第二十六話-狂気-
だあぁッ!」
真っ正面。剣を抜いたままのアレックスへ飛びかかる。拳を振り上げ、渾身の初撃を叩き込む。だが、反撃も、防御のそぶりもなく、微動だにしないアレックスの前に、大盾を構えた騎士が躍り出た。拳を防がれ、前進を阻まれる。
「どけぇ!」
前蹴り。しかし盾は固く、ビクともしない。突破は不可能だ。それならばと身を引き、残る二人と合流しようとした。
「三人で行……」
しかし、協力を呼びかけ、振り向いた先に二人はおらず、代わりに、後ろ手にセシウスたちを拘束した騎士が立っていただけだった。
「お前ら!」
迂闊だったと思い知り、救出しようと走り出す。しかし、その足に突如、何かが絡み着いた。
前へつんのめり、なんとかこらえるも動けなくなる。足を見ると、地面から生えた鎖が巻き付いている。束縛魔法『バインド・チェーン』だ。
抜け出そうとあがく雲雀へ、盾を持つ騎士が迫る。動けぬまま攻撃するが、なんなく防がれ、雲雀も騎士に拘束された。
「くそっ、離せ!」
シンも抜け出そうとするが不可能のようだ。
雲雀は歩み寄るアレックスに対し叫ぶ。
「何のつもりだ! 正々堂々と戦え!」
しかし、アレックスはその言葉を、鼻で笑い飛ばした。
「勘違いしないでほしいが……私たちは君たちと戦いにきたんじゃない。処断しに来たんだ」
雲雀の眼前に迫り、アレックスは笑う。嘲笑だった。
その顔に、雲雀の苛立ちが増す。
「言っとくがな、殺されたって私たちはめげない! 何度だって噛みついてやるぞ……!」
「……威勢はいいようだが、果たして、それはどうかな?」
不可解な発言。どういう意味だ、とアレックスを睨むのも束の間、アレックスが剣を引き抜いて、雲雀の体を斬り裂いた。――瞬間、雲雀の意識を鋭い痛みが支配した。
「ぐぅぅああああッ……!」
左脇腹から胸へ、逆袈裟に肉が断ち切られている。激痛に呼吸が止まる。喘ぐように息をし、手を掴まれて傷口を押さえることもできず、歯を食いしばった。
存在し得ない痛み。この痛みは、バグ武器でしか与えられることのないものだ。
「て、テメェ……! なんでお前がそんなもん持ってんだよ!」
後ろでシンが吼える。騎士団は『The Earth』の秩序と平和を守る組織なのではなかったのか。アレックスの持つ剣は、それとは真反対の物だ。
「不思議には思わなかったのか? なぜ、騎士団に倒されたPKの名が、二度と台頭しないのか」
「な……何だと……?」
痛みをこらえ、雲雀は声を絞り出す。
「知ってるだろう。この『The Earth』は、いわゆるデスペナルティがかなり緩い。所持品のロスト、それも一部のみが失われるだけ。少々時間をかければ元に戻せる程度だ。プレイヤーを襲い、返り討ちに会う可能性もあるPKが、その程度でPKをやめるか?」
PKの中には、敗北時のアイテムロストを考え、消費アイテム以外のアイテムを持たないものもいるという。たったそれだけの対策で、デスペナルティは回避できる。
これではないも同然だ。いくら騎士団に攻撃されたとはいえ、その程度に被害では、PKはほとんど数を減らさないだろう。だが、実際は騎士団の効力でその数は減少している。
「……痛みで、恐怖で、抑えていたのか……!」
その理由が、このバグ武器に因るものなのか。
今、雲雀を襲っている痛みは、通常のプレイではまず感じることのないものだ。それはPKだろうと同じだ。
『The Earth』は絶対安全なゲーム。見えざる神の手に守られた舞台なのだ。それが当たり前の世界で、突然切り刻まれる痛みを知ったら、その恐怖を覚えてしまったら。
Pkと言えどもただのの人間、そんなもの二度と味わいたくはないだろう。
そう思い、答える雲雀に、しかし、アレックスは首を振った。
「それだけでは50点だ。君たちは、バグ武器の真の効力を知らない」
「真の……効力……?」
セシウスが言う。セシウスたちは数度、あのバグ武器に襲われた。その度におぞましい痛みを味わってきた。だが、バグ武器にはそれ以上の何かが備わっているという。
「そもそも、なぜこの武器で攻撃すると、感じるはずのない痛みを与えられるのだろうか。……その正しい理由は私にもわからない。だが、予想はできる」
剣を雲雀の胸に突き立てる。その切っ先を、ゆっくりと、静かに、埋めていく。
「ぐ、ぐぁあぅ……! うぅぅぅうッ……!」
「ひばりちゃん!」
「やめろ! 雲雀に手ェ出すんじゃねえええ!」
セシウスの悲痛な声も、シンの怒りの叫びもアレックスには届かない。虚しく雪山々に谺する。
「キャラクターは、精神データという肉を、テクスチャという皮で覆っている。このバグは、本来ならば精神には到達しない剣を、そうさせる力がある」
剣が貫通する。仮にこれが現実なら、雲雀はすでに死んでいる。
だが、これはゲームだ。だから、雲雀は死んでいない。だから、痛みだけが永続する。死ねば味わわなくなる痛みを、感じ続けなければならない。
「ぐ……ッ、うううぅぅぅ……!」
