第三十三話-別れ-
みんなに託された。あの忌まわしい怪物を倒すために、この『The Earth』を守るために。彼らを拒否してきたこんな自分に。
みんなが、ここまで連れてきてくれた。だから、負けるわけにはいかない。絶対に、アレックスを、倒す。
「会いたかったぜ、アレックス……!」
ついに怪物の頭にたどり着く。怪物の頭部、その額に貼り付くように、アレックスの顔があった。躊躇はしない。右手に握る剣を、ただ一突き。
《間抜ケガッ!》
アレックスが言葉を発した直後、突きのために引いた腕に、何か硬く連なった物が突き刺さった。尻尾だ。雲雀を始末し、ここまで追ってきたのだ。
尻尾はその歯でフィアレスの右腕を噛み砕いた。フィアレスから離れた腕は、握る剣ごとデータの粒子となって散っていく。
最後の希望を、失った。ここまで、みんなに託されて。こんなところで。
「ぐぅ……!」
《フフフ……!》
もう終わりなのか。
「フィアレスさん!」
最後の最後、油断した自分を悔やむフィアレスへ、セシウスの声が届く。
「これを!」
怪物の足元、その手から何かが放られた。輝く光。それは、表象する前のアイテムだ。
フィアレスはセシウスを信じ、光に手を伸ばした。掴んだアイテムが具現化する。
それは、剣だった。何の変哲もない、初期装備のスチールソード。それを、セシウスが持っていた。
これこそ、セシウスが所持していた奇跡。あの時、フィアレスと別れたあの日、最後に手に入れた宝箱の中身だ。フィアレスを信じ、あの日手に入れたこの剣を、セシウスはずっと持っていたのだ。それが、真の最後の希望。
「――こいつでぇぇぇ!」
切っ先をアレックスへ向ける。しかし、
《貴様ノ負ケダ! ソノママ滅ビ去ルガイイ!》
再度目の前にまで登ってきていた尻尾が口を開く。その奥で、黒雷が充填されていく。ここから降りれば避けれるだろう、しかし、降りてしまえばもう、ここまで上ってくる術はない。
もう、駄目か。そう諦めかけたその時だった。背後から飛来する何かが、その口の中へと入っていった。
そして次の瞬間、尻尾の中の黒雷が暴発した。尻尾はその身を粒子と散らしながら力なく沈んでいく。
今飛んできたものは間違いない。シンの放った矢だ。あの創痍の体で、この土壇場で希望を繋いだ。
《馬鹿ナ……!》
全てが今、この瞬間に連なった。シンが、守るべき物を守ってくれた。雲雀が、ここまでの道を造ってくれた。セシウスが、奇跡の希望を託してくれた。――フィアレスは、感じ入る。
だから、今。
俺は、ここにいる。
「とどめだああぁぁぁぁぁ!」
剣がアレックスへと突き立つ。その額へと、鈍の刃が突き進む。
一瞬の静寂の後、怪物が咆哮した。体中から黒煙を上げながら身を溶かし、世界へと、消えていく。
「何故だ……何故、神たる私が……!」
アレックスが口から声を発した。怪物化が解けかけているのだろう。
フィアレスは剣を引き抜いた。この戦いに終止符を打った剣を、今一度確認する。スキルこそ攻撃力アップがついてはいるが、本当にただの剣。何の変哲もない、ただの初期装備。
「アレックス。お前が負けた理由は単純だ」
神がどうの、悪がどうのだというのは全て関係ない。そんなことは、この勝敗には意味がない。今、勝者と敗者を分けた理由は、ただ一つ。
「俺たちは、お前よりもずっと……この『The Earth』を愛している。……それだけだ」
「オオオオオオオオオオオォォォォォ……ッ」
そして、すべてが溶け出し闇に包まれた。
足場を失い、上空からフィアレスは着地する。
闇が晴れると、すべては元へ戻っていた。消失した大地も復活し、シンの半身も、雲雀の脚も、フィアレスの腕も、すべて元通りだった。
「なんか、嘘みたいだな……」
痛みも消え、すっかり元に戻った体で、シンはぼやく。
何事もなかったかのように、エリアは静寂を取り戻している
。雪が積もった大地。雲に覆われた空。そこには不純な物など一つもない。四人の人間と、ただ一つ、人間だったものが、転がっているだけだった。
「アレックス……」
すべてが元通りの中、一つだけ、異なる様相を呈している物。体の八割が消え去り、胸から上と、右腕だけが残った姿の、アレックスがいた。その残る部分すらも、所々が欠け、粒子となり続けている。
「くくく……」
「あれで生きてるってのか……」
雲雀の言いぶりは、驚いたと言うよりもドン引きしているようだ。だが、生きている、というのとは少し違っていた。
「HPは残ってない。……あれは、ただの残留データだ」
通常の死ならば、言葉を発することなど出来ない。データの破損が引き起こした、仕様外の動作だ。残った精神データが、わずかなアバターを動かしているのだろう。
「間もなく私は死ぬ……。統率者のいなくなった騎士団も崩壊するだろう。だが、これで『The Earth』は、終わりだな」
「……どういう意味だ」
アレックスの不穏な発言に、フィアレスは問う。
「私たち騎士団が、どれだけの悪を抑え込んでいたと思う……? その枷が外れた今、それらが溢れ出すだろう。そうなれば、この世界は……闇に染まる」
