第二十八話-地獄-
互いに離れ、フィアレスは斬撃を放つ。しかし、アレックスはそれをなんなく回避し、再度接近してきた。振られた剣に自らも合わせ、打ち合う。双剣の片方で二撃目、しかし、間合いを見切られているのか、最小限の動きで、空を斬らされる。
「甘い!」
その隙に突きを繰り出す。避けきれない。その剣先が、フィアレスの体を貫いた。
アレックスの剣は相手に激痛を与える。いくらゲーム中で実力があろうと、腹を刺されれば、普通の人間では立ってなどいられなくなる。
「……何っ?」
しかし、フィアレスはそれを意に介すことなく、即座に反撃した。アレックスは一瞬動揺し、回避が遅れる。剣の切っ先がその体をかすった。
「お前、痛くないのか?」
腹を突き刺されているのだ。一般の人間が耐えられるものではない。
「痛いさ。……だが、この程度、散々味わってきた。この傷のおかげでな」
「……ほう、そういうことか」
フィアレスの顔に刻まれた傷。バグによって破壊された痕により、常にバグを埋め込まれた状態になっていた。
麻薬を用いたプレイヤーが痛みに敏感になるように、フィアレスもまた、常に痛覚を味わってきたのだ。
それならば、少なくとも常人よりは、痛みに耐性がある。雑魚モンスターだろうが、ボスだろうが、対人だろうが、フィアレスは数え切れない痛みを味わわされた。しかし、それが、今のフィアレスには助けになっている。
「俺はお前を殺すために戦ってきた。そのために、地獄を見てきた……!」
剣を握りしめ、アレックスに叩きつける。しかし、即座に剣は引き抜かれ、射程外まで下がられた。追い、連続で剣を振るう。
一発目は避けられ、二発目は剣で捌かれる。三発、四発、五発。しかし、どれもアレックスの体に触れることはない。
双剣を同時に振り降ろす攻撃も、アレックスは剣の腹でなんなく受け止めた。押し合いになるが、ビクともしない。
「俺を殺すために、か……」
アレックスが言う。その顔には、明らかな侮蔑、嘲笑がこもっている。
「結構なことだ。しかし、それでこの程度か?」
一度離れ、裂衝斬を撃つ。しかし、アレックスも同じ技を同時に撃ち、相殺した。
アレックスはフィアレスを動揺させようとしている。あからさまな挑発に付き合うつもりはなかった。
「俺のためだけに、その剣を鍛え、腕を磨き、時間を割いてきた。ご苦労な事だ」
その首へ剣。しかし、易々と避けられる。逆に、反撃の突きを肩にもらってしまう。
手強い相手だ。覚悟はしてきたが、一筋縄で叶う相手ではない。もう一度離れ、様子をうかがう。
「なあ、フィアレス」
アレックスは追おうとせず、その軽口をやめようとしない。何かを突きつけるように、剣の切っ先をフィアレスに向けた。
「《《楽しかったか》》?」
「――……!」
アレックスの言葉が、フィアレスの心に突き刺さった。ダメだ、安い挑発に乗るな。頭ではそう考えてたが、心が、精神が動揺し出す。
「俺を倒すためだけに、遊んだゲームは、楽しかったか?」
それは、言葉の矢だった。焼け爛れたフィアレスの心に鏃が刺さり、押し込めていた気持ちが噴出する。気付いた時には、フィアレスは激昂し、絶叫してしまっていた。
「――楽しいわけ、ねえだろおおおお!」
一度溢れた思いは、蓋をしようとしても収まらず、増幅された感情に引っ張られてしまう。
「小さなモンスターにすら、爪で裂かれ、牙で抉られ、炎で焼かれた! それが楽しいはずがない!」
それはまさに地獄だった。まともにプレイすることなどできやしない。極力ダメージを受けないように、惨めに逃げ回った。
もう嫌だと、諦めたいと何度も思った。だが、その度に、フィアレスは思い出す。この傷を負わせたPKを。そして、それを送り込んだ騎士団を。
その怒りが、憎しみが、体を動かした。
フィアレスは驚異的な早さで強さを得た。そして今、ここでその恨みを晴らすために戦っている。しかし、違う。本当は、こんなことはしたくなかった。
「俺だって……俺だって、楽しくゲームしたかった! 普通にエリアに行って、普通にバトルして……みんなと、笑い合いたかった!」
あの時出会ったセシウスと。あの時知り合えた仲間と。
「強いボスに苦戦して、レベル上げたり、武器強くしたり、協力したり喧嘩したりしたかった! 一緒にフィールドを駆け巡って、攻略した喜びを分かち合いたかった……!」
それはそんなに難しいことだったのか? 何もなく、ただ普通に遊んではいけなかったのか。
――否。