そんな痛みに晒されながらも、雲雀は泣き言を言わなかった。暴力に屈するわけにはいかないと、気丈な心で、アレックスを睨み続けていた。
「ふん……よくやるよ」
剣を引き抜く。同時に、雲雀の口から息をつくような声が漏れた。それを意にも介さず、アレックスは話を続ける。
「では、本来なら感じないはずの『死』を、与えることができたら、プレイヤーはどうなるかな?」
刃を雲雀の首に押し当てる。皮が切れ、相応の痛みが生じる。
「……実際に、死ぬってか……」
死の恐怖。これはゲームだ。そんなことが、あり得るはずはない。だが、痛みを感じるなら、死を感じることもあるのか。
それが雲雀の体を強ばらせた。
「しかし、残念ながらそうはならなかった。意識を失い、昏睡状態には陥るようだがね」
大仰にため息をついて残念がり、わざとらしく肩を落とす。まるで演劇でもみているかのようだ。今までのアレックスからは考えられないほど、病的にひょうきんな姿を見せる。
しかし、顔を上げたアレックスの顔には、悪魔がとりついたような、凄絶な笑みが浮かんでいた。
「早ければうたた寝程度、数分で目を覚ますが――未だに目を覚まさぬものもいる」
「な……!」
「そんな……!」
アレックスの言葉に驚愕する。もし、永遠に眠ったままだとしたら、それは、死と変わらない。
「お前は……人殺しだ……ッ!」
絞り出した雲雀の言葉に、急にアレックスの表情が冷めた。無感情な、しかしそれが逆に恐ろしい顔。直後、剣が雲雀の肩を裂いた。
「ぐぁあ!」
「ひばりちゃん……!」
「そう、人殺しさ。だが……ただの殺しではない」
アレックスは語る、静かに、荘厳に。そして、狂おしく。
「死刑執行人は人殺しか? 敵を撃った軍人は犯罪者か?――否、この世には、許された殺しがある!」
斬。新たな傷と痛みが、雲雀の体に刻まれる。
「それは正義だ! 私は、この『The Earth』を救うべく、正義の名の下に剣を振るう。だからこそ、我は許される!」
剣を縦横に振るう。雲雀の体を、腕を、脚を、切り刻む。
「ああああああああ……!」
雲雀のHPは残りわずかだ。あと一撃、斬られたら。その時、雲雀は――ひばりはどうなる。
「たかがゲームに……何本気になってんだよ……!」
顔をあげ、アレックスを睨む。もう、ほんの少し体を動かすのも辛いはずだ。
だが、雲雀は抵抗を止めない。いくら『The Earth』が素晴らしかろうと、これはあくまでゲームなのだ。仮想の世界、仮初めの自分。言ってしまえば、偽物なのだ。鍛えた技も、築き上げた地位も、すべては虚栄。そのはずだ。
「いや、違う……」
しかし、それを否定したのはアレックスではなく、捕らわれたシンだった。
「いるんだよ、この世の中にはさ。……現実は辛くて、悲しくて……ゲームの方が幸せで、大事にしたいって思ってる奴が」
「……少しは理解できる奴がいるようだな」
アレックスが刃を再び雲雀の首に押し当てた。あとはそれを引くだけで、雲雀の命は尽きる。
「っ! やめろ、殺すんなら俺をやれ! 雲雀やセシウスを、これ以上傷つけるんじゃねえ!」
シンの言葉に、アレックスはシンの方へ向き直る。だが、剣をどかそうとはしなかった。
「残念ながらそうは行かない。……だが、君はさっき、私の理想に少しだが理解を示した。それに免じて、痛めつけるだけで許してやろう」
痛みを味わうことになるが殺しはしない。それはあるいは救いであったかもしれない。だが、それがどういった事実を示すか、シンの頭は理解していた。
ひばりが死に、美咲が死ぬ。その中、ただ一人慎太郎のみが生き残ってしまう。友達以上の彼女たちを犠牲に、一人だけ取り残されてしまう。
「やめろ……!」
そんなことになったら、自分はどうなる。一人だけになって、どうなる。シンの頭に最悪の光景がよぎる。
「やめろぉぉぉぉおおおおおお!」
シンがもがく。暴れる。しかし、拘束は解けない。助けに行くことができない。
「やめろ……! やめてくれ……」
その目に涙がにじむ。なぜ己はここまで無力なのか。ひばりは地獄の苦しみに晒されているというのに。セシウスも――美咲も殺されるというのに。
何もできない。
「せいぜい祈ることだ。早い目覚めをな……」
剣を振りかぶる。三人とも、恐怖に目をつぶった。
命が、終わる。
「――……!」
――風切り音。耳障りな甲高い音が響く。
「……何?」
アレックスが手にしていた剣が、その根本から折れていた。いびつだった刃は真白の物へと変貌してしまい、その効力がなくなってしまったと示す。その足下には、折れた剣先と、それを破壊した原因、両刃の手斧が地面に突き刺さっていた。
「……ったく、おせえんだよ……」
がくり、と雲雀の力が抜ける。やせ我慢の限界が訪れていた。だが、それは安心から来るものだ。耐えた甲斐があったのだ。
雪を踏みつけ、歩いてくる姿。白銀の世界に一際浮かび立つ、漆黒の主。その手に二振りを携える剣士。
アレックスが、狂喜の表情でその名を呼ぶ。
「フィアレス……!」




