序ー7話
光が少しの間吉野を包むと、すっと消えて行った。
「藤十郎はん、どないどす? どこかしら戻っとりますやろか?」
吉野は、そう言うと立ち上がってクルクルと回って見せる。
そんな吉野をじっと観察しながら、藤十郎は首をひねっていた。
「木綿布を少しずつ取って確認した方が、良いかもしれねぇな。少なくとも、前みたいに髪の毛がバサッと生えてきた、なんてくらいの大きな変化は見えねぇ」
「ほな、手足を少しずつ確かめますわ」
そう言って木綿布を少しずつ取るが、それでも吉野の体に変化はなかった。
「顔はどないどす? なんか違う所……」
吉野がそう言って、包帯を取ると、久しく見えていなかったものが見える。
それは、鼻。
すらりとした鼻筋の通った形の良い鼻が視界の端に微かに見えているのだ。
「と、藤十郎はん? これ! これ!」
「ん? おぉ! 鼻じゃねぇか! 今回は当りだったみたいだな!」
藤十郎が顔を上げると、すらっとした鼻が骨から出ているのが見える。
ただ、見えているのは鼻だけなので、しゃれこうべに鼻があるという何とも奇妙な状況になっていた。
「あぁ、匂いがしますぇ。肉の焼ける匂いも、草花の香りもほんまに匂いがしますぇ」
「良かったじゃねぇか。えっと何十年ぶりだ?」
「かれこれ、百年近くぶりどす。あないな状態からやっと、やっとここまで……」
吉野はそう言うと、感極まって泣き始める。
もちろん、涙など流れないがそれでも藤十郎の目にも涙が見える気がしていた。
「さてと、それじゃ後はこっちで薬にしてしまうが、いいか?」
藤十郎がそう言うと、吉野は黙って頷く。
そんなやり取りを二人がしていると、後ろで動く気配があった。
先ほどの鵺の子どもだ。
「あぁ、気づいたんどすな。よしよし、火の方へおいでやす」
「おめぇ、親食った後で良く抱けるな……」
「それとこれとは、違いますぇ。それに藤十郎はんは、薬を作らはるんやろ?」
吉野はそう言うと、しっしと藤十郎を追いやった。
そんなぞんざいな扱いに、藤十郎は少し膨れながらもやれやれと言った様子で、解体した肉を加工し始めるのだった。
その日は一晩かけて、藤十郎は薬をつくり。
その間に吉野は、鵺の子に少しずつ力を分けその日は穏やかな時間が流れるのだった。
そんな日から数日後、吉野と藤十郎は領主の住まう城へと来ていた。
城は、四方を沼地の様な湿地に覆われた土地の真ん中に鎮座する様にできた、台地の上に建っており、攻めるに難く守るに易い地形である。
そんな城の大広間に通された二人は、真ん中に座って領主を待っていた。
「相変わらず、不便な所に住んだはりますなぁ」
「まぁ仕方あるまい。守りやすいという事は、不便だという事なんだ」
「せやけど、もう少し住みよい場所の方が、あてはよろしゅうおす」
「……お前、それを絶対に領主様に言うんじゃねぇぞ?」
「あのお人が、そないな事で腹立てはりますかいな。どこぞの方と違ぅて、笑ってすまさはります」
そう言われた藤十郎は、何とも言えない顔つきになっていた。
そんな二人のやり取りをどこから聞いていたのか、笑いながら領主が入ってきた。
「クククク! 相変わらず吉野は、口さがないの」
「こ、これは! ご領主様、失礼を平に、平にご容赦ください!」
領主の姿を見た途端、藤十郎は横に居た吉野の頭を押さえつけながら謝りだす。
そんな藤十郎の姿を見て、領主の男はより一層おかしそうに笑い始めるのだった。
「ワハハハハ! なに、罰するつもりなどない。楽にいたせ」
「ありがたき幸せ」
藤十郎はそう言うと、吉野の頭を離して領主の方を向いた。
「吉野、体はどこか戻ったか?」
「おかげさんで、道灌はん。この通り鼻が、元に戻りましたぇ」
