決定稿:断罪のクライマックス ~全国生放送で「真実の愛」を誓った瞬間、背景のモニターに流れたのは“放送禁止レベル”の真実だった~
「5秒前。4、3、2……」
フロアディレクターの指がカウントダウンを刻む。スタジオの照明が一斉に光量を増し、「ON AIR」の赤いランプが静かに、しかし威圧的に点灯した。
ここはテレビ局の主調整室。無数のモニターとスイッチが並ぶこの場所は、番組という巨大な生命体の心臓部だ。俺、翡翠蓮司は、その一番奥にある演出席に座り、眼下に広がるスタジオセットを見下ろしていた。
「始まりましたね、蓮司」
隣でヘッドセットを装着した如月雫が、抑揚のない声で告げる。彼女の手元には、今日の放送で使用する全ての映像素材(VTR)を制御するコンソールがある。その指先一つで、スタジオの空気を天国にも地獄にも変えることができるのだ。
「ああ。視聴率はどうだ?」
「順調よ。事前告知の『超人気俳優と女優による重大発表』という煽りが効いているわ。SNSのトレンドも既に1位。『#リアルラブストーリー』で埋め尽くされている」
モニターの一つには、リアルタイムで流れる視聴者のコメントが表示されている。『リョウくん何発表するの?』『ミオちゃん可愛い!』『結婚発表かな?』といった、無邪気な期待に満ちた言葉の奔流。
俺は冷めたコーヒーを一口啜り、メインモニターに視線を戻した。
スタジオセットは、とある洒落たレストランを模して作られている。そこで向かい合う二人の男女。タキシードに身を包んだ富樫リョウと、純白のドレスを纏った姫川ミオだ。
番組の司会進行を務めるベテラン芸人が、カメラに向かって大げさな身振りでタイトルコールをした。
「さあ、始まりました! 今夜限りの特別番組『リアル・ラブ・ストーリー』! 虚構と現実が交差する、台本のない愛の物語。今夜、日本中が涙する奇跡の瞬間を目撃することになるでしょう!」
万雷の拍手。観客席には抽選で選ばれた数百人のファンが詰めかけ、黄色い歓声を上げている。
(……奇跡、か。確かにそうだな)
俺はマイクのスイッチを切り、薄暗い調整室で独りごちた。
これから起きることは、彼らにとって奇跡なんかじゃない。神の裁き(ジャッジメント)だ。
◇
番組は順調に進んだ。
前半のパートは、ドラマ仕立てのトークショーだ。リョウとミオが出会い、惹かれ合い、しかし「ある障害」によって結ばれない……という設定の即興劇を演じる。その「障害」とは、もちろん俺のことだ。名前こそ出さないが、「束縛の激しい嫉妬深い婚約者」という役回りが、俺の書いた表向きの台本には設定されていた。
「……僕なら、君をもっと自由にできるのに」
リョウが甘い声で囁く。カメラが彼の切なげな表情をアップで捉える。
「だめよ……彼が許してくれるはずがないわ。私のスマホも全部チェックされているの。逃げ出そうとしたら、何をされるか……」
ミオが震える演技を見せる。目元には光る涙。さすがは女優だ。嘘泣きが板についている。
スタジオのひな壇に座るゲストタレントたちが、「えーっ、酷い!」「そんな男別れちゃえばいいのに!」と野次を飛ばす。視聴者のコメント欄も加速する。
『今の彼氏最低だな』
『ミオちゃん可哀想』
『リョウくんが奪っちゃえよ!』
これらは全て、リョウとミオが望んだ通りの反応だ。彼らは今、自分たちが世界の中心にいると錯覚しているだろう。悲劇のヒロインと、それを救う王子様。その陶酔が頂点に達した時こそ、落下の衝撃は最大になる。
「そろそろです、蓮司。クライマックスの『サプライズ』の時間よ」
雫がインカム越しに囁く。
俺は頷き、演出用のマイクを手にした。
「……進行。次の展開へ」
スタジオでは、リョウが意を決したように立ち上がった。ここからは、彼が俺との打ち合わせ通りに「台本を無視して」行う、一世一代の略奪プロポーズだ。
リョウはカメラ目線を外し、ミオの手を強く握りしめた。
「ミオ、もう演技はやめよう」
スタジオがざわつく。司会者も驚いたふりをする(これも演出の一部だと彼は思っている)。
「えっ、リョウくん? どうしたの?」
「この番組の台本には、君は元のサヤに収まるって書いてある。でも、俺はそんな結末認めない。……俺は、本気で君を愛しているんだ」
