第二十七話 「ラブレター」
その手紙を読んだ瞬間、立山高校三年の岡原智久は思わず昇降口でガッツポーズを決めていた。
『お話したい事があります。放課後、屋上まで来てください。 M.H』
かわいい便箋に書かれたその手紙は、岡原の下駄箱に入っていた。まぁ、何というか、ある種の恋愛ドラマ、というか学園恋愛もの、というか少女漫画にありがちな展開ではあるが、実際にやられると野郎どもは興奮するものらしく、岡原は何度も拳をグッと握りしめながら昇降口で気勢を上げていた。
「ヨッシャァァァァァァァッ!」
突如として気勢を上げるという奇行に走った岡原に周囲の生徒たちは気味悪そうな表情を浮かべているが、知った事ではない。もっと言えば、冷静に考えてみれば手紙の相手が女子であるとは全くもって限らないのであるが、その辺の事は岡原の頭からきれいさっぱり抜け落ちているらしく、彼はそのまま即座に回れ右をすると、陸上部で鍛え上げた脚力で廊下を走り始めた。
「ウオオオォォォッ! 待っててくれよ、マイハニーィィィィッ!」
興奮のあまりわけのわからんことをほざいているが、とにかく彼は走っていた。全力疾走だった。途中で生徒指導の先生と真正面からぶつかって三十分ほど生徒指導室でお説教を食らうなどという些細な事もあったが、とにかく彼は目的地である屋上へ通じるドアの前に到着していた。普通に歩いた方が早かったんじゃないかなどという突っ込みは、今の彼に対しては野暮というものだろう。
何にせよ、岡原はそこでいったん息を整え、ついでに身だしなみもある程度整えると、一度深呼吸してドアを開けた。夕日で真っ赤に染まった屋上……その屋上のフェンス沿いから、一人の女子生徒が街の方を眺めているのが目に入る。
「ほ、本当にいた……」
見る限り同じ三年生のようだが、岡原にとっては初見の顔だ。いずれにせよ、どうやら『実は相手が男でした!』などという男子大ブーイング必須の展開ではなかったようである。今さらながらようやくその事実に気付いた岡原は大きく安堵の息を吐いたが、それでその女子生徒は岡原に気づいたらしく、ゆっくりと岡原の方へと体を向けた。
「来てくれたんですね」
そう言われて、岡原は身を硬直させて声を発する。
「俺……じゃなくて、ぼ、僕に何の話かな?」
だが、それに対し少女はもじもじしながら言う。
「その前に……あの、さっきの手紙を返してもらえませんか? 出したはいいけど、やっぱり、恥ずかしいですし……」
「え、あ、うん。いいよ」
岡原は少し残念に思いながらもさっきの手紙を差し出した。少女は大事そうにそれを受け取ると、そのままはにかむようにこう続けた。
「実は、岡原君に話したい事があるんです。聞いてもらえますか?」
「も、もちろん! 何だい?」
緊張しながらも、岡原はそう言った。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。そんな中、少女は少し微笑みながら、その言葉を発した。
「岡原君、どうして陸上部の女子更衣室を覗いたりなんかしたんですか?」
岡原は一瞬、何を言われたのかわからなくなった。
「え、あの……何を言って……」
「そのままの意味です。岡原君、陸上部の女子更衣室を覗いていましたよね?」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 何で初めて会った人にそんな事を言われないといけないんだよ!」
「んー、何でって、頼まれたからですけど」
「頼まれたって……」
「出てきてもいいですよ」
少女がそう呼ぶと、屋上の入口の陰から誰かが出てきた。その顔に、岡原は見覚えがあった。
「ふ、福浦さん!」
それは、女子陸上部の部長をしている三年生の福浦麻衣だった。が、その顔は怒りで真っ赤になっている。
「陸上部の誰かだとは思っていたけど、まさか岡原君だったなんてね……」
「ちょ、待ってよ、何がどうなっているのか……」
「私が頼んだのよ。名前くらい知らない? ミス研部長の深町瑞穂さん」
「ミス研……って、あの殺人部の!」
「その言い方は風評被害ですけど」
少女……ミス研三年にして部長の瑞穂が顔を膨らませる。
「いやいや、風評被害どころか何年か前に本当に連続殺人が起こってたじゃないか! なのに、廃部にならずにどっかの物好きなやつが一人で部を存続させたって聞いていたけど」
「はい、それ私です」
