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第二十六話 「因果応報」

 東京・練馬区。この日、警視庁刑事部捜査一課に所属する榊原恵一警部補、橋本隆一警部補の両刑事は、人通りの多い商店街の一角に覆面パトカーを止めて、道行く人々を見つめていた。もちろん、これは仕事である。

「どうだ?」

「今の所それらしい奴はいないが……犯行周期からして今日あたりが危ない。気は抜けないぞ」

 そう言いながら、二人は周囲を見回している。その手には、一枚の顔写真が握られていた。二人は油断なく視線を巡らせながら、改めて情報を確認する。

野倉慎太のぐらしんた、二十三歳。元々暴走族の一員で警察からもマークされていた奴だが、グループ内で何かやらかしたらしく暴走族を離脱。その後、ひったくり犯に成り下がった奴だ」

「練馬区を中心に起こっている女性を狙った連続ひったくり事件の被疑者だな。バイクで走りながら歩行中の女性の所持品を奪う事すでに十五件。十三件目の事件ではバックを奪われまいとしたOLがバイクに引きずられ、意識不明の重傷を負っている。まぁ、だからこそ我々捜査一課も駆り出されているわけだが……」

 重傷者が出た事で、警視庁もこの連続ひったくり犯に対して本腰を入れ始めていた。この調子ではいつ死亡事故に発展してもおかしくないからである。このため、次の犯行が想定されていたこの日、練馬区各所の人通りの多い場所に、刑事たちが配置されていたのだった。

「奴の現住所を他の班が調べたが、もぬけの殻だった。もう何日も帰っていないらしい。それに、奴が暴走族時代に使っていたバイクもそのまま放置されていたらしい」

「さすがにそれをそのまま使えば足がつく事くらいはわかっているようだな。となると、おそらく盗難したバイクを使い捨てながら犯行を重ねていると言ったところか」

「被害総額は今わかっているだけでも五十万円を超える。犯行がどんどんエスカレートしているのは事実だ。これ以上、奴の犯行を許すわけにはいかない」

 そう言って、橋本が改めて商店街の少し先を見た、その時だった。

「おい、榊原。あれ」

 橋本が急に鋭くそう告げる。榊原がそっちを見ると、商店街の入口辺りで停車している不審なバイクが見えた。顔はヘルメットに覆われてよく見えないが、何か商店街の中の様子をジッと見つめているように見える。

「……臭うな」

「あぁ。あからさまに怪しい。職質するか?」

「そうだな。橋本、頼む。私は万が一に備えておく」

 運転席に座る榊原はそう答えた。もし職質前に逃走された場合、覆面パトカーで追跡する必要が出てくる。そのためにも、一人は運転席に待機しておかねばならなかった。

「わかった。俺が行く」

「慎重にな。ばれたら何をしてくるかわからないぞ」

「あぁ。もちろん」

 そう言って、橋本が助手席から降りてバイクの方へ向かおうとした……その瞬間だった。

「あっ!」

 不意に榊原が短く叫んだ。橋本が反射的にそっちを見ると、さっきのバイクが急発進して、こちらへ向かって突っ込んでくる。その先には、スポーツバックを肩にかけて歩いているブレザー姿の女子高生の姿があった。後ろから近づいてくるバイクに、彼女はまだ気づいていない。

「危ない!」

 橋本が咄嗟に叫ぶ。その声に少女はハッとした表情で顔を上げたが、時すでに遅し。バイクは彼女の傍をかすめるように通り過ぎると、その瞬間に素早くスポーツバックを奪って走り去ってしまった。バッグを奪われた女子高生はその場に転倒し、そのまま呻き声を上げている。

「畜生っ、やりやがった!」

「橋本、お前はあの子の手当てを! あいつは私が追う!」

 そう叫ぶや否や、榊原はアクセルを踏んで覆面パトカーを急発進させ、ハンドルを切って逃走するバイクの後を追った。隠していたサイレンを鳴らすと、向こうもこっちに気付いたらしく速度を上げようとする。榊原はバイクを追いながら無線連絡を入れた。

「至急、至急! ××商店街においてひったくり事案発生! 手配中の野倉慎太の可能性が高い! 被疑者は〇〇通りを東に逃走! 現在、追跡中! 応援を頼む!」

『了解。そのまま追跡されたし』

 無線を切ると、榊原はマイクをスピーカーに切り替えて呼びかける。

『前のバイク、停まりなさい! 逃げ切れないぞ!』

 だが、バイクは停まらない。榊原も、これで停まるとは思っていないが、周囲の車に危険を知らせる事はできる。そのまま、バイクと覆面パトカーのカーチェイスはしばらく続いた。

 だが、榊原も闇雲に追いかけているわけではなかった。辛抱強く追いかけながらさりげなく犯人の逃走経路を誘導し、近くのT字路に通じる経路に追い込んでいたのである。そして、その狙いは当たった。少し先にあるT字路。そこには先着した別のパトカーが、道をふさぐようにして立ちふさがっていた。

 それが見えた瞬間、バイクは慌てたように急ハンドルを切ろうとした。が、バイクはそのままドライバーの意思に反して横滑りをはじめ、運転していた男を道路に振り落としながらふさいでいたパトカーの横っ腹に激突する。男はその数メートル手前にスポーツバッグごと放り出され、衝撃でバッグの中身を巻き散らかしながら路肩で止まった。そのまま起き上がる気配はない。榊原はパトカーを降りると、他の警官たちと一緒にそのまま犯人の元へと駆け寄った。

