サイドストーリー:道化王子の独白 ~俺が人生の主役だと思っていたら、実は一番滑稽な悪役だった件について~
鏡に映る俺は、今日も完璧だった。
セットされた金髪、少し気崩したタキシード、そして計算され尽くした「憂いを帯びた」視線。どこからどう見ても、今をときめく人気俳優・富樫リョウそのものだ。
「よし、イケてる」
俺は楽屋の鏡に向かって、指鉄砲を撃つポーズを取った。
今日は俺の人生における、最大のハイライトになる日だ。全国生放送のゴールデン特番『リアル・ラブ・ストーリー』。その主役として、悲劇のヒロインを救い出す王子様を演じる。
救い出す相手は、姫川ミオ。清純派として売っている若手女優だが、中身はとんだあばずれだ。
そして、その「悪役」となるのが、俺の大学時代の同期であり、ミオの婚約者でもある翡翠蓮司。
「悪いな、蓮司。お前の女も、お前の書いた脚本も、お膳立てされた舞台も……全部、俺が美味しくいただいちゃうわけだ」
俺は一人でクスクスと笑った。
蓮司のことは昔から気に入らなかった。地味で、根暗で、酒も女遊びも付き合いが悪い。そのくせ、脚本を書かせれば業界内で天才だのと持て囃されている。
俺のような華のある人間こそが評価されるべきなのに、裏方の分際で生意気なんだよ。
だから、ミオを寝取ったのは、ほんの軽いゲームのつもりだった。
「蓮司の彼女? へえ、いいじゃん」
ちょっと強引に口説けば、ミオはすぐに落ちた。彼女も結局、蓮司の才能や金には惹かれていても、男としての魅力には不満を持っていたらしい。俺のルックスと話術、そして少しばかりの強引さに、彼女はすぐにメロメロになった。
蓮司のタワマンで、蓮司の高級ワインを飲みながら、蓮司の彼女を抱く。
その背徳感と優越感は、どんなドラッグよりも俺の脳を痺れさせた。あの地味な男が必死に働いている間に、俺たちはその聖域を汚している。その事実がたまらなく愉快だった。
『生放送で、台本を無視してミオを奪う』
蓮司からこの企画を持ちかけられた時、俺は笑いを堪えるのに必死だった。
こいつは馬鹿だ。自分がピエロにされる舞台を、自分で用意してくれたんだからな。俺は全国民の前で「真実の愛」を叫び、蓮司を「冷酷な婚約者」として断罪する。
そうすれば、俺とミオの人気は爆上がり。蓮司は業界にいられなくなるかもしれないが、知ったことではない。
「ま、ドンマイってことで」
俺は軽く髪を直し、スタッフの呼び込みに応じて楽屋を出た。
廊下を歩く足取りは軽い。これから始まるのは、俺が真のスターになるための戴冠式だ。
◇
スタジオに入ると、まばゆい照明と歓声が俺を迎えた。
数百人の観客、数え切れないほどのカメラ。そのすべてが俺を見ている。
(これだよ、この感覚……!)
俺は全身の細胞が沸き立つような高揚感を覚えた。
世界は俺を中心に回っている。俺が笑えば皆が笑い、俺が泣けば皆が涙する。選ばれた人間だけが味わえる特権だ。
番組は順調に進んだ。
前半のトークパート、俺は完璧に演じた。「愛し合っているのに結ばれない二人」を切なく、情熱的に。ミオもなかなか良い演技をしていた。俺たちは視線を交わすだけで、視聴者の同情と期待を煽っていく。
そして、運命のクライマックス。
俺は立ち上がり、ミオの手を取った。
「ミオ、もう演技はやめよう」
スタジオがどよめく。
俺は心の中でガッツポーズをした。さあ、ここからが俺のアドリブ劇場だ。蓮司の書いたつまらない台本なんてゴミ箱行きだ。
「この番組の台本には、君は元のサヤに収まるって書いてある。でも、俺はそんな結末認めない。……俺は、本気で君を愛しているんだ」
ポケットから指輪を取り出す。数百万したカルティエだ。痛い出費だったが、これからのリターンを考えれば安い投資だ。
「見てるか、元カレさんよ! あんたには彼女を幸せにできなかった。これからは俺が彼女を支えていく。彼女はもう、あんたのモノじゃないんだよ!」
決まった。完璧だ。
カメラに向かって蓮司を挑発するこのシーン、間違いなく明日のスポーツ紙の一面だ。SNSでも「リョウくんかっこいい!」の嵐だろう。
ミオが泣きながら俺に抱きつく。俺はその背中を抱きしめながら、カメラに向かって勝ち誇った笑みを向けた。
どうだ蓮司。悔しいか? 惨めか?
お前の大事なものは全部、俺が奪ってやったぞ。
その時だった。
「……カット」
スピーカーから、蓮司の声が聞こえた。
冷たく、感情の籠もっていない声。
(は? なんで止めるんだ? 感動のフィナーレだろ?)
俺が不機嫌そうに天井を見上げると、蓮司は淡々と言った。
「素晴らしい演技だ。鳥肌が立ったよ。……さて、感動のフィナーレの前に、少し『舞台裏』を見てもらおうか」
次の瞬間、スタジオの巨大スクリーンに映像が映し出された。
最初は、何かの間違いだと思った。
だって、そこには俺とミオが映っていたからだ。場所は蓮司のマンション。俺たちはソファで酒を飲み、蓮司の悪口を言っている。
『あいつ、味も分からないくせに高い酒ばっかり集めてさ。本当に形から入るタイプだよな』
俺の声だ。
いや、待て。なんで? なんでこんな映像があるんだ?
