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Mission7 罪無き人々を守り抜け



 騒々しい物音に、私は薄らと目を開けた。見れば、天窓からは明るい金色の光が降り注いでおり、青空も覗いている。いつの間にか気絶するように眠ってしまっていたらしい。

 部屋の中央に置かれた機械の側で作業をしている男たちを見やって、私は目を見開く。


(……あの機械、)

 一昨日の夜、ライデリーの屋敷に侵入したとき、地下室で見つけた機械と同じものである。昨日はあんな部屋の中央におかれてはいなかったと思うけれど……思い返してみれば、もしかして部屋の隅に布を被せて置いてあったかもしれない。


 慌てて姿勢を正そうとして、私は全身の痛みに呻いた。向けられた暴力の跡は普通に痛いし、ずっと縛られたままの体もバキバキだ。ひと晩噛まされていた布が気持ち悪く、柱の後ろに回して縛られた手首も、寝ている間に縄が擦れたのかヒリヒリした。


「ライデリー、お姫様がお目覚めのようだぞ」

 部屋の隅でもぞもぞとしていると、短髪の女が私を見咎めて声を発する。小馬鹿にしたような言い草に、私は女をぐっと睨みつける。女は冷然とした眼差しで私を見下ろし、それからふっと頬を吊り上げてせせら笑ったようだった。

「お前が世話をしてやってくれ。この女、男とみれば見境無く擦り寄るからな」

「分かった。……まったく、恐ろしい女だ」

 と、そのやり取りに嘲笑が広がる。私は猿ぐつわを噛みしめてゆっくりと息を吐いた。

(……好き勝手に言えば良い。人に馬鹿にされるような仕事なんかじゃないって、私が分かっていればそれだけで良いわ)



 視線を鋭くした私の前にかがみ込んで、女は私の頭の後ろに手を回すと猿ぐつわを取り払う。「は、」と息を漏らした私は、肩を上下させて息をした。

「昨日の子はいる? レイディスといったかしら」

「起きてすぐに男漁りか? 趣味が悪いからやめた方が良いぞ」

「そういう話じゃない。いるのかどうかって訊いてるのよ」

 鼻で笑った女に、私は身を乗り出して詰め寄る。女は少し考えたように沈黙したが、「少なくともお前に合わせる理由はない」とだけ応えた。

(……そんなに簡単にはいかないか)

 私は内心で呟き、次いで顔を上げる。


「あと、非常に申し訳ないのだけれど、お手洗いに行かせて頂いても?」

 慇懃無礼に吐き捨てると、女は「それもそうか」と頷いた。流石にそこまでの鬼畜ではなかったらしい。私は内心で胸を撫で下ろした。これはわりかし差し迫った事情だったので助かった。

 背後の腕が解放され、すぐさま体の前で再び手首を拘束された。足は解放されたものの、普通に背後から腕を掴まれているし、いきなり走り出して逃げることはできないだろう。


 階段を慎重に降りながら、段数を胸の内で数えた。全部で十二段。……一番上の段はちょっと軋む。そうしたことを確認しながら、私は平静を崩さないように深呼吸した。

 階段を降り終えると、手を解放して問答無用で個室に突っ込まれる。用を足して出てくると目の前で女が待ち構えていた。まあまあな厳戒態勢である。痛いほどに腕を掴まれながら、私は首を巡らせて周囲を見回した。

(いた、)

 どうやら時計台の中は、かつては何かの商業施設だったらしい。ざっと見渡せば、受付か何かに使われていたと思しきカウンターや、椅子と机などが並べられているのが分かった。そこに、昨日の少年が退屈そうに座っているのを見つけて、私はすぐに笑みを作る。

「おはよう、レイディス」

「は……はぁ!?」

 私に声をかけられたレイディスは、それまでの無関心な態度をかなぐり捨てて声を裏返らせた。目を剥いて愕然とこちらを見つめてから、慌てて顔を背ける。

「あんたに名前を呼ばれる筋合いなんてない!」

「そんなぁ、つれないこと言わないでよ。私はメルセリナだよ」

「知ってるよ!」

「覚えててくれたの? ありがとう」


 そう言ってにこりと微笑んだところで、腕を取られ、力一杯に背中で捻り上げられた。思わず喉から悲鳴が飛び出た。

「あいたたたたた!」

「こんな小さな子どもにまで色目を使うとは、本当に悪趣味だな。信じられない」

「いたた! ちょ、ごめんなさいってば」

 背後から冷え冷えとした目が突き刺さる。女は本心からドン引きしている様子だが、私の正体を勘違いしているのは彼女の方じゃないだろうか。見境のない男好きとハニトラスパイは違うものである。