リョウがポケットから小さな箱を取り出す。パカッ、と開くと、そこには巨大なダイヤモンドの指輪が輝いていた。
「えっ……嘘……」
「嘘じゃない。テレビの前の皆にも証人になってほしい。ミオ、あの男とは別れてくれ。あいつは君の才能を潰しているだけだ。君の輝きを守れるのは、俺しかいない」
完璧だ。寒気がするほどキザで、自己愛に満ちた台詞。
ミオは感極まったように口元を両手で覆い、涙を溢れさせた。
「……嬉しい。私も、ずっと苦しかった。本当はずっと、リョウくんのことが好きだったの!」
二人は抱き合う。スタジオ中が割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。「おめでとう!」「お幸せに!」という祝福の言葉が飛び交う。視聴率は今、間違いなく瞬間最高を記録しているだろう。
リョウが勝ち誇った顔でカメラを見据え、叫んだ。
「見てるか、元カレさんよ! あんたには彼女を幸せにできなかった。これからは俺が彼女を支えていく。彼女はもう、あんたのモノじゃないんだよ!」
その言葉が、最後のトリガーだった。
俺は冷徹に、マイクのスイッチをオンにした。
「……カット」
スピーカーを通して、俺の低い声がスタジオ全体に響き渡った。
歓声が一瞬で止む。リョウとミオが怪訝な顔で天井を見上げる。
「素晴らしい演技だ。鳥肌が立ったよ。……さて、感動のフィナーレの前に、少し『舞台裏』を見てもらおうか」
「は? 何言ってんだ、蓮司?」
リョウが素の声でマイクに拾われる。
「雫、VTRスタート」
「了解」
雫がエンターキーを叩く。
スタジオの背景にあった巨大なLEDスクリーン。美しい夜景の映像が切り替わり、荒い画質の映像が映し出された。
そこに映っていたのは、リョウとミオだ。場所は俺のマンションのリビング。
二人はソファで絡み合いながら、下品な笑い声を上げている。
『ねえリョウくん、もう一本開けちゃう? 蓮司のコレクション、高いやつらしいよ』
『あいつ、味も分からないくせに高い酒ばっかり集めてさ。本当に形から入るタイプだよな』
スタジオの空気が凍りついた。
抱き合っていた二人が、弾かれたように離れる。ミオの顔色が蒼白になり、リョウが目を見開いてスクリーンを凝視した。
「な、なんだこれ……!?」
映像は続く。リョウが俺の書き上げた脚本を放り投げ、ミオがワインをこぼすシーン。
『こんな古臭い脚本、どうせ売れねえよ。ミオには相応しくない』
『あ、こぼしちゃった。ま、いっか。どうせゴミだし』
観客席から悲鳴のようなざわめきが広がる。先ほどまでの祝福ムードは消え失せ、困惑と嫌悪が渦巻き始めた。
「ち、違う! これは合成だ! 誰かが俺たちを嵌めようとしてるんだ!」
リョウが叫ぶ。だが、俺は間髪入れずに次の映像を流すように指示した。
「次は音声データだ。昨日の夜、二人が何を話していたか。視聴者の皆さんに聞いてもらおう」
スクリーンに『昨日 22:00 楽屋裏』というテロップが出る。
『ねえ、明日の本番で「実は彼にDVされてて……」って泣き真似したら、もっと同情引けるかな?』
『ハハハ! それ最高! 蓮司のやつ、社会的に抹殺だな』
『視聴者なんて馬鹿だから、涙流せばイチコロよ』
ミオの声だ。あまりにも鮮明で、あまりにも悪意に満ちた声。
スタジオは静まり返った。あまりの衝撃に、誰も声を発せない。
ミオがガタガタと震え出し、その場に崩れ落ちた。
「やめて……消して……お願い……!」
だが、映像は止まらない。今度はリョウの素行調査の結果が、スライドショーのように次々と映し出される。
未成年との飲酒パーティーの写真。違法賭博の店から出てくる姿。元交際相手への『堕ろせ』というDMの履歴。
そして、彼が所属事務所の金を横領していた証拠の帳簿データ。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!!」
リョウが錯乱して、近くの機材を蹴り飛ばした。ガシャン、と大きな音が響く。その暴力的な振る舞いは、彼の「王子様」の仮面が完全に剥がれ落ちたことを意味していた。
俺はマイクを通して、静かに告げる。
「リョウ、ミオ。君たちは契約書にサインしたはずだ。『どんなハプニングも演出として受け入れる』とね。……これが俺の演出だ。『リアル・ラブ・ストーリー』。真実の愛の裏側にある、ドス黒い欲望と裏切りのドキュメンタリーだよ」