残る右手でフィアレスに指を突きつけた。必死の形相で、最期の呪詛を吐く。
「そうしたのは貴様だ、フィアレス! 貴様が、この『The Earth』を、破壊したの、だ……!」
力なく、手が地面へ落ちる。同時、アレックスの体はすべて、風に流されていった。
フィアレスが『The Earth』を破壊した。そんなことあるはずがないと、誰もが思った。むしろその逆、この『The Earth』を蹂躙しようとしたアレックスから、守ったのだ。
「あんな負け惜しみ、気にすることないさ、な?」
シンがフィアレスの肩をたたく。それに、セシウスが同調した。
「そうですよ。さあ、街に戻って――」
しかし、フィアレスはそれに応えず、一人、歩き出す。
「おいおい、待てよ」
シンがそれを引き留めようとする。だが、フィアレスは止まらなかった。
「どうしたんですか、フィアレスさん!」
セシウスの声に、ようやく足を止めた。だが、振り返ることはしない。
「これからはいっしょに、遊べるんですよね……?」
それは当たり前のことだ。もう、すべては終わったのだ。諸悪の根元たるアレックスはいなくなった。もう、別れる必要はない。だが、一抹の不安が、セシウスにそれを訊かせた。訊いてしまったのだ。
「……それは、無理だ」
だから、望まぬ答えを、聞いてしまった。
「ぇ……」
「どういう事だよ、おい!」
シンが声を荒げる。だが、フィアレスは対照的に、冷静に事を告げる。
「アレックスがいなくなろうが、騎士団が滅ぼうが、俺は世間ではPKだ。……そんなのと一緒にいれば、お前らも疑われるだろ」
「そんなこと……! きちんと説明すれば、みんなわかってくれます!」
「……なんて、説明するんだ?」
そう言ったのは雲雀だった。シンとセシウスがフィアレスを引き留めようとする中、雲雀はまるですべてわかっていたかのように冷淡だ。
「こいつが殺してきたのは全部、バグ武器を使った違法者のみです。本当はPKじゃありませんって? 掲示板にでも書くつもり?……そんなの、誰も信じやしないさ」
雲雀の言うことは正論だ。だが、そんな答えは、セシウスは望んでいなかった。
「ひばりちゃん! なんでそんなこと……!」
「……ごめん。でも、本当のことだ」
セシウスはフィアレスへ向き直る。いつの間にか、フィアレスはこちらへ顔を向けていた。その表情は、悲しいほどに無表情で。
傷が、痛ましく。
「……俺は、悪だ。どんな理由があるにせよ、俺は人殺しだ。だから、お前たちと一緒にいることは出来ない」
バグ武器を使う者を見つけたのなら注意すればいい。それで言うことを聞かなければ運営に通報すればいい。そうすれば、運営がしかるべき制裁を下す。それをしなかったのは、ただフィアレスが私怨を持っていたからだ。自分の時間を奪ったあの武器を、ただ憎んでいたからだ。
「騎士団だって、全員がアレックスに加担してたわけじゃない。ただ、自分の正義を貫こうとしていた奴だっていたはずだ。でも、俺はそんな奴もまとめて、この手にかけた」
だから自分は悪なのだ。この戦いは悪が勝ったに過ぎない。偽の正義に、本物の悪が勝利しただけなのだ。そんなこと認められやしない。フィアレスは、世界を救った英雄ではないのだ。
「……セシウス」
「は、はい……」
フィアレスは手にしていた剣を地面に突き刺した。先ほどセシウスから受け取った、あの戦いに終止符を打った剣だ。
「これ、返すよ」
「でも、それは……!」
あの時はまだ、ゲームを始めて三日目だった。だからこの剣の有用性などわからず、いい武器が出るだろうと教えられたままを信じていた。
いろいろと教えてもらったフィアレスに渡せば、もしかしたら喜んでくれるかもしれない。だから、この剣が手に入ったときは嬉しかった。
もともとフィアレスに渡そうと思っていたものだ。だから、返される必要などない。
「それは、あなたに……」
フィアレスは静かに首を振る。
「今の俺には、これを受け取る資格がない。……受け取っちゃ、いけないんだ」
「フィアレスさん……」
セシウスを見る。雲雀を、シンを見る。フィアレスは感謝していた。こんな自分と、一緒に戦ってくれたみんなに。こんな自分を、最後まで信じてくれた。それが嬉しかった。それだけで、よかった。
だから、もう、お別れだ。
「みんな、楽しんでくれ。この、『The Earth』をさ」
もう一緒にはいられない。でも、この『The Earth』の楽しさは、みんなで守ったこの世界は、きっと変わらない。
楽しい、ゲームだ。
「俺の分まで……楽しんでくれ。……じゃあな」
最後に、フィアレスは笑った。さようなら、と。
フードを被り、振り返る。それきりフィアレスは振り向かず、足を止めず、去っていった。
「そんな……」
今までも、何度もフィアレスはセシウスたちの前を去った。でも、その度にセシウスは、次こそはと意気込んだ。
だが、今回は違う。今度は、決定的だった。もう、会うことはないのだろうと。一緒に遊ぶことは出来ないのだろうと。そう、確信があった。
セシウスはくずおれた。地面にひざを付き、うつむいて、静かに涙を流した。誰も、声をかけることは出来なかった。