 体の前で両手首を縛られ、私はずるずると引きずられるようにして、再び最上階に連行された。椅子に座らされ、その瞬間、体が固まったように動かなくなった。

「えっ!? な……なにこれ」

 自由な首から上だけを必死に動かして動揺する。痛くも重くもないのに、どういう訳か体が動かない。訳が分からずに周囲をきょろきょろとしていると、女がじっと私に視線を注いだまま動かないことに気づく。


「これ……あなたの異能?」

「そうだ」

(……動きは制限されたけど、口が自由なら構わないかな)

 私はそう考え、「へえ」とだけ相槌を打った。関心のなさそうな私の態度に、女はくいと眉を上げたようだった。

「苦しくないのか?」

「え?」

 私は目を丸くしてから、少し考え、「さあね」とだけ言って微笑む。女は怪訝そうな顔をした。私はふいと目を逸らす。

(まだ加護の存在は明かす必要はないかな。何かあるとだけ思わせておけば良い)


 私はごくりと唾を飲み、ゆっくりと息を吐いた。

(……最悪、私がどうなったって、こいつらのテロ行為を阻止できるんならそれで良いわ)



 どこか遠くで花火が上げられるような破裂音が響く。活気が伝わってくる。時計台の外に、たくさんの人がいるのが分かる。

 それらの気配を無言のうちに認識しながら、私は目を伏せて奥歯を噛みしめる。もはや後戻りはできまい。

 ――祝祭が、始まったのだ。



(このまま行けば、あの子……レイディスはその力を悪用されて、大量殺人に加担させられる。ばかりか、あの子自身も命を失うかもしれない)

 私は口を閉じたまま瞼を伏せた。

(まずは、あの子が機械に入れられるのを、防がなければいけない)

 動かない四肢を見下ろして、私は静かに息を吐いた。



 ***


 どれだけ時間が経ったかは分からない。機械の調整にライデリーはかかりきりで、私はそれを眺めるばかりである。時折入る通信を盗み聞きする限り、どうやら計画は順調なようだった。


「昨日使用していた倉庫を調べに来た男女四人を確認。昨日の男も含まれている。倉庫の中に誰もいないことを確認すると、揃って移動したとのこと」

(……エリクスさん、)

 そんな言葉に、私はゆっくりと瞬きをした。ライデリーの視線が私の方を振り返ったが、私が特に反応を示していないことを確認すると、興味なさげに目を外す。

「その四人組が商店街に入ったそうだ。目抜き通りを進んでいる」

 部屋の隅で無線機を弄りながら、男が淡々と告げた。私はぴくりと眉を動かした。


「言っておくが、ここで叫んだって聞こえやしないぞ」

 背後から女が吐き捨てる。「分かっているわよ」と私は憎まれ口で返し、短く吐息を漏らした。

(……エリクスさんが、私を探してくれている)

 自分が切り捨てられていないことを確信して、私は思わず内心で胸を撫で下ろした。安堵を感じ取りでもしたのか、ライデリーの嘲るような視線が刺さる。


「本当に好きなんですねぇ」

「ええ、憧れの人なの」

 私はてらいなく、にこりと微笑み返した。悠然とした態度を崩さない私に、ライデリーは些か不満を覚えたらしい。昨日の立ち回りで、ライデリーが私に対して不信感と苛立ちを抱いているのは自覚している。笑みを深めると、男はあからさまに青筋を立てた。



 ライデリーは腹立たしさを押し殺して、取り繕ったように嗜虐的な笑みを貼り付ける。

「……それなら、奴らが広場に入ったところで決行と行きましょうか。機械の調整がちょうど済んだところだ」

 その言葉に、私は慎重に息を吸った。ほこり臭い時計台、その中にある一室には、ライデリーと私、そして私を異能で押さえつける女と、無線機を弄る男ばかりしかいない。いけるだろうか? ……やってみなければ分からない。


