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第八十一話 ガチンスキー領攻略戦③

 エゴール率いるロマノフ軍は、チャコフ砦を落としてから僅かの休息を挟んで、クリコフ領境へと進軍を開始した。

 そして、一日の行軍を経て、ロマノフ軍は領境へと到着した。


「ここで陣を敷く。まずは所々に立っている木々のあいだに縄を張れ」


 ここ一帯は、木々が立ち並んでおり、幅が三メートル程の街道以外は行軍することは難しい。

 歩兵ならば迂回すれば何とかなるかもしれないが、騎兵はまず不可能である。

 そのため、ロマノフ軍は、街道の両脇にある木々の間に縄を張り街道を塞ぎ、敵の足を止めることにした。


 彼の号令と共に、兵達が用意していた縄を手に取り、木々の根元から五十センチ、一メートル、二メートル、の三段階の高さで縄を結びつける。

 そして約二十メートル離れた、反対側の木にも縄を結びつける。

 これで歩兵と騎兵のどちらも、簡単に通過することはできなくなったはずだ。

 と、エゴールはほくそ笑む。

 

 夕刻になり、ロマノフ軍は、用意してきた縄を全て結びつけ終えた。

 その結果、街道の約五百メートルに渡る部分が、一定間隔で縄によって封じられることとなった。

 

「よし、これで準備は大方整った。あとは土嚢だ」


 そして、彼は仕上げに、敵が潜り抜けやすそうな場所に、土嚢を積み上げさせた。

 

「これで準備は万端ですね」


 ユーリーが、したり顔で構築した防御陣を眺めているエゴールに話しかける。


「うむ、これであとは死力を尽くすまでよ。そこまでして駄目なら仕方無い。あとは松永殿に任せるとしよう」

「ええ。ただ、そうならないことを願いたいですね」

「ああ、そうだな」


 しかしエゴールは、その言葉とは裏腹に並々ならぬ闘志を燃やしていた。

 その理由は、もちろん第一はロマノフ家のためである。

 ただもう一つ、マリアを迎い入れるために箔を付けたい、というエゴールの思いもあったことには触れておく。

 

 それからロマノフ軍は領境で日を跨ぎ、敵援軍の到着を待った。

 そして、日が明けてから待つこと五時間程、昼前になったところで敵が姿を現わした。


「見たところ、兵力は予想より少し多い程度か」


 クリコフ軍が主体となった援軍の構成は、騎兵六十に歩兵百二十の計百八十人だ。

 事前に秀雄から聞いていた数の最大値より少し多い。

 

「そのようですね」

「まあいい、やることは変わらん。さて、時刻からして、敵は昼食を取ってから攻撃開始だろう。こちらも相手に合わせて動くとしよう」

「承知しました。そのように全軍の伝えておきましょう」


 ロマノフ軍は、敵に合わせ昼食を取り、攻撃に備える。

 そして一時間後、敵援軍が街道を横一杯に使い、二騎の周りに歩兵が三人が付いた五人一組で攻撃を開始した。

 

「よし、まずは敵が縄を切断しているところを矢で射かけよ」


 張り巡らされた縄は何重にも編み込んでいるため、そう簡単には切れない。

 そのため、弓兵にとっては縄を切っている兵達は、いい的だ。

 敵歩兵が一斉に縄を斬りつけている隙に、ロマノフ兵が矢を放つ。 

 

「ギャ!」

「ウギャー!」


 放たれた矢は、なかなかの確率で敵兵に命中し、クリコフ兵の戦意がそがれる。

 しかし、戦線に穴が開くと、後方から次々と敵兵が登場してくる。


「長槍隊前へ! 騎兵の馬を狙え!」


 エゴールは敵が怯んだ隙を逃がさずに、攻撃を重ねる。

 縄の間から突き出された穂先が、グサグサとクリコフ兵へと突き刺さる。

 

「いいぞ。この調子だ」


 しかしエゴールが悦に入っていると、敵も騎兵を前面に押し出し、長槍隊の攻撃を受け止めさせる。

 その隙に、自由になったクリコフ歩兵が縄を切り出した。


「チッ。縄が切断されそうになったら、無理せず後方に退くぞ!」

『ハッ!』


 エゴールは、前線で奮闘している長槍隊に言葉を掛ける。


「エゴール様、魔法隊を出します」

「うむ。いきなり踏ん張りどころだな」


 クリコフ軍が、いきなり騎兵を投入したことは焦りの証拠である、とユーリーは踏み、こちらも虎の子の魔法隊を出すことを進言したのである。


「魔法隊こちらへ!」


 エゴールは魔法士二名から構成される、形ばかりの魔法隊を呼び寄せた。


「お前達は歩兵を撃ち殺せ。あと、魔力が切れそうになったらこれを舐めろ」


 彼は、秀雄から差し入れとして貰った蜂蜜を魔法隊に渡した。

 貴重品で数に限りがあるが、彼はここで使うべきとの判断を下した。


「あっ、ありがとうございます」

「こんな貴重なものを……」 


 二人に魔法士は、恐縮しながらも蜂蜜の入った瓶を受け取った。 

 それから、エゴールに向け一礼してから、持ち場となる最前線へ駆けていった。


 一分後、一本の縄が切り取られた。

 エゴールは、長槍隊を後退させるタイミングを計り始める。   

 

