21.閑話(ディアーナ視点)
私の名前はディアーナ・ハルク。
昔の名前は焼き捨てたわ。
今はディアーナ。ディアーナとして生きていくの。
一生誰にも言えない事だけど、私の産まれは西のバルム大陸の内陸部に位置する小さな国、トゥール王国の末席の王女だった。兄弟は沢山いて、私は第8皇女だった。
当時の名前はエリル・ノア・トゥール。
トゥール王国は小国ながら別名『剣の国』と言われていたの。国を挙げて剣の鋳造や剣術が盛んで世界中で『剣の道を進むならいつかトゥールへ』と云われる程に剣士達の憧れの国だった。
トゥール王国の王族は、代々『剣の力』をその血に受け継いでいた。
私にもその力が流れているせいか、まだ歩ける様になる前から剣を抱いて離さなかったらしい。
男兄弟ばかりだったけど兄達は皆末娘の私に優しかったし、幸せだった。
小かった私は兄達と一緒に遊びたい一心で剣を覚えた。
トゥールの血も関係しているのかもしれないけれど、すぐに『エリル様は最年少で達人の域に達した』とか、『トゥール史きっての天才』なんてもてはやされた。
私はそれに自尊心をくすぐられたし、もっと褒めて欲しくて更に剣に打ち込んでいった。
ある年、我がトゥール王国500周年を迎え、各国を招いて大々的な舞踏会が開かれた。
トゥールは元々外交に熱心な方ではなかったから、自国でこんな舞踏会が開かれる事自体何百年ぶりかと言われており、国民達もお祭り騒ぎで大盛り上がりだった。
私もまだ小さかったけれど舞踏会に出席したり、こっそりお忍びで城下町を見て廻ったり、とても楽しかったのを覚えている。
舞踏会は3日構成だった。
最終日、私ははしゃぎ疲れてしまい早々に眠る事になった。
本当は最後まで居たかったのにウトウトしていた所を侍女に私室まで連れていかれてしまったのだ。
あれは、何時位だったのだろう。
私は体を揺さぶられる感覚で目を覚ました。
第4皇子のアレックス兄様だった。アレク兄様は一番私と良く遊んでくれる面倒見の良い兄様だった。
兄様は、私が目を覚ますとすぐに優しく私の口を手で押さえ、兄様自身は指を一本口に当てて
私が騒がない様にジェスチャーで合図すると、そのまま小声で言った。
「エリ、良く聞くんだ。少し悪い奴らがこの城に入り込んでしまったみたいだ。危ないから迎えに来たんだ。僕が付いてるから大丈夫。そして少し隠れよう。」
私は他の兄達や父上や母上はどこにいるのか聞きたかったけれど、我慢した。
私の部屋には実は隠し通路があったらしい。
アレク兄様が部屋に飾られた私の大きな肖像画の淵をいじると、肖像画がドアの様に動き通路が現れたのだ。
私はアレク兄様と2人でその暗くてジメジメした通路を通り、気が付くと王城より少し離れた森の入り口にいた。
そこには馬車が1台止まっていた。
「ここまでは無事でよかった。さ、乗って!」
アレク兄様は私を安心させるために終始優しく微笑んでいた。
夜だったから森の中は暗くて静かで、葉のガサガサする音、馬の蹄の音が妙に響いて怖かった。
アレク兄様は終始、馬車の外の様子を気にしている様だった。
森の中をだいぶ進んだ頃だと思う。
何の前触れもなく、突然馬車が止まった。
ずっと手を繋いでいたからか、アレク兄様の緊張が私にも伝わってきた。
「魔物か!?」
アレク兄様は馬車の中から、御者に向かって叫びがちに聞いた。
「……」
返事がなかった。
しばらくの静寂の後、アレク兄様は私に絶対にここから出ない様に言うと、剣を抜き馬車の外へ出た。
その後すぐに、誰かの気味悪く笑う甲高い声とアレク兄様の怒鳴る声が聞こえ、剣を振る音、魔法が放たれる音が聞こえてきた。
すごくすごく長く感じた。
恐ろしくてずっと縮こまりながら、アレク兄様の剣の音を聞きながら、神に祈った。
突然馬車のドアが開いた。
そして物凄い強さで私は馬車から引きづり出され、私は何者かに首に剣を付きたてられた。
「ヒィーッヒィッヒィッ。まだ1匹いたぞォ〜。」