 ライデリーは無線機を手に立っていた男に向かって声をかけた。

「おい、あの子どもを連れて来い」

「――その前に、話しておきたいことがあるわ」

 私は被せるようにして告げる。室内の視線が集中する。部屋を出て行こうとしていた男も足を止める。


「何ですか? 命乞いなら聞いてやらないことも」

「まあ、命乞いは命乞いよ。でも私のじゃない。……レイディスに関してだわ」


 ごくり、と唾を飲む。胸元に下がる指輪の感触を確かめた。

「ちゃんと、私なりに考えたのよ。……私自身はどうなったって良い。でも、あの子を犠牲にするなんて、絶対に許さないわ」

「言っている意味が分かりませんね。レイディスを犠牲にするだって? 彼自身が望んで機械に入ってくれるんですよ。何も問題は無い」

「あなたはあの機械のことをレイディスに説明していない!」

 私は鋭く叫んだ。時計台の外には決して届かないであろう声。無力な声である。……本当にそうだろうか?


「あなたはレイディスを騙しているのよ! 何も知らないレイディスを誑かして、食い物にするなんて最低! レイディスが可哀想だわ!」

 足音。軽い足音が近づく。ひとつ、ふたつ、みっつ……。他の人間は、いきなり目を剥いて大声を出す私に、虚を突かれている様子である。私はややわざとらしいほどにその名前を繰り返しながら、足音が十二を迎えるのを待った。


 ぎし、と、音がする。限界まで研ぎ澄まされた私の耳が、床板の軋む音を捉えた。直後、私は大きく息を吸って、胸を膨らませる。

「――あの機械は、異能者の力を引き出す代わりに、その異能者の命を奪うものだわ!」


 明朗な声でそう叫んだ瞬間、扉がゆっくりと開かれた。果たしてそこにいたのは、青ざめた表情で立ち尽くす少年である。その目は大きく見開かれ、訳が分からないと言いたげに当惑した表情を浮かべていた。


 震える唇が呟く。

「ど……ういう、ことだよ、」

(タイミングぴったり。完璧)

 私は内心で拳を握った。このために、あんなに不自然なほど『レイディス』を連呼して少年を呼び寄せたのである。対するライデリーは、慌てた様子でレイディスに駆け寄り、「あんな女の言うことを信じてはいけない」とその背を撫でている。私は身動きができないまま、横目でやり取りを睨みつけた。


「全部、本当のことよ。このままいけば、あなたは大量殺人に加担させられることになるの」

「黙れ! おい、その女に猿ぐつわを噛ませ――」

 言いかけたライデリーの言葉を遮って、私は静かに告げた。


「――信じられないなら、私が代わりに機械に入るわよ」



 私が機械に入る。そう告げた瞬間、その場には困惑に似た沈黙が落ちた。

 愕然とした、視線が、背後から注がれる。瞬間、僅かに体にかかる重みが増した。女は大きく目を見開いている。

 私は荒い息を整えるように、必死に呼吸を繰り返した。この言葉を口にした時点で、私はもはや後戻りできなかった。もう逃げられない。取れる手は時間稼ぎしかなかった。


(……あの機械は、異能を持たない人間が入れば、『何が起こるか分からない』。それでもやるしかない)


 怖れに、体がふるりと震えた。私がたとえ異能者だったって怖いのは一緒だ。ライデリーは私の目に視線をじっと注ぎ、私が本気であると確信したらしい。私はぐっと奥歯を噛みしめて、視線を真っ向から受け止める。

「……ご存じないかもしれないが、この機械は力を持つ者にしか使えないのですよ」

「あなたもご存じないかもしれないけれど、私だって異能者の端くれよ」

 大嘘だった。少なくとも私は、自分に異能があるなどとは思ってもいない。でもここで騙しきらなきゃ意味が無い。



「本当のことを語りましょう。私の名前はメルセリナ・トラローレン。女王陛下が擁する特別部隊の諜報員で、かつて幼い頃、生まれ育った村を襲撃された際に、あの人に命を救われた」


 私の言葉に、ライデリーは眉根を寄せた。「女王……?」と、その顔には何やら訝しげな表情が浮かび、記憶を辿るようにその視線が宙に浮く。私は口角を上げて口を開いた。


「純系の異能者の血筋である、ユティニアの民。――私は、その生き残りよ」


 その名を出した瞬間、背後で女が息を飲んだ。ライデリーは愕然としたように目を見張る。私は視線を強めて息を止めた。

(やっぱり、ユティニアのことを知っているんだ)