背筋に、冷たいものが走った。
酔っ払って気が大きくなっていた時の会話。誰にも聞かれるはずのない、密室での会話。
『こんな古臭い脚本、どうせ売れねえよ。ミオには相応しくない』
『あ、こぼしちゃった。ま、いっか。どうせゴミだし』
スクリーンの中で、俺は蓮司の原稿を放り投げ、ミオはワインをこぼして笑っている。
スタジオの空気が一変したのが分かった。
さっきまで俺たちを祝福していた熱狂が、一瞬で凍りつき、そして得体の知れない嫌悪感へと変わっていく。
「な、なんだこれ……!?」
俺は叫んだ。
違う、これは俺の計画にはない。俺はヒーローになるはずだったんだ。なんでこんな、俺の醜態が晒されているんだ?
「次は音声データだ」
蓮司の声は容赦がない。
昨日の楽屋での会話が流れる。『DV男に仕立て上げる』『社会的に抹殺』……。
笑いながら話していたその言葉が、今、ブーメランのように俺の首を刎ねに飛んでくる。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!!」
俺は叫び、機材を蹴り飛ばした。
違う、俺はこんなんじゃない。これは捏造だ。ディープフェイクだ。誰か止めろ。放送を止めろ!
だが、悪夢は終わらない。
画面には、俺が一番隠しておきたかった「闇」が次々と映し出された。
事務所の金を使い込んでいた証拠の帳簿。
未成年のモデルをホテルに連れ込んだ時の隠し撮り写真。
「妊娠したら堕ろせばいい」と送ったLINEのスクリーンショット。
「あ……」
喉がひゅっと鳴った。
まずい。これはまずい。浮気とか寝取ったとか、そんなレベルの話じゃない。
これは、犯罪だ。
客席から罵声が飛んでくる。
「最低!」「死ね!」「犯罪者!」
さっきまで黄色い声を上げていたファンたちが、今は鬼のような形相で俺を睨んでいる。
ミオは床にへたり込み、「リョウくんに言わされたの!」と俺に責任をなすりつけている。
(……なんだよ、それ)
俺は呆然と立ち尽くした。
こいつも結局、自分さえ良ければいいのか。俺たちは「真実の愛」なんかじゃなかった。ただの、欲望と自己保身で結びついた共犯者だっただけだ。
「蓮司ィィィ!! お前、見てるんだろ!? 出てこいよ!! ぶっ殺してやる!!」
俺はカメラに向かって吠えた。
殺してやる。俺の完璧な人生を壊したあいつを、絶対に許さない。
だが、どれだけ叫んでも、蓮司は出てこない。彼はただ、安全な調整室から、俺という道化が踊り狂う様を高みの見物で楽しんでいるだけだ。
ああ、そうか。
俺はずっと、自分が主役だと思っていた。
蓮司を利用して、踏み台にして、のし上がっているつもりだった。
でも、違ったんだ。
俺は最初から、蓮司の手のひらの上で転がされていただけだった。
彼が書いた『復讐劇』という脚本の中で、最も滑稽で、最も惨めな悪役を演じさせられていただけだったんだ。
膝から力が抜けた。
ガクリ、と床に崩れ落ちる。
スクリーンには、大学時代の三人の笑顔が映し出されていた。あの頃、俺はまだ、純粋に芝居が好きだった気がする。いつからこんな風になっちまったんだろう。
遠くから、サイレンの音が聞こえた気がした。
◇
一ヶ月後。
俺は、コンクリートの壁に囲まれた独房の中にいた。
接見に来た弁護士の話では、俺の罪は思ったよりも重いらしい。横領、未成年者誘拐、さらに過去の余罪も次々と掘り起こされている。
事務所は俺を切り捨て、損害賠償を請求してきた。金額は数億円。一生かかっても返せない額だ。
「……ハハッ」
乾いた笑いが漏れる。
すべてを失った。名声も、金も、未来も。
「富樫リョウ」というブランドは、今や「史上最低のクズ」の代名詞だ。
鉄格子の向こうにある小さな窓から、四角く切り取られた空が見える。
あの夜、スタジオで浴びた眩しいスポットライトが、まるで遠い前世の記憶のようだ。
「蓮司……お前の脚本、最高だったよ」
俺は冷たい壁に背を預け、独りごちた。
完敗だ。ぐうの音も出ないほどの。
あいつは俺に復讐するために、俺の性格、行動パターン、そして欲望のすべてを計算し尽くして、あの舞台を用意した。
俺が「アドリブで目立とうとする」ことさえも、あいつの計算通りだったんだろう。
俺が得意げに語った「真実の愛」という台詞が、その後の暴露映像を最も効果的に見せるためのフリになっていたなんて。
恐ろしい男だ。
そして、そんな男を敵に回した俺は、本当に馬鹿な男だ。
俺は目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは、最後に見た蓮司の表情ではない。大学時代、サークルの部室で「いつか俺の脚本で、お前を主役にするよ」と笑っていた、あの頃の蓮司の顔だ。
「……主役になれたかな、俺」
その問いに答える者は、誰もいなかった。
静寂だけが、俺のこれからの一生を支配していた。