頭の上から変なイントネーションの奇妙な甲高い声が聞こえた。
「その少女を離せ!」
お兄様は私を”妹”だと言わなかった。
「イーヤダァーーァァ。トゥールの血ィ……コロォオォオス!」
人間のものと思えない気味の悪い声だ。
「その少女は隣国の貴族の娘だ。トゥールとは関係ない!離せ!!」
「……じゃあ、とにかくお前には死んでもらおう。」
兄様の後方から低くて暗い声が静かに聞こえたと思ったら……アレク兄様の首が飛んだ。
「ッ!!!!!!!!」
私が悲鳴を上げそうになった、その瞬間大量の煙弾が地面へとコロコロ転がり濃霧の様な煙幕が起きた。
兄様が……間際にやってくれた事だと理解した。
私は瞬時に服に隠していたナイフで、私を押さえつけている背後の人間(?)に突き刺しそのままそいつの首を狙って掻っ捌いた。
そして馬へと走り、馬車との綱を全て叩き切ると、必死で馬を走らせた。
いつさっきの気味の悪い連中に追いつかれるかと考えると、走り続けるしかなかった。
目の前でアレク兄様が殺された事、トゥールの血を憎む発言、人間離れした気味の悪い声、
これらの事がグルグルと頭の中を駆け巡り、おそらく城はもう駄目なんだろうと思った。
城を出る前に、アレク兄様に持たされていた可愛らしいショルダ―バッグの中にはギッシリとお金と宝石が入っていた。
当面の逃亡費用を、もしアレク兄様に何かあった場合の備えとして持たせてくれていたのだ。
私はこのお金のお陰で、逃げ続ける事が出来た。
立ち寄るのはなるべく人の多い大きな街にした。そしてすぐに立ち去った。
パンと水と果物だけを買い、馬を走らせながら食事をした。
バルム大陸最西端にある港町に着くと船に乗った。
船代の相場が分からなかったのでいい値で支払ってしまい、損をしたかもしれない。
ここまで乗ってきた馬を売った。
アレク兄様から受け取ったお金を無駄にはしたくなかった。
船内では港町の宿屋から拝借してきた汚い布を被り、ずっと眠っている振りをしていた。
夜中、誰もいない甲板でナイフを使い髪を切って海に捨てた。
幸いな事に、あの時の刺客船にはいない様だった。
何日か経ち、東のアネリング大陸に着いた。
故郷であるバルム大陸の言葉と大分違って戸惑ったが、港町だったので何とか言葉が通じ、換金する事が出来た。
もちろん、怪しまれない様に少額を、だ。
私はあの汚い布を纏ったまま、港町で馬と服と辞書を買った。
服は男物のみすぼらしいシャツとズボンにした。
早々に馬を走らせ、しばらくして入った森の中で着ていた服を焼いた。
トゥール王家では王族が新たに誕生すると、その子の体に名前を祝福のマークの刺青をする習わしがある。
特殊な魔法によるもので、それでトゥール王家の人間だと証明する事が出来る。
私は左肩にその刺青があった。
私は洋服を燃やしながら近くにあった石を焼き、その赤く燃える石に自分の左肩を押し付け焼いた。
他にトゥール王家を証明できる物は何も持っていない。
エリル・ノア・トゥールはこうして死んだ。
新しい名前が必要だ。
私はその辺の店の看板なんかを見て参考にし、適当に名前を付けた。
ディアン・ハルクと。
ディアン・ハルクは孤児で、放浪して生活している宿無し子だ。
家族も、兄妹もいない。そして男児だ。
これが私の考えたディアン・ハルクだ。
私は、ディアンとしてやはり一所には落ち着かずに村や小さい街は避け、
大きな街を転々とする生活を送った。
定期的に馬も変えた。
宿では昔購入した辞書を参考に必要な言葉を覚えた。
トゥール国の情報等はまだ避けていた。恐ろしくて聞きたくなかった。
ある時、どうしても剣が欲しくなった。
剣の国に産まれた私は剣がないと落ち着かなかったのだ。
赤い髪で剣を所有していると危険な気がしていたのだが、食糧を買いに出た時に見えた武器道具屋に置いてあった剣を気が付けば購入してしまっていた。
私は怖くなり、その街を夜には出た。
ひたすら馬を走らせるとのどかな田舎道に出た。
