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第二十九話-怪物-

 フィアレスの剣が、アレックスを貫いた。その箇所は首、人間の急所――つまり、クリティカルヒットだ。相手のHPなど関係ない。その一撃で、アレックスは地へと沈んだ。

「か、勝った……? でも、いったい何が……」

 その戦いを見守っていた三人は、その勝利に打ち震えた。だが、いったい何が起きたのか、わからない者もいた。

 なぜアレックスの剣が、防御行動も取っていないフィアレスに弾かれたのか。なぜ、フィアレスの突きは剣を砕くことができたのか。

 その答えを、シンのみが唯一理解していた。

「カウンターだ……」

「カウンター?」

「こないだのアップデートで追加された双剣士の技だ。相手の攻撃が当たる直前に発動して、成功すると攻撃を弾き返せる。しかも、その後数秒だけ、攻撃がガード不能になる」

 発動難易度はかなり高い。パターンや動き、攻撃の速さを学習できるモンスター相手なら練習すればいずれは可能になるだろう。しかし、その時々で攻撃が異なる対人相手にカウンターを決めるのは至難の業だ。

 フィアレスは倒れたアレックスを見下げながら、寡黙に自身に回復薬を打ち込んでいる。その様子は、どう見ても勝利を喜んでいる風ではない。せっかく、念願の相手と戦い、打ち倒すことができたというのに。

「……そっか。そうなんだ……」

 その悲しげな背中を見つめていると、その理由を、セシウスは察することができた。

「勝った、だけなんだ……」

「え?」

「例え勝ったところで騎士団がどうにかなるわけじゃない……だから、この戦いはほとんど、無意味なんだ」

 確かに戦いには勝利した。しかし、だからと言ってアレックスが自分の野望を引き下げるというわけではない。騎士団が解体するわけでもない。

 今回はこのまま引き下がり、また何事もなかったかのように活動を再開するだろう。バグ武器や麻薬の密売は減るだろうが、それでもPKへの人身売買はなくならない。

 また同じように戦いを挑んでも、次は勝てるかはわからない。今回勝つことができたのは、カウンターにアレックスが気がつかなかったからで、不意打ちで勝利したようなものだ。次は対策され、敗北してもおかしくない。

 そして、その時相手がバグ武器を使っていれば、今度はフィアレスが、二度と目覚めぬことになってしまうだろう。

 転がるアレックスの死体を、フィアレスは見つめ続けている。喜ぶに喜べない状況だ。これからどうすればいいのか、考えているのだろう。

 セシウスはゆっくりとその背中に近づいた。なんと声をかければいいのか。何を話せばいいのか。それを考えながら、口を開いた瞬間だった。

「ククク……!」

 死んだはずのアレックスから、くぐもった笑いが漏れた。驚愕したのか、フィアレスは再び武器を携えた。セシウスの接近に気がついていて、来るなと手が差し出される。

「てめえ、なぜ生きてる……」

 まるでゾンビが蘇るかのように、重い体をゆっくりと持ち上げる。顔を上げ、付着した雪と泥を拭い落とした。

「こいつのおかげさ……」

 アレックスは腕につけたリングを見せつける。腕輪はひび割れ、曇っている。

「リボーンリング。死後、一度だけ復活できる。万が一と思ってつけていたのさ」

 アレックスは何かに取り憑かれたかのように笑う。今までの狂気とはまた違う。フィアレスでもセシウスでもない、何もないどこかに焦点を合わせ、笑っている。

「しかし、まさか負けるとはね。……カウンター技か。私の知らない技が追加されていたのか……」

「所詮お前はその程度だったって事だ。お前は『The Earth』を愛してるんじゃない、自分の理想の中の、自分の世界を愛してるだけだ」

『The Earth』はゲームだ。一回のアップデートで、職業毎の強さががらりと変わることも珍しくない。昨日まで最強と呼ばれていた技が、今日の更新で使いものにならなくなることは日常茶飯事だ。

