第十六話 「当たり屋」
藤峯次郎と蔵馬照彦はいわゆる「当たり屋」である。一応新宿に本拠を構える暴力団の下っ端ではあるが、本当に末端の末端であるため、こうした当たり屋家業をやらざるを得ない状況だったりする。
とはいえ、よくある当たり屋のように自分から車の前に飛び込んでいくような勇気はとてもないので、この二人のやるのは何というかもっとシンプルかつしょぼいやり方だった。すなわち、標的になりそうな通行人を見つけると、自分からぶつかっていって大怪我をしたとわめき、混乱状態の相手に脅し気味に慰謝料を吹っ掛ける……と、まぁ漫画に出てくるチンピラ辺りがよくやっていそうなあれである。とはいえ、実際にやられると向こうもどうすればいいのかわからなくなるらしく、今の所ソコソコの稼ぎは出ていた。
この日も二人は、標的になりそうな人間はいないかと新宿界隈の繁華街を行き交う人々を物色している最中だった。時刻は夕刻を過ぎ、そろそろ繁華街が活気づいてくる頃合いである。
「兄貴、いいカモ見つかりました?」
「いや、まだだ」
蔵馬の言葉に、藤峯はそう言って油断なく周囲を見回す。
「あせるんじゃねぇ、こういうのは獲物を見つけるところから始まっているんだ。逆に言えば、ここでいい獲物を見つけられれば、稼ぎも増えるんだよ」
「はぁ……俺、もっとましな仕事がしたいっす」
「我慢しろ。俺だって好き好んでこんな事をしているわけじゃねぇんだ。だが、ここでいい稼ぎを出せれば、組の中での俺らの地位も上がるってもんだ」
そう言いながら、不意に藤峯がサングラスの奥で目を細めた。
「お、あいつらなんかよさそうだ」
その視線の先にいたのは、くたびれたスーツにヨレヨレのネクタイを締めた中年サラリーマン風の男と、セーラー服を着込んだ女子高生のコンビだった。傍目から見れば、どう見ても女子高生と援助交際している窓際サラリーマンと言った風貌である。
「あいつっすか?」
「あぁ、ああいうエンコーしている奴っていうのは自分のやっている事がばれるのを嫌うもんだ。『大事にしてほしくなかったら金を出せ』って言えば、大抵のやつは素直に金を出す」
「なるほど」
「んじゃ、いつもの通りの手はずで行くぞ」
そう言うと二人は標的の方へと向かってさりげなく歩いていき、すれ違いざまに藤峯が男の方に接触してできるだけ派手にわめいた。
「ぐわぁっ! 痛てぇっ!」
そう言いながら藤峯は路上に転がって腕を抑えながら呻き声を上げる。男が呆気にとられていると、すかさず蔵馬が合の手を入れる。
「あ、兄貴! 大丈夫っすか!」
「う、腕が、腕が折れたみてぇだ! これは重傷かもしれねぇ!」
「何だって! てめぇ! よくも兄貴に大怪我をさせてくれたな!」
蔵馬はそう言いながら男に向かって突っかかっていった。わけがわからないのは男の方だろう。男は隣にいる女子高生と一瞬キョトンとした風に顔を見合わせると、小さく首を振りながら蔵馬に話しかけた。
「大怪我って……肩がぶつかっただけだろう」
「てめぇ、白を切るつもりか! 現に兄貴はこんなに痛がってるじゃねか! この落とし前、どうつけてくれるんだ!」
「どうと言われても……」
「さっさと慰謝料出せや! それとも、痛い目見ないとわからねぇのか! ああっ!?」
蔵馬は勢いに乗って指をポキポキ鳴らしながら相手を恫喝する。普通なら、この時点で相手は完全にビビってしまって金を出すはずであった。実際、蔵馬も藤峯もいつも通りうまくいくだろうと内心ほくそ笑んでいたのである。
だが、男は再度隣の女子高生と顔を見合わせると、何とも言えない微妙な口調でこう告げた。
「ええっと……痛がっているんなら、救急車でも呼んだ方がいいかね?」
その呑気な言葉に、蔵馬は本気でブチ切れかけた。
「て、てめぇ! 状況がわかってるのか!」
「いや、正直に言ってさっぱりだ」
「さっさと慰謝料を払えって言ってるんだろうが! おとなしく払えばこの場はそれで終わりにしてやるって言ってるんだ! 頭の悪い奴だな、おい!」
そこで、なぜか隣の女子高生が吹き出した。蔵馬が怒りの形相でそちらを見る。
「何がおかしい!」
「いやぁ、先生の事を『頭が悪い』何という人、初めて見たから……」
「喧嘩を売ってるのか!」
「いやいや、喧嘩を売ってるのはそっちだろう」
男が律儀に突っ込む。そこで蔵馬の怒りが頂点に達した。
「いい加減にしやがれ! さっさと出すもん出せって言ってるんだ!」
「はぁ……」
男が当惑気味にそう言った時だった。
「おい、探したぞ。待ち合わせ場所にいないからどこに行ったのかと思った」
男の方に、若い外見ながらも白髪姿という変わった姿の男が近づいてきた。
「あ、圷さん。お久しぶりです」
「あぁ。瑞穂ちゃんも元気そうだな」
そう言って圷と呼ばれた男は瑞穂と呼ばれた女子高生に軽く手を挙げたが、すぐに瑞穂の隣で苦々しい表情をしているもう一人の男の方を見てこちらも怪訝そうな表情を浮かべた。
