【5】
「エリスに浮気を疑われているんだ……」
どんよりとした空気でイーサンが打ち明けたのは、そういう話だった。
「え、殿下、浮気してるの?」
「してない!」
ステファンが身を乗り出すように訊いて、半ギレでイーサンが叫ぶ。
その返しは空気読めてないぞ、ステファン。
このゲームの攻略対象、微妙に空気読めない奴ばっかだよな……
空気読めたら攻略対象なんてできないのか?
そう思って、自分をちょっと振り返る。
割と空気は読めるつもりだったが、最近はレベッカのことが絡むと読めてなかったかもしれない。
反省しよう。
「私が浮気なんてしてないことは、おまえたちが一番よく知ってるだろう!?」
そりゃあ四六時中一緒にいるからな。
取り巻きの僕らなら多少の単独行動ができるが、イーサンはほとんど無理だ。
誰かが一緒にいる。
それを考えると、ヒロインに攻略される時もイーサンは常に人前か。
ラブシーンでも人前か……なんか変な性癖が目覚めそうでやだな。
そう思ってたら、急にイーサンは迷子のようにきょろきょろと周りを見た。
「……してないよな……?」
って、なんだその弱気は。
「心当たりがあるの?」
「ない!」
で、また半ギレか。
情緒不安定だな……
うん、空気は読めてないが、ツッコミ役としては優秀かもしれないな、ステファン。
確かに、僕たちの知る限りイーサンは浮気なんてしていない。
「うん、僕が一緒にいる間にはしていないな」
僕がジェラルドとルーカスに視線を投げると、ジェラルドは頷き、ルーカスは肩をすくめた。
「俺も見たことはない」
「私と一緒の時にもしてないですね。どうしてそんな話になったんですか?」
「わからないんだ……」
キレ状態から沈んで、またイーサンは頭を抱えた。
「どうも、誰かから吹き込まれたんじゃないかと思うんだが」
ヒロイン登場前に、誰がそんなことを。
いずれ真実になるにしても、気が早いだろう。
「イーサン、エリス嬢は具体的に誰か相手を誤解していて、責められたのかい?」
「違う」
イーサンは頭を抱えたまま首を振った。
「エリスは未来の話として言っていた」
未来の話……
「いずれ浮気をするのは仕方がないと。エリス自身も辛そうだった。その時には受け入れなくてはならないから、隠さずに教えてほしいと言っていた」
それを聞きながら、僕は驚愕が顔に出ないように息を詰めた。
エリス嬢はイーサンの浮気を受け入れるつもりなのか。
本当にそうなるなら、エリス嬢はヒロインが現れても悪役令嬢化はしないかもしれない。
そうは言っても、実際にヒロインが現れてイーサンが浮気に走ったら理性で抑えられずにヒロインをいじめるのかもしれないが……
でも、今まで、状況は自然とあのゲームに近付くように動いてきた。
こんな風に本来の展開に逆らうようなことは、ほとんどなかった。
イーサンは、これで安心してしまって浮気する……という性格じゃない。
むしろ、自戒して浮気心を戒める真面目タイプだ。
ここでこんなゲームに反するような動きをするのは、どういうことなのか。
そうだ、今までにゲーム開始時の状況に反する要素といったら、レベッカ、ゲームにはいなかった彼女くらい……
……もしかして、彼女か?
