第二十四話-傷痕-
拳を構える。あのフェイント攻撃は、回避は不可能だ。使われたら確実に一撃を貰うことになる。だが、攻略できないわけではなかった。
踏み込み、細かなパンチを繰り出す。際どいところを攻めるが、どれも紙一重で避けられる。これも、反射神経のなせる技だろう。
ストレートを避け、回転しつつの斬り。バク転して距離を取り回避、追撃の縦切りを受け流し、手刀を打つ。
しかし、それも剣の柄で受け止められた。腕を引き、回し蹴り。だが、それも当たらない。
フィアレスの反撃。大振りの剣を三発避ける。背後には壁。これ以上は回避できない。となれば、次のフィアレスの行動は。
高く剣を掲げる。それが得意のフェイント攻撃だとわかりきっていた。しかし、回避はできない。防御もダメだ。――だから、防御も回避もしなかった。
代わりに、迫るフィアレスに対し、半ば背を向ける姿勢で踏み込み、肩甲から突撃した。雲雀渾身の、カウンター鉄山靠だ。
背中からぶち当たる鉄山が直撃し、フィアレスの体は大きく後ろへはね飛ばされた。HPも大幅に減少し、地面へ転がる。その衝撃で、剣の片方がフィアレスの手から離れた。
フィアレスのフェイント攻撃の弱点は、左右の剣をどちらも攻撃に回してしまうことだ。いくら反応速度が早いといっても、それはあくまでも相手の動きを想定していることによる。反撃に合わせて、即座に防御へと移ることまではできない。
しかし、これは一種の賭けであった。カウンターのタイミングが遅れれば、剣の一撃をもらっていた。そうなれば、雲雀は死んでいた。
だが雲雀は生き残り、成果を得た。フィアレスのHPも残りわずか、一撃耐えられるかと言ったところだ。これで五分。
勝敗はまだ、わからない。
「……!」
フィアレスがよろよろと立ち上がる。このチャンスを逃すわけには行かないと、踏みだそうとした時だった。起きあがるフィアレスの頭上を覆っていた黒布が、外れていたのだ。
体を起こし、睨みを効かせた眼光を雲雀へと送るフィアレス。それを見て、雲雀は戦慄した。その視線にではない。久しぶりに見えたその顔には、《《傷》》が刻まれていた。
切り傷でも、火傷跡でもない――。そう、それは、ここがゲームの世界であると不条理に見せつけられる、データの破損。左頬から鼻筋にかけて走る、グラフィックの破壊の跡だ。
傷は孔になっているようで、内側は黒く、頭部を構成するフレームのようなものが見える。あくまでもファンタジーである世界観をぶち壊す、当たり前な異形。
「あんた……それって……」
驚愕の表情で雲雀は言う。
フィアレスが今まで顔を隠していた理由。そんなものを深く考えたことはなかった。かっこつけだろうとか、決別のためだろうとか、適当なことを慎太郎と話したことがあるくらいだ。
だが、その真の意味は、この世界には有り得ない――あってはならない傷を、隠すためだったのか。
「…………」
フィアレスは何も答えず、フードを被り直した。
「……勝ったらそれのことも答えてもらうからな!」
接近し、打ち込む。避けられ、反撃の剣。上体を反らし回避。次の剣を受け止め、腕を取った。
「だりゃあッ!」
そのままフィアレスを持ち上げ、地面へと叩きつけよとする。だが、フィアレスはその前に自ら地面を蹴り、逆に勢いをつけて地面へ着地、腕を引き剥がし、斬撃。
その切っ先を危うく回避し、しかし離れることはせず、蹴りを放った。フィアレスはそれを避け、距離をとろうと後ろへ跳んだ。だが、その着地先で何が起きたか、膝を折った。
それを雲雀は見逃さなかった。離れたフィアレスを追い、接近。苦し紛れか、フィアレスは手に持った剣を雲雀に向けて投げ飛ばした。
雲雀は体を横にしてそれを避けた。その勢いのまま体を半回転、ソバットを顔面へ叩き込んだ。フィアレスが地面へと叩きつけられる。
勝った、と雲雀は思った。だが、フィアレスのHPはまだほんのわずか、緑のゲージをミリ単位で残していた。
「だったらこれで!」
地面に仰向けのまま動かないフィアレスへとどめの正拳。これで今度こそ、雲雀の勝利だ。
――だが、その時、雲雀の背に、何かが突き刺さった。