「どうした、榊原? 何かあったのか?」
そう聞かれて榊原と呼ばれた男は苦笑気味に答える。
「いや、彼がいきなりぶつかって来たと思ったら急に地面に転がって痛がり初めて、お連れの方がなぜか私に『慰謝料をよこせ!』と」
「どう見ても兄貴は重傷じゃねぇか! 慰謝料払うのは、当たり前だろうよ!」
蔵馬が叫ぶ。が、圷と呼ばれた男は懐疑的な表情で藤峰の方を睨んだ。
「慰謝料? おい、お前、本当に重傷なんだろうな?」
「あ、当たり前だ! 腕の骨が複雑骨折してるかもしれん!」
藤峯は努めて痛そうに言う。が、それに対する圷の答えは簡単だった。
「そうか……じゃあ、診せてみろ」
「……は?」
「いや、だから診せてみろって言ってるんだ」
そう言うや否や、圷は屈み込んで藤峯の様子をチェックし始めた。慌てたのは蔵馬と藤峯である。
「な、何しやがる!」
「何って、軽い診察だが」
その圷の言葉に、榊原と呼ばれた男が補足する。
「心配するな。彼は本業の医者ではないが、かつて東大医学部を首席卒業した人間だ。そんじょそこらの人間よりはしっかり診察してくれるはずだ。少なくとも、本当に重傷なのかどうかくらいはわかるはず。慰謝料を払うのはそれからでもいいだろう」
その言葉に、蔵馬たちの顔色が悪くなった。まさかヤクザの当たり屋を真剣に診察する人間が出てくるなど完全に予想外だ。いくら因縁をつけようが、本職に「重傷なんて嘘だろう」と言われてしまえばどうしようもないではないか。蔵馬は慌てて榊原に別の因縁をつける。
「ちょっと待てよ! てめぇ、この事ばらされてもいいのか?」
「この事?」
「エンコーの事だよ! ばらされたくなかったら素直に金を払った方がいいんじゃねぇか?」
その言葉に榊原と瑞穂はしばし唖然としていたが、やがてなぜか小さく笑い始めてしまった。
「あぁ、そうか。傍目からはそう見えるのか」
「な、何がおかしい」
「一応言っておくが、私たちは別に援助交際じゃないぞ。仕事が解決した祝いにそこにいる圷さんとその同僚から食事に招待されていて、一緒に待ち合わせ場所へ出かけるところだっただけだ。この子の両親にもちゃんと許可はもらってある。……やっぱり二人で行くのはまずかったんじゃないかね?」
「いいんですよ。私は先生の助手ですから」
そんなやり取りに蔵馬はもう何も言えなくなってしまった。どうやら自分たちは間違った相手を選んでしまったらしいと少し後悔しかけていた……その時だった。
「おい、榊原! 救急車呼べ!」
突然圷が叫んだ。
「どうしたんですか?」
「いいから救急車だ! こいつは本当にやばいかもしれん!」
「は?」
今度は蔵馬と藤峯が絶句する番だった。重傷も何もこれは演技である。それを真面目にやばいなどと言い始めるとは、どういう事なのだろうか。現に、当の藤峯は何がどうなっているかわからずポカンとしている。
だが、これに対する榊原の対応は素早かった。急に表情が真剣になり、携帯電話を取り出して即座に119番通報を行う。蔵馬は止める暇もなかった。
そして救急車の対応も素早かった。通報からわずか五分で駆け付けるや否や、もはや何がどうなっているかわからくなっている藤峯をさっさと担架に乗せると、あれよあれよという間に救急車に乗せてしまったのである。蔵馬としてはどうしていいわからない。
「あの……慰謝料……」
「馬鹿野郎! てめぇもさっさと救急車に乗れ!」
結局、圷にそう怒鳴られて、わけがかわからないまま藤峯は本当に病院に担ぎ込まれてしまったのである。
それから数日後、都内にある某病院の病室で、藤峯は見舞いに来た蔵馬の説明を聞いていた。
「それじゃあ……俺は本当にやばい病気だったっていうのか?」
「はぁ、あの医者もどきが言うに、明らかに首筋の血管が異常に浮き出ていたから、一目見て何かやばい病気だと判断できたんだそうで。医者の話だと、もう少し手術が遅かったら一週間以内に死んでいたかもしれないと。当たり屋で怪我人を演じているつもりが、本当に『重症』だったって事らしいっす」
そう言われて、藤峯は大きくため息をついた。あの後、病院に担ぎ込まれた藤峯はそのまま手術室へ直行となり、何が何だかわからないまま麻酔をかけられ、今日になってようやく目が覚めたという有様であった。
「で、結局どうなったんだ?」
「はぁ、本当に重症だったわけだから、一応奴らから慰謝料……というか慰安料はもらいました。二万円」
そう言って蔵馬は一万円札二枚を渡す。が、その顔はなぜか泣きそうになっていた。
「でも、兄貴の手術とここへの入院代が相当かさんでいるんっす。多分、全部合わせると四十万円から五十万円くらいはかかるんじゃないかって……」
「……俺らの今までの稼ぎが全部パァ……だな」
当たり屋は成功したが逆に散在してしまい、その代わり命という金に変えられないものを救われるという結果に、藤峯と蔵馬は何とも言えない気分になってしまったのだった。