瑞穂が打って変わって笑顔を浮かべながら答える。それに対して、麻衣は怒りの表情を浮かべながら経緯を説明した。
「最近部室が覗かれているみたいって他の部員が苦情を言っていたから、バスケ部のさつきに相談したらわざわざ瑞穂を呼んでくれたのよ。さつきが言うに『この手のトラブルを解決してほしかったら瑞穂に頼むのが一番』って事で」
「で、相談されちゃったんで、少し調べてみたんです。そしたら岡原君が浮かび上がって来たんで、こうして呼び出したわけですよ」
「待てよ! 俺が覗きだなんて、何か証拠でもあるのかよ! 言い掛かりなんてひどいぞ!」
そんなある意味定型通りの岡原の反論に対し、瑞穂はため息をついて首を振った。
「あのねぇ、岡原君。悪いことするんだったらもうちょっとちゃんとやった方がいいですよ。あまりに簡単すぎて張り合いがなかったし」
「は?」
「現場の更衣室の窓ガラスには指紋がべたべたで、その窓の下には大量の足跡。しかもその足跡の靴の種類は以前陸上部員が共同購入したもので、この時点で犯人が陸上部員である事は明白。ついでに指紋の位置とか足跡の歩幅とかで犯人の体格ももろばれ。正直、まるで見つけてくれって言ってるみたいで拍子抜けしちゃいました。で、男子陸上部員の中からアリバイやら体格やらで絞って最後に残ったのが岡原君だったってわけです。あ、ちなみにさっきの手紙を昇降口に入れたときに岡原君の靴跡は取っておいたから、調べたら一致すると思いますよ。それに、指紋もこの手紙についたのと現場の窓ガラスのやつが多分一致するだろうし。いやぁ、こんな小恥ずかしい手紙を書くのに私も苦労しました」
そう言いながら、瑞穂はさっきの手紙をひらひらと示す。が、そこで岡原が思わず突っ込んだ。
「ま、待て、待て! たかが高校の覗きを調べるのに指紋や足跡を調べたのかよ!」
「調べちゃいけないんですか? そんな決まりはないと思いますけど」
瑞穂はキョトンとしたように首をかしげる。が、確かに第三者から見たら、いくら覗きとはいえ普通の女子高生がやるような対応ではない。
「あと、たかが覗きとか言っていますけど、あれってれっきとした犯罪ですよ。より正確に言うなら軽犯罪法二十三条です。まさか、ばれてもちょっと叱られて終わりになるなんて甘い考えを持っていないですよね?」
「そ、それは……」
「ま、ここから先は麻衣にお任せします。許すもよし、先生に言うもよし、警察に訴えるもよし。一応、この足跡と指紋つきの手紙があれば警察も動くと思いますし。じゃ、私はこれで」
そう言うと、瑞穂は足跡を写したと思しき紙とラブレターをビニール袋に入れて麻衣に渡し、そのまま手を振りながら屋上を去っていった。後には天国から地獄へといきなり突き落とされて混乱状態の岡原と、怒りで拳を握りしめている麻衣の姿だけがあったのだった……。
「で、結局どうなったの?」
後日、教室で昼食を食べながらさつきに聞かれて、瑞穂はこう答えた。
「あの後、麻衣に対して物凄い勢いで土下座してかわいそうなくらいに謝り続けたって。で、警察には行かずに先生に言うだけで終わったみたい。もっとも、先生たちには物凄く叱られたみたいだけど。部活も三ヶ月間の参加禁止だって」
「そりゃそうよねぇ。でも、瑞穂も意地悪いよね。そんな意味ありげな手紙で呼び出すなんて」
「私は話があるって書いただけで、別に愛の告白をするなんて書いていないよ。勘違いした向こうが悪いと思うけどなぁ」
「でも、可愛いい便せんだったんでしょう?」
「たまたま手元にそれしかなかったの。他に意味はないって」
「……っていうかさ、押し付けておいてなんだけど、瑞穂、ちょっと性格や考え方があの探偵さんに似てきた?」
「いやいや、先生だったらあの程度じゃすまないって。相手が再起不能になるまで徹底的に論破して、多分最後は自分で警察を呼んで容赦なく留置所に叩き込んでると思う。というか、あらかじめ刑事を呼んでおいて、推理が終わった辺りで合図してその場で逮捕させるくらいの事はやりそう」
「……否定できないのが怖いね」
さつきは少し引きつった顔をしながら言った。
「でも、まぁ、瑞穂が頼りにされてるみたいで、私は嬉しいよ」
「元はといえばさつきが頼んできた事だけどね。私はこんな先生の真似事みたいな事、あんまりしたくないんだけどなぁ。何ていうか、心臓に滅茶苦茶悪い」
「でも、結構ノリノリだったじゃない」
「……うん。ちょっと自分が怖いかな……」
瑞穂はそう言うと、思わず窓から空を見上げたのだった。