「う……うぅ……」

 うめき声が聞こえるところを見ると、どうやら命に別状はないらしい。榊原はそのまま男のヘルメットを外した。中からは、やはり野倉慎太の顔が出てくる。

「野倉慎太だな。痛そうなところ悪いが、ひったくりの現行犯で緊急逮捕する! このまま警察病院に行ってもらうぞ」

「……畜生っ!」

 野倉は顔をしかめながらもそう吐き捨てた。そんな野倉に手錠をかけながら、榊原は何気なく中身が散らばったスポーツバッグの方を見やり……。

 直後、彼としては珍しい事にそのまま絶句してしまった。

「何だ……これは……」

 その言葉に、他の警官たちや野倉もそっちを見る。その瞬間、彼らの表情も一気にこわばった。野倉が女子高生から盗んだスポーツバッグの傍に転がっていたもの……


 それは、どす黒い血に染まったジャージに同じく血で真っ赤に染まった包丁だった……。


「……は?」

 そう言葉を発したのは野倉だった。直後、野倉の表情がみるみる青くなっていく。だが、百戦錬磨の現場を潜り抜けてきた榊原はいち早く正気に戻り、そして呆けている警官たちに叫んだ。

「いかん! 早く連行しろ!」

 榊原は鋭くそう言うと、そのままバッグの方に駆け寄って状況を確認する。野倉の仕業ではない。野倉が少女から盗んだバックに何もしていないのは追跡していた榊原自身がよくわかっている事である。となれば、こんなおぞましいものをバッグに入れた可能性がある人間は一人しか考えられない。

 榊原は、即座にパトカーに戻ると、無線で橋本に連絡を取った。

「私だ。橋本、さっきの女の子はどうした?」

『あぁ、今最寄りの交番で手当てを受けている。幸い大した怪我じゃなかったから、被害届を書いてもらって今日は帰ってもらおうかと……』

「駄目だ、帰すな! 緊急逮捕しろ!」

 榊原は咄嗟に叫んでいた。驚いたのは橋本である。

『逮捕って……どういう意味だ! 何があったんだ!』

「時間がない。とにかくその女子高生を絶対に逃がすんじゃない! 応援をそっちによこすから、確実に身柄を拘束しろ」

『容疑は何だ?』

 その問いに対し、榊原はシンプルに答えた。

「殺人だ」

 ……それから三十分後、商店街近くにある交番に数台のパトカーが急行し、中から顔を隠され手錠をかけた一人の少女が泣きじゃくりながら出てきたのを、何人もの通行人が目撃する事になったのである……。


「……真那井恵奈まないえな。事件当時練馬第三高校二年生で、同校のテニス部のエースだった。彼女は馬田健吾郎うまだけんごろうという大学生と密かに付き合っていたんだが、その馬田の家で些細な事から喧嘩になってしまい、衝動的に手に取ってしまった台所の包丁で反射的に馬田を殺害。その後、凶器や返り血のついたジャージの処理に困り、ひとまず持ち込んでいたスポーツバッグに入れて最寄りの神社の境内にある雑木林に埋める事で証拠の隠滅をしようとしていたようだ。もっとも、その途中で野倉にバッグをひったくられ、呆気なく犯行はばれてしまったんだがな。後で問題の馬田の家に踏み込んだら、浴槽に血まみれの被害者が転がっていたよ。彼女の指紋だのなんだの証拠はどっさりで、立件するのはそう難しくなかった」

 事件から数年後、警察を辞めて私立探偵になっていた榊原は、自称助手の深町瑞穂が持ってきた事件ファイルを見ながらこの事件を回想していた。予想以上に重い事件に、瑞穂がいつも以上に真剣な表情で感想を述べる。

「でも、そのひったくり犯も災難でしたね。まさか殺人犯から血まみれの凶器をひったくっていたなんてトラウマどころの話じゃないと思います。というか、捕まってよかったんじゃないですか? 下手に逃げていたら、逆に殺人の罪を着せられかねなかったと思いますし」

「同感だ。実際、裁判の結果かなりの年数の懲役刑を食らっていたはずだが、二度と犯罪なんかしないと心の底から反省していたようだった。自分のやっていた事なんかまだまだかわいかったと痛いほど実感したようだな」

「何とも皮肉な話ですね……。それで、その真那井っていう女の子の方は?」

「殺人そのものは衝動的だったとはいえ、証拠隠滅をしようとしていたからな。家庭審判ではなく逆送されて通常裁判で裁かれ、未成年者である事を考慮されはしたものの、結局懲役八年という判決になっていたはずだ。もう出所はしているはずだが、今どこで何をしているのかまではわからない」

 そう言うと、榊原は大きく息を吐いた。

「私はひったくりほど割に合わない犯罪はないと思っている。何しろ、相手が何を持っているのかわからないんだ。そりゃ、普通は現金なんかが手に入るかもしれないが、時としてとんでもないものが入っているかもしれない。イギリスでの話だが、ある泥棒が電車の中で別の客の荷物を盗んだところ、中にテロリストの仕掛けた時限爆弾が入っていたという事があったらしい。まぁ何にせよ……面白半分にこういう事をやっている奴は、いつか必ず罰が当たるという事なのかもしれないな……」

 榊原の言葉に、瑞穂は珍しく何も言えなかったのだった……。

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