「蓮司ィィィ!! お前、見てるんだろ!? 出てこいよ!! ぶっ殺してやる!!」
リョウがカメラに向かって掴みかかろうとする。その形相は鬼のようだった。
司会者が慌てて止めに入ろうとするが、リョウはそれを乱暴に突き飛ばした。
「うるせえ! 俺は富樫リョウだぞ! こんな捏造映像流しやがって、ただで済むと思ってんのか!」
「捏造ではないよ」
俺の声が再び響く。
「その映像の撮影データには、改竄不可能なタイムスタンプが押されている。それに、そこにいるミオのスマホの中身を見れば、もっと面白い証拠が出てくるんじゃないか? 裏アカウントでファンを『金づる』と呼び、スタッフを『無能』と罵っている書き込みの数々がね」
カメラマンが機転を利かせ(あるいは彼らもリョウたちの態度に腹を立てていたのか)、呆然と座り込むミオの顔をアップにする。
彼女の化粧は涙で崩れ、醜く歪んでいた。
「わ、私は……リョウくんに唆されただけなの! 私は悪くない! 蓮司、助けて! お願い!」
ミオがカメラに向かって手を伸ばす。
さっきまで「DV男」と罵っていた相手に、今は縋り付いている。その矛盾、その浅ましさ。
観客席から、誰かが叫んだ。
「最低!」
それを皮切りに、罵声の嵐が巻き起こった。
「芸能界から消えろ!」
「嘘つき!」
「人間じゃない!」
その声はスタジオの反響板を揺らし、物理的な圧力となって二人を押し潰していく。
SNSのコメント欄は、もはや読み取れないほどの速度で罵詈雑言が流れていた。炎上という言葉では生ぬるい。これは公開処刑だ。
「おい……放送止めろ! カメラ止めろよ!!」
リョウが狂ったように叫び回るが、カメラの赤いランプは消えない。スタッフたちは誰一人として動かない。彼らもまた、プロとして「真実」を撮り続けているのだ。それに、俺がプロデューサー権限で放送続行を命じている。
「雫、最後の仕上げだ」
俺が言うと、雫は淡々とキーボードを叩いた。
スクリーンに大きく、一枚の画像が表示される。
それは、かつて俺とミオ、そしてリョウの三人で撮った、大学時代の写真だった。まだ誰も売れていなくて、夢だけを語っていた頃の、屈託のない笑顔。
その写真の上に、テロップが重なる。
『The End - Directed by Renji Hisui』
そして、スタジオには悲しげなクラシック音楽が流れ始めた。道化師たちの断末魔を飾るレクイエムだ。
「あ、あぁ……」
リョウは膝から崩れ落ちた。自分の過去の悪事が全て暴かれ、もう逃げ場がないことを悟ったのだろう。事務所の横領も、未成年との交際も、すべてが全国に知れ渡った。逮捕は免れない。
ミオは顔を覆って泣き叫んでいる。彼女の築き上げてきた「清純派」の虚像は、粉々に砕け散った。
「カット。……お疲れ様」
俺は静かにインカムを外した。
放送枠の終了まであと一分。カメラは、絶望に打ちひしがれる二人の姿を、残酷なほど美しく映し出しながらフェードアウトしていく。
調整室の空気が張り詰めている。周囲のスタッフたちも、あまりの凄惨な復讐劇に言葉を失っていた。だが、誰も俺を責めなかった。彼らもまた、映像のプロとして、あの二人の所業が許されざるものであると理解していたからだ。
「……終わったわね」
雫がふぅ、と息を吐き、眼鏡の位置を直した。
「ああ。これ以上ない結末だったよ」
俺は立ち上がり、伸びをした。不思議と高揚感はない。ただ、長い仕事が終わった後のような、静かな疲労感だけがあった。
「行きましょう、蓮司。この後、局内は蜂の巣をつついたような騒ぎになるわ。マスコミも押し寄せてくる」
「そうだな。……でも、俺はもう何も話すことはないよ。全ては作品の中に込めた」
俺は出口へと向かう。
扉を開ける直前、もう一度だけモニターを振り返った。
CMに入った画面の向こう側では、まだスタジオの混乱が続いているようだ。リョウが警備員に取り押さえられている姿が小さく見えた。
さようなら、俺の愛したヒロイン。
さようなら、俺の親友だった男。
君たちの人生はここで幕切れだが、俺の人生はまだ続く。
この瓦礫の山から、新しい物語を紡ぐために。
俺は重い防音扉を押し開け、喧騒の予感がする廊下へと足を踏み出した。