「それをぶっ壊したのがお前だ! 俺から、楽しい時間を奪ったのがお前だ!」
騎士団などなければ。あの時、あんなPKなどいなければ。こんなことにはならなかった。
「何が正義だ、何が理想だ! 俺からすべてを奪ったお前の考えなんか、知ったこっちゃない!」
すべてを吐き出してなお、その心の奥でくすぶる炎がある。心の何かを糧として、さらに燃え上がる黒い炎が、フィアレスを、内から焼き尽くしていく。
「お前の理想も、正義も! 全部、全部全部ぜんぶぜんぶ! この俺が、否定してやる!」
フィアレスの両の剣に光が纏う。剣士の特技、撃光剣の双剣士仕様、『撃光双剣』だ。そしてそれを、『双裂衝斬』へと繋ぐ。横斬り、そして間髪入れず斜め斬りと二連に飛んでいく巨大な斬撃波。横に長く、走っても間に合わない。跳んで避ければ斜めの斬撃に当たる。
見てからの回避は不可能。必中の斬撃がアレックスに迫り――
「愚かな奴だ」
そして、その剣の一振りで掻き消えた。
「な……!」
「残念だが、私に遠距離攻撃は通じない。この剣のスキルによってね」
遠距離攻撃を無効化できるスキルは存在する。『ヴァニッシュ』がそうだ。
それは特殊な素材を用いなければ作れないレアスキル。バグが注入されたとはいえ、大元はアレックス愛用の剣。作り込まれた、極上の一本なのだ。並大抵の武器とは比肩できない。
アレックスとフィアレスの差は、根本的な実力差だけではない。どれだけこの『The Earth』に身を捧げてきたのか。その時間の差もあるのだ。
「……結局は貴様も、自分本意ということだな」
「ああそうさ。俺は、俺個人のために戦っている」
初めは正義を名乗りながら、悪をばらまく騎士団を『The Earth』から追い払おうなどと考えていた。だが、それは所詮、言い訳にすぎなかった。
戦うごとに、強くなるごとに、そんな言い訳は不必要だと気づいた。自分は、自分を傷つけた騎士団が憎いだけだと、開き直った。
「俺に正義はない。大義なんて持っちゃいない。……俺は、悪だ。この『The Earth』を汚す、悪だ」
だが、世界を黄ばんだ白で染めようとする、偽物の正義よりはマシだ。
「ぶっ殺してやる、偽善野郎!」
飛びかかり、切りつける。剣と剣が打ち合い、火花を散らす。それは一見互角に見える戦いだった。互いに互いの攻撃をかわし、反撃し、それを防がれる。
フィアレスは必死だった。一挙手一投足に全力を込めた。しかし、アレックスは違った。相手を侮り、嘲り、力を加減している。それで、互角のふりをしているのだ。
そのため、気まぐれにその力を解放するだけで――
「ぐっ!」
フィアレスの剣が吹き飛ぶ。がら空きの体に、剣が食い込んだ。
「脆いな……!」
――圧倒できる。
体を袈裟に斬り裂かれる。さすがのフィアレスも、そのダメージにはよろめいた。
「終わりだ!」
その隙だらけの体に、次々斬痕を刻む。HPと、その精神を削っていく。
顔を、腕を、体を、足を。切り刻む。HPゲージは瞬く間に赤く染まっていき、残る命は風前の灯火だ。
フィアレスは膝を着いた。全身が痛む。だが、それでも顔だけを動かし、恨みのこもった瞳で、アレックスを睨み上げる。
「終わりだ。……せめて、いい夢を」
高く掲げられた剣が、真っ直ぐ、フィアレスの額に迫る。剣はフィアレスを縦に真っ二つ、両断する、はずだった。
――もし、アレックスが純粋に自らの力で戦っていたのなら。恐らく彼はそれに気づいただろう。バグが精神を高揚させ、正常な判断を失わせていたのだ。
――あるいは、それが虚栄の正義の限界だったのか。ただ世界を自分の理想に染めたいが為の行動には、気づかぬ間にすでに終止符が打たれていたのかもしれない。
アレックスの失態は、フィアレスを舐めてかかっていたことだ。すべてを見下し、自らを神と信じ、圧倒的な強さを誇っていたからこその油断。
だから気づかなかった。跪いた男の、眈々とした虎の目に。
剣を振り降ろしたはずのアレックスは、見えない何かに剣を弾かれ、態勢を大きく崩していた。相対するフィアレスは、隙だらけの仇敵めがけ、渾身の突きを繰り出す。
それでもアレックスの判断は素早く、防御のために剣を縦に構えた。それにより突きの軌道は流れ、致命傷は逃れるはずだ。――だが、それは叶わない。
フィアレスの刃は、アレックスの剣に真っ向から打ち合い、そして、一方的に折り貫いた。そして、剣はそのまま、まるで吸い込まれるように。
「バカな――」
「うおおおおおおおおおおおお!」
喉元へ、突き立つ。