 だが、彼等も只でやらせるわけにはいかない。

 突破を許すにしても、少しでも被害を与えてやろうと、粘り強く馬を狙う。

 その結果、一騎の首筋に槍が刺さった。 


「ブヒヒーン!」


 臆病な馬は、突然の痛みにのた打ち回り、クリコフ騎兵を振り落とした。

 統制の取れた槍撃を放ってくるロマノフ兵に対し、騎兵達は苛立ちを募らせる。

 

「まだ縄は切れないのか!」


 クリコフ騎兵が縄を切っている歩兵に檄を飛ばす。


「今二本切りました。あと少しです!」


 被害は出ているものの、なんとか突破できそうな状況に騎兵は安堵する。


「よしこのまま――、ぐはっ」


 前線で気を抜いたのが命取りだった。

 長槍隊が後退前の最後っ屁とばかりに、クリコフ騎兵へ一撃を与えたのだ。 

 

「よし! 退け!」 


 エゴールは結果的に二騎を排除したことに満足し、兵を二十メートル後方の、縄が張られた場所へと後退させる。

 長槍隊が後退してから一分が経過すると、すべての縄を断ち切った敵軍が態勢を整え前進を開始する。


「撃てぃ!」


 エゴールの号令と共に、魔法隊と弓隊が一斉に魔法と矢を放つ。

 撃たれた魔法は二発とも、敵歩兵に命中する。

 弓矢も数本騎兵に命中し、隊列を乱すことに成功した。

 

「いいぞ、この調子だ。危なくなったらまた退くぞ」


 それからロマノフ軍は、縄が切られそうになると後退をして、被害を最小限に抑えながら、敵を消耗させていった。


 それから、二時間が経過した。

 すでに五百メートルある縄地帯のうち、九割以上が突破をされた。 


「そろそろ、全ての縄が切られるな……」


 エゴールが呟く。

 しかし、彼の表情に曇りは無い。


「ええ、ですが我が軍は被害を最小限に留めました。それに対し、敵は強引に突破しましたので、かなりの数が戦線から離脱していることでしょう」


 ここまでの戦いで、ロマノフ軍が負った被害は、死者が二に、重傷者が四である。

 それに対し、クリコフ軍は、死者十四に、重傷者が十九だ。

 数の上では、ロマノフ軍が圧倒していることはわかる。 

 それに加え、クリコフ軍は強引に突破したことにより、疲れが溜まっている。


「うむ。では最後の縄が切られたところで、予定通り反転し攻勢に移る。あと三十も被害を与えれば、奴らも引かざるを得ないだろう。クリコフ家も、援軍で被害を出したくはないだろうしな」

「承知しました」


 そして十分後、全ての縄が断ち切られた。


「全軍突撃!」 

 

 エゴールが号令を発すると、これまで消極的だったロマノフ軍が一斉に反転し攻撃を開始した。

 全ての縄を断ち切ったことで敵の戦意は落ちているだろう、と油断していたクリコフ軍は不意を突かれる格好となった。

 ロマノフ軍の後退劇が、半ば擬態であることに気が付かなかったのだ。

 クリコフ軍に名将と呼ばれる人物がいれば、違った結果になったかもしれないが、騎兵の質に驕ってたクリコフ軍は、突然の猛烈な反撃を受け混乱する。

  

「このまま攻め立てよ! 敵は混乱しているぞ!」


 エゴールは油断をせずに、疲労が溜まった頃合いを見計らい、前線の兵を交代しながら攻撃を続ける。

 後方から、魔法や弓で支援しながらである。

 一方、クリコフ軍もなんとか建て直しを図り、騎兵を中心に盛り返そうとする。

 そして三十分後、ロマノフ軍が百メートル押し返したところで、両軍は均衡状態となった。


「よし、私が出る」

「お供いたします」


 膠着状態を打破するため、エゴールが自ら前に出ようと決意した。

 と、そのとき、ドドドドと後方から馬蹄が響いた。

 エゴールが振り返ると、そこには五十の騎兵がたたずんでいた。

 バレスら松永軍の精鋭が援軍にきたのだ。


「あとはわしに任されよ」


 バレスはエゴールに一言添えると、そのまま前線へと突撃していった。

 

「ふー」


 エゴールは勝利を確信して一息吐くと、その場に座り込んだ。

 

 程なくして、バレスの参入が切欠となり、両軍の均衡は崩れた。

 その結果、クリコフ軍は援軍の目的を果たすことなく、尻尾を巻いて自領へと退却したのである。

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