これを吹き込んだのは。
「エリス嬢はいずれ殿下の妃となった時の覚悟を示したのでしょう」
ルーカスが芝居がかった身振りで、立ち上がった。
「王子妃、ゆくゆくは王妃となる身として、殿下からの愛を失うことが如何に辛く苦しかろうとも受け入れねばならぬと……!」
しまった、ルーカスになんかスイッチ入った。
「ルーカス、しかし、私は」
「これも愛です、殿下! エリス嬢の覚悟と献身なのです」
こういう悲恋の舞台脚本にはこだわりあるからな、ルーカス……
そこには彼の家庭環境の影響があるんだが、いわゆるシナリオネタの、ささやかな彼の闇だ。
イーサンが困った顔で、うう、と唸っている。
まあ、イーサンはまだしてもいない浮気をすると疑われてショックだったんだろう。
「ルーカス、イーサンの言うことも聞いてあげなよ」
「ああ、殿下、すみません。エリス嬢の想いに打たれまして」
「……いや、いいんだ、ルーカスの言うこともわかる。そうだな、エリスは私に献身を捧げてくれるつもりで、あんなことを言ったのか……でも、私は、まだエリス以外の女性に気持ちを向けたことはなかったから動揺してしまった。もしやエリスは私には愛情がなくて、浮気を受け入れられるのかと」
おっと危ない。
ルーカスの暴走がなかったら、ゲーム補正でそっちの解釈に行っちゃってたかもしれないのか。
「でも同年代の令嬢がアーノルドの言ったように思っていて、婚約を避けているのなら、それが負担になっているのかもしれないな……」
「辛そうだったんだろう? なら本意ではないってことだ。こればっかりはイーサンの気持ちに頼るしかないわけだからね。それが他に向いたとしても、自分の気持ちはイーサンに捧げているということだよ」
完全に丸め込むために、一気に畳みかける。
「そ、そうか」
「そうだよ。エリス嬢も今イーサンが浮気してると思っているわけじゃないだろう」
「そういうことか」
「イーサンが魅力的だから、他の令嬢たちが近付くと思ってしまったんだろう」
「そうか……」
イーサンも褒められれば悪い気はしないんだろう、照れくさそうな顔をしている。
「だけど、それはエリス嬢には辛いことだから、そんなエリス嬢のためには他の令嬢は近付けさせず、エリス嬢にイーサンの愛情をわかりやすく示してあげるのがいいんじゃないか?」
「確かに、アーノルドの言う通りだと思う」
よし、丸め込めた。
まだ見ぬヒロインには悪いが、エリス嬢と仲良くやってくれた方が国としては良いに決まってる。
ライバル家が変に傾いて我が家に権力が偏るのは、最終的には健全な状態じゃないからな。
それにしても。
「そう言えば、いったいいつ、そんな話をしてたんだ?」
「一昨日、修練場にエリスたちも見学に来ていただろう。その時にだ。ジェラルドとアーノルドが打ち合っていて、ステファンが審判をしていて……私とルーカスは休憩していたんだ。エリスが濡らした手拭きを持ってきて、世話を焼いてくれていたから、ルーカスはちょっと距離を空けていてくれたんだろうが」
「ああ、あの時だったんですね」
ルーカスには心当たりがあったようだ。
他は練習試合でそこを見ていなかった。
これだけでは、エリス嬢に吹き込んだ者が誰だかはわからないけれど……
僕の脳裏にはレベッカの顔が浮かんでいた。
確認しなくてはならないだろう。
本当に彼女がエリス嬢に何か言ったのか。
僕はレベッカのことを考えていたから、イーサンの様子に気が付くのにちょっと遅れた。
「それでは、どうしようか。その、わかりやすく愛情を示すには、ふ、二人きりで会った方がいいんだろうか」
頬を染めたイーサンが、ちょっともじもじと言って……え、二人きりって。
いや、二人きりになってわかりやすく愛情を示したら、婚約者とは言ってもヤバいのでは。
って、婚約者だからこそヤバいのか。
卒業予定までまだ一年以上あるから、卒業後にすぐ婚姻だとしても、その前に子どもができてたりするのはやっぱマズい。
あ、でも、先に結婚しちゃうって手もあるのか……?
「あー……いきなりよりは、手順を踏んだ方がいいと思うな。まず、この自習室に呼んで、一緒に試験勉強からでどうだ?」
「そうか、手順を踏むのは大切だな」
やっぱり、いきなりは良くない。
しかし根回ししておいて、早く結婚してしまうのはアリだ。
貴族的には、もう婚姻年齢ではあるからな。
学生結婚も禁じられてはいない。
それは僕にも言えることだった。
ゲームに従うのが嫌ならば、決定的に状況を変えてしまうという手は使える。
――そうだ、結婚しよう。
乙女ゲームの始まる前に。




