横に振っている。ここまで弱々しい姿は初めて見た。

(ちょっと悪いことしちゃった)

 私は異能を解き、しれっと姿勢を正した。


 ふたりは目の前で押し問答をしていたが、「エリクス」とコリオさんの呼びかけでぴたりと止んだ。


「彼女の異能はトラブルに繋がりかねない。強い自制心がある大人が手ほどきをしてやる必要がある」

「僕なら絶対、うっかりなびかないって?」

 なんでエリクスさんが挑発的なんだろう。

 私は呆れて苦笑した。



 まだまだ時間は余裕だけど、帰りの汽車の本数はあまり多くない。時計を横目で見ていると、エリクスさんはすぐに意図に気付いた。

「く……訓練については、本部に戻ってからまた話しあおう」

 苦し紛れに話を打ち切って、エリクスさんがこちらを見る。ここぞとばかりに笑顔を向けると、エリクスさんの体が横に傾いだ。




 荷物をまとめていると、背後から会話が聞こえた。

 ぼそぼそとした話し声で、私に聞かせるつもりのないやり取りのようだ。

「去年娘が生まれたから尚更思うんだけどさ、ご家族を亡くした未成年の女の子に手でも出したら、俺なにするか分かんないからね」

「言っておくけど、僕が後輩に手出しする訳ないだろ」

「アネラにも監視するよう言っておくから」

「あり得ない。だいいち、まだあんなに小さな女の子だぞ」


(ふぅん……)

 上着を羽織りながら、私は唇を尖らせた。

(やっぱりまだまだ、『小さな女の子』で、『あり得ない』んだ)

 薄々気づいてたけど、エリクスさんって心底私のことをお子様だと思っているらしい。




「エリクスさん、あの」

 研究所を出発し、駅に向かって歩く道すがら、私はエリクスさんに呼びかけた。

 呼ぶと、すぐにこちらを振り返って、「どうかした?」と耳を近づけてくれる。


 私の言葉を待っているエリクスさんを眺めながら、私は静かに口角を上げた。


 エリクスさんは優しいし、良識があるひとだ。

 だから、私がどんなに好き好き言ったって、応えてくれることは絶対にない。私だってそれくらい分かってる。

 そういうところが好きだし、すこし憎らしいのだ。


「いくらでも、待ってくれるんですよね?」

「……君が望むならね」

 飄々と答えて、エリクスさんが姿勢を戻す。

 余裕そうな横顔を強く見つめて、私は挑戦的に顎を上げた。


 背伸びをして頬に顔を寄せる。

「――じゃあ、覚悟してくださいね」

 ぜったい落としてみせるんだから。


 決意を込めて囁くと、エリクスさんは目元を赤くして私を睨みつけた。


「言っとくけど『それ』、」と私の目を指さす。


「悪用厳禁だからね」

「私、いま使ってないです。エリクスさんが勝手に私のこと見つめてるだけ」

 胸を張って答えた私に、エリクスさんが口の中でちょっと悪態をつく。「このガキ」みたいなニュアンスだった。



「年長者からのアドバイスだけど、大人を舐めるのはほどほどにしておくと良い」

「何か良くないことでもあるの?」

 内心でびびりながら、私はエリクスさんを見つめ返す。

 エリクスさんは立ち止まって、しばらく真顔で私を見下ろした。

 まさか本気で怒られるんだろうか。不安になり始めたところで、彼は視線を前に戻して肩を竦めた。


「本当は帰り道においしいジェラート屋さんに寄ってダブルでもトリプルでも買ってあげるつもりだったけど、反抗的な子には紹介してあげない」

「えっやだ! 食べたいです!」

 思わず縋りつくと、エリクスさんはこれ見よがしに思案顔になった。


「先輩を誘惑して挑発するような子には、勿体ないかもなあ」

「これからは良い子にします!」

 力強く宣言する私を横目で見て、眉を上げて、それからエリクスさんは堪えきれなかったように苦笑した。



「じゃあ、ちゃんと僕の言うこと聞ける?」

「はい」

「相談事はすぐに言うこと」

「はい」


 素直に頷いていると、エリクスさんは「それに」と指を立てた。

「大人をからかわないこと!」

「はぁい」

 わざと間延びした返事をして、私はエリクスさんに露骨な流し目を送る。

 見つめ合うこと二秒、私たちは同時に噴き出した。



突発的に後日談を更新してすみません。

お読みいただきありがとうございました!

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