「正義だの悪だの、下らねえことぬかしてえんなら、てめえの世界に引きこもってろ!」

 飛びかかり、剣を振るう。しかし、アレックスはその腕を取り、フィアレスを反対側に投げ飛ばした。

「……確かに、お前の言うとおりかもしれない。だが……それが間違っているとは思えないな」

 すぐに雪の中から起き上がり、剣を構える。だが、アレックスが武器を取り出す様子はない。それを見て、フィアレスは考えた。

「お前、もう武器がないようだな」

 もしあるのなら装備しない意味はない。先ほどバグ剣を作るのに、普段使用している武器を変化させたのもその仮説を高められる。

 確かに強い剣をバグらせれば、強いままバグ剣として扱える。だが、アレックスはそのバグ剣を使うところを一般のプレイヤーに見せてはならない。

「なら、少なくとも今のお前はもう敵じゃない。……生き返ったってんなら、もう一度殺して――」

「ハハハハハハハハハッ!」

 フィアレスの台詞を遮るように、アレックスは急に高笑いを始めた。その読めない行動に、フィアレスはたじろいだ。

「何だ……!」

「武器など……いらないのさ」

 アレックスが右手を差し出した。何をしようというのか。

「我が手には未だ、禁断の果実が在る!」

 その手に出現したのは、先ほど使用したはずのバグアンプル。アレックスの言葉を信じるならば、今手にしている物が正真正銘の果実――つまりは、オリジナルのバグ。出回っている、薄められた麻薬ではないということだ。

「封ぜられしその実を今……私自らがもう……!」

 アンプルをその首に押し当てる。ダメだ、と止める暇もなく、黒緑の液体が流し込まれていく。

「果実は……ッ、それを食した物へ知恵を与える……! さあ、女神は我に……如何なる、知恵をッ!」

 手からこぼれ落ちた空の容器が、雪の中へ沈む。だらりと力を失くし、アレックスは俯く。

「なるほど……! そうか、これが……魅惑の味か……ふふふ……これは、病みつきにな、るッ!」

 垂れ下がったアレックスの右腕が、急に跳ね上がった。まるで何か意志ある生物のように、皮膚がざわざわと波打つ。それはこの『The Earth』によって定められた動きではない。

「なんなんだ……!」

 一瞬動きが止まった、次の瞬間だった。アレックスの鎧が、腕が弾け飛び、その内側から黒い魔物のような腕が現出した。

 もともとの人間の腕よりも数周り太く、全体にまるで血管のような赤い線が鼓動している。その手には鋭く長い血染めの爪が生え延びていた。肩からは巨大で歪な角が、天空を指し示している。

「……ッ!」

 白い鎧から現れたその腕を一目見て、フィアレスは全身に怖気が走り回るのを感じた。顔の傷が疼き出す。バグ同士、何か反応しているのか。

 アレックス自身がその腕を覗く。その顔に浮かんだのは、望みを叶えた子供のような、純粋な笑顔だった。

「グウゥゥゥ………ァアアアアaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 苦痛か、それとも歓喜か。そのどちらとも取れるような雄叫びの後、残るアレックスの全身に、赤いヒビが走った。そして、脚が、肩が、その胴体が、風船が割れるように弾け、黒い魔物と化していく。

「kOれGa、かmINoちkAらDa……!」

アレックスの顔が、闇に覆われる。血走る赤い瞳、突き立つ牙の生える、化生のそれに置き変わった。頭の端と額からも、それぞれ角がそびえる。

 ずるりと、尾が生える。その先端は槍のように鋭く尖り、それ自体が生物のように歯口を持っていた。

 怪物は耳をつんざく咆哮を轟かす。人間から少し大きい程度だった体躯が、徐々に大きくなっていく。すでに、その大きさは五メートル以上に達していた。

「化け物が……!」

 その巨大な首を回し、元アレックスの怪物は後ろに視線を回した。その先には、フィアレスと同様に、恐怖で身をすくませた三人がいる。

「逃げ――」

 叫ぶが、遅い。怪物は地面を蹴り、驚異的なスピードで宙を駆けた。数歩前へ進んでいたセシウスを横切り、その背後に着地する。

「ぇ……」

 固まっていたセシウスが、怪物を追って振り返る。

 雲雀がいる。雲雀はすぐそばに降り立った怪物を見上げ、愕然としている。その隣にいたはずの、シンは、どこだ。

「ぁ……」

 怪物が、首をもたげる。その頭の先、角の先に、何かが、ぶら下がっている。あれは、なんだ。

 宙でぐったりと体を投げ出しているのは、なんだ。

「し……」

「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」

 怪物が雄叫びを上げる。フィアレスがセシウスの横を走っていく。雲雀が怯えた脚を雪にとられて転ぶ。

「――しんちゃん!」

 叫びが、こだまする。

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