そう言って吉野が、木綿をずらして戻ったばかりの鼻を見せる。
それを見た道灌は、二カッと笑い頷いた。
この二人が話しているのは、太田道灌。
扇谷上杉に使えた勇将であり文化人とも言われた人物である。
「うむうむ、良きかな良きかな。さすれば、鵺退治上手くいったという事だな?」
「こちらに、その鵺を使った薬を」
藤十郎はそう言って、鵺の丸薬を道灌に差し出す。
道灌も、鵺の丸薬を手に取ってみながら頷き、訊ねた。
「藤十郎、この鵺の丸薬の効能は何かあったか?」
「手前で確認させて頂きましたところ、少なくとも力の出る薬ではあります。ただ、半妖の私では正確に人に現れる効果は、分かりかねますので……」
「なるほど、まぁその辺はどこぞの捕虜にでも試してやるか」
「相変わらず千葉の賊将が手向かうので?」
「あぁ、だがまぁ奴らは、どうにかなるだろう。それよりもきな臭いのは、京だ」
この年、京の都は室町幕府将軍足利義政の治世であった。
ただ、この義政は政治を妻に放り出して遊び惚けていたのだ。
そして、子が居ないという事で、仏門に入っていた弟を呼び寄せたは良いのだが、最近になって子ができたという。
それも、男の子と言うから近隣の守護たちは情勢を知ろうと、京に密偵を大量に派遣していた。
「京がきな臭いと?」
「恐らくあの根性無しの将軍様は、弟君を斬れぬ。斬らねば確実に大乱が起こる」
「あてらが、影に日向にと守ってたのに酷い話どすなぁ」
吉野がそううそぶくと、再び道灌が笑い出した。
「ハハハハ! 確かにそうだ。その通りだな。そこでだ、お主らに頼みたい事がある」
「……京へ偵察にと?」
「察しが良くて話が楽で良い。その通りだ」
「しかし、それはご領主様の影がされているのでは?」
藤十郎が、天井裏に少し視線を流すと道灌は頷いた。
「確かに俺の手勢も、向かわせた。だが、一人として帰ってこないのだ」
「一人として? しかし、道灌さまは確か風魔を……」
「うむ、あ奴らはこの関東では当代きっての影なのだが、それが戻らんという事は妖が相手の可能性があってな」
「なるほど、それであてらを京へという話どすな?」
「申し訳ないが、そう言う事だ。それも前情報も何もない状態でだ」
道灌がそう言うと、二人は力強く頷いてきた。
「ご安心ください。手前どもは妖専門、そう簡単に後れは取りませぬ」
「そうどすぇ、藤十郎はんは妖と戦うことだけは天下一品どす」
「おま、吉野。言うに事欠いてそれだけって言いきることねぇだろ?」
「ほな、他になんぞ得意な事は、あらはりますのんか?」
「得意なことくらい…………、ねぇな」
藤十郎がそこまで言うと、道灌が堪らず噴き出した。
「アハハハハ! お前らは本当に相変わらずだな。だが、それを聞いて安心した。路銀や活動費はこちらに任せておけ。ただ、無理だけはするな。情報だけでも持ち帰れば御の字であることを理解しておいてくれ」
「ははっ! 承知いたしました」
藤十郎が一礼をして立ち去ろうとすると、吉野が思い出したように道灌に話しかけた。
「そうそう、道灌はん。お顔に水難の相が出たはりますぇ」
「む? そうか、またぞろ利根川が暴れるのだろう。あれは治めても治めてもあばれるからな」
「せやとええのやけど。ゆめゆめ、ご注意をおねがいしますぇ?」
「うむ、当代きっての陰陽師の言う事だ。肝に銘じておく」
吉野はそう言うと、立ち上がって藤十郎と共に出発をするのだった。
本日の更新はここまで。
次回更新は、1週間様子を見てから書き始めますので、またTwitterなどでお知らせします。
良ければ、@ryu_ku_narou をフォローしてお待ちください。
今後も応援のほどよろしくお願いします。