しばらく行くと、田舎にしては珍しい豊かそうな大きな街があった。
私はそこに入り、2〜3日滞在する事にした。
ある日、路地を歩いていると小汚い男たちが、子供を数人拉致しているのを見かけた。
奴隷商だと思った。
私は密かに奴らの後をつけて行きアジトを見つけ、全員殺した。
アジトにはかなり多くの子供達が捕まっており、この子達をどうやって街に帰そうか思案していた所、
私は一人の男に捕まった。背後には全く気配がなかった。
私はまだ子供だとはいえ、剣に関しては一流の腕がある。
人の気配を察知する事も自分の気配を消す事も充分な訓練を受けている。
それなのに。
男はかなりの手練れだ。あの時の刺客の仲間なのだろうか。
血の気が引いた。
歯がガチガチと震えそうになるのを抑えるのに歯を食いしばった。
男は刺客の一味ではなかった。
身なりのとても良い老紳士だった。
この御仁も、この付近の子供の誘拐について調べていたという事だった。
誤解も解けたところで早々に立ち去ろうとすると、老紳士が言った。
「もしや、トゥール国のエレナ皇女であられるのでは?」
私は固まった。
「エレナ皇女が考えておられるより深刻な情勢の様ですぞ。この大陸にて逃げ回っていてもいつ追われる身になるか怪しいものです。然るべき時まで、私の働いている屋敷に匿いましょう。なに、私の主人はこの私ですら雇って下さる様な方です。私から上手く伝えておきましょう。」
この謎の老紳士のいう事は良く分からなかったが、その代わりとしてその屋敷の息子に剣を教えて欲しいと言った。
「なに、あなた様ほどの適任の師匠はおりませんからな。」
老紳士の名前はロイ・ジャンというらしい。
定期的にトゥール国の事件について教えて貰っている。
正直、私が逃げられたのが奇跡に近いとさえ思える程悲惨な内容だ。
ロイの提案で、私はディアーナ・ハルクとして生きる事になった。
ロイの事は良く分からない。味方なのか、敵なのか。
それでも、この屋敷は頭が溶けるんじゃないかってくらい平和だ。
私の弟子にあたるレオン・テルジアは典型的な甘ったれ坊ちゃんで反吐が出そうだった。
だから、ひたすら毎日の様に走らせた。
文句を言ってきた。
余計に腹が立った。
何も教えなければ諦めるだろうと思った。
だが、バカなのか稽古の時間は必ず来るし、いつまでも不貞腐れ顔で走っていた。
ある日、私が来る前からレオが走り込みをしていた。
汗の量を考えると1時間程前だろうか。
表情も思い詰めた顔をしている。
その日は何とも思わなかったが、それから毎日同じ様に早く来て黙々と走り続けていた。
何かあった、と思った。
初めてレオに興味を持った。
私は初めてレオを呼んだ。
レオは口を割らなかったが、そのあからさまにわかりやすい態度は呆れるほどだった。
だが、くすぶっていた気持ちが少し晴れる様な気がした。
だから剣を教えてやる事にした。
どうせ素振りもまともに出来ないだろう。
私はいつもの様に髪に布を巻き付け、男装をし街に出向いた。
弟子に剣を選んでやるのは楽しかった。
初心者には最もシンプルな木刀が一番だ。
私は、自分が初めて師匠より剣を賜った事を思い出しうきうきして屋敷に戻った。
レオは、木刀を馬鹿にした様に受け取った。
やっぱり剣を舐めていると思った。
文化の違いもあるかもしれないが無性に腹が立った。
構えの姿勢すら出来ないまま幾日かが過ぎた。
凡人ならこの程度なのかもしれないが、剣の国の人間とどうしても比べてしまい退屈だった。
ある日、突然レオが成長した。
昨日までどうしても出来なかった構えが出来るようになったのだ。
私は頭を強く殴られた様な気がした。
『成長』という言葉が頭の中を駆け巡った。
そうだ。人は成長するのだ。特に子供なら尚更。
私もまだ若い。私もまだ成長出来る。
ロイからはレオに稽古をつける以外の時間は好きに使って良いと言われている。
今私が出来ることは強くなることだ。
トゥール家最後の人間として。