 私が語っているのは、嘘ではない。ちっとも嘘じゃない。私がユティニアの生き残りであるのは事実だ。私はその話をちっとも知りやしなかったけれど、エリクスさんがそう言っていたのなら、その言葉を信じるだけの信頼は抱いている。恐らくその事実はあるのだ。私の知らないところで、どのような形かも分からないが。


「嘘だ」とライデリーは子どもを突き飛ばすようにして手を離すと、大股で私の前まで歩いて来る。身を屈め、椅子に座ったままの私と視線を合わせる。

「作り話はいい加減にしなさい。……ユティニアの民は、瞳が赤いものですよ」

 動揺するのは、今度は私の方だった。愕然としたまま、「会ったことがあるの?」と呟く。

「会ったことはありませんがね」

「……それならどうして、」

 それならそれとして、何故、……私を除いた家族みんなが、赤い目をしていたことを知っているのか?


「呆れたな、ユティニアのことをろくに知りもせずに作り話に踏み切ったんですか」

 そう言って、ライデリーは私の髪を引き下ろして顔を上向けさせた。頭皮が引っ張られ、私は顔を顰めて顎をもたげる。

「お前のような人間がユティニアを名乗ることもおこがましい。あれは、その炎を用いて長らく姿を潜めてきた、何よりも気高き血脈ですよ。力すら持たぬお前たち劣等種に踏みにじられるまで、ユティニアは常に我々の希望だった。ユティニアによって異能者は守られてきたんだ」


 早口で語るライデリーを前に、私は自分が悪手を打ったことを悟った。語られる内容には覚えがなく、私は当惑するばかりである。私がこれ以上語る言葉を持っていないことを悟ったらしい、ライデリーは私の髪から手を離し、私の首に手を這わせた。



「それにしても、女王の手の者でしたか。あの忌々しい異能封じの女が背後についているとなれば、あなたも何か所持しているのではないですか? ……ああ、どうやらそのようだ」

 私の首筋に指先を滑らせた、その小指の先が、指輪を下げるチェーンに触れた。その動揺を拾い上げて、ライデリーは満足げに頷いた。私はごくりと唾を飲んだ。

(加護を、取られるわけにはいかない)

 私は体を強ばらせ、ライデリーの目を正面から見据える。

「……髪留め、」

 短く吐き捨てると、どこかひんやりとして湿ったような手が首から離れた。「これか?」と女が背後で呟く。私は頷いた。

「透明な石が嵌まっているでしょう。それが異能封じの加護よ」

「そうか」

 ライデリーはあっさりと頷くと、おもむろに結び目に手をかけて、乱暴に髪留めを引き抜いた。雑な手つきに、髪が数本引きちぎれたのを感じる。私は目元を歪めて痛みを堪えた。


 男は髪留めを目の高さに掲げて眉をひそめた。

「……こんな、その辺で売っているようなちんけな髪留めが?」

(ちんけで悪かったわね)

 その言い草は店に失礼である。私はむっすりと答えない。ライデリーは興味を失ったように髪留めから視線を外し、ぽいと窓の外に放り捨てた。私は黙ってそれを見送る。



(あの髪留めを見れば、エリクスさんは私がこの近辺にいると気づいてくれるだろうけれど……そもそも、人でごった返しているであろうお祭りの日に、あんな小さな髪留めを見つけてもらえる可能性は低いだろうな)

 私は俯いた。こんな悪あがきみたいな手段しか、私に取れる手はなかったのだ。


(それに、このままじゃ、私がレイディスの身代わりになって機械に入るのも難しそう)

 何とかして私が異能者であると思い込ませたかったのである。そのためにユティニアの名前を出したのだが、どうやらそれがまずかったらしい。向けられる視線は芯からの不信感に満ち、これ以上私の口車に乗せられまいと考えているのが明らかだった。



(運良く進めば良いと思ったけれど……もう私にできることはない)

 うち萎れながら、私は深く項垂れる。無力感に背中を押さえつけられるような気持ちだった。いや、何というかもう、本当に重圧が増したかのような気分である。


 私は悔しさに、ぐっと歯を食いしばった。



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