一瞬、時が止まる。何が起きたか、思考が巡る。刺さったのはなんだ。つい数秒前のフィアレスの行動を思い出す。
投げた剣。イタチの最後っ屁だと思っていた。それをかわした。安心しきっていた。勝ったと、油断した。
「……返ってくる、技か……!」
その顔に溢れるほどの後悔を滲ませながら、雲雀の体は地面へと倒れた。HPは、真っ赤に染まっている。
最初にフィアレスが冒険した時にも使っていた、剣士が使える技『飛来剣』。その存在は知っていたはずなのに。まったく考えもしなかった。
片方のプレイヤーの死亡により、決闘は終了した。フィールドが消失し、同時に死亡していた雲雀も自動で蘇生する。
「……あんたの、勝ちだ」
ゆっくりと立ち上がり、雲雀は言う。フィアレスもゆらりと立つ。向かい合い、見つめ合う。
雲雀は悔しがった。勝てば、話を聞くことができた。セシウスに、真意を知らせてあげることができた。だが、叶わなかった。負けたことより、そちらの方が余程悔しかった。
拳を固く握りしめる。力んで拳が振るえる。涙が溢れそうになり、思わず視線を下げた。
「……雲雀」
フィアレスが言う。名前を呼ばれたことにハッとして、すぐさま顔を上げた。
「気をつけろ」
言葉の余韻を残す間もなく、そう口にした瞬間、フィアレスはログアウトしてしまう。
気をつけろ、と。その言葉の意味を問う暇すらなかった。
何を気をつけるのか。何に気をつければいいのか。だが、その声音は確かに、まるで何か諭すような、心配してくれているようなものだった。
それなら、望みはある。フィアレスは悪人では……少なくとも、自分たちの敵ではないと確信した。ならば、敵は誰なのか。
その気持ちを抱いたまま、雲雀は表へ出た。あれだけ集まっていた観客はすでに散り散りになり、興奮冷めやらぬ者たちが今の決闘の事を熱く語り合っている。
少し視線を巡らすと、同じように誰かを捜している風のセシウスの背を捉えた。その対象である雲雀は、落ち着きのない彼女に声をかける。
「よ」
「あ!……どこに言ってたの?」
一瞬、真実を話すべきか迷う。だが、隠さない方がいいと思い、さっきまでの戦いのことを、すべて教えることにした。
「裏路地で、フィアレスと戦ってた」
セシウスの目が見開かれる。何で、と質問責めに合う前に続きを答える。
「たまたま見かけてさ……たぶん、あいつもアレックスのこと見に来てたんだろうけど。……それで、あいつと話をしようと思って、でもやっぱり話してくれなくて」
だから、それを賭けて決闘を申し込み、そして負けたと。そう伝えると、セシウスの表情は固くなった。だが、意外にも気を落とした風ではなかった。
「そっか……じゃあ、フィアレスさんは元気だったんだね」
「元気って……まあ、元気じゃないって事はないと思うけど」
顔の傷のことが思い浮かぶ。あれは、痛むのだろうか。バグった剣で斬られて痛みを感じるのなら、バグに汚染された傷なら、もしかしたら何かあるのかもしれない。
「……うん、元気だったと思う。だから、負けちゃった」
傷のことは言わないでおいた。恐らく、あれはセシウスから聞いた、大剣士のPKに襲われた時の傷だろう。あのことを知ったら、セシウスは自分のせいだと気に病むに違いない。
「……うん、わかった」
セシウスは安心したような顔で微笑んだ。
この顔が見られたならいいと、雲雀は思うことにした。
「ところでアレックスの方はどうなった?」
結局騎士たちの決闘は見られなかった。アレックスの圧勝であろう事はわかっていたが、それでどんな事になったのか。
「やっぱり凄かった。バトルの腕前というか……みんなへの影響力かな」
「影響力?」
「うん。なんていうか、自分たちが正義で、お前たちは悪だって言うのを何度も言って、相手を圧倒して。そうすると、観客たちもそれでどんどん盛り上がってってね」
最終的には、騎士団たちの悪評を言う人間はほとんどいなくなったと言う。
騎士団は正しいと何度も聞かされ、アレックスの持つカリスマと合わせて半ば洗脳のようになったのだろう、と雲雀は推測した。元々の信頼があったことも大きいだろう。
あくまでも、最近の悪評は信憑性のない疑いであり、悪事が露呈したわけではない。騎士団の作戦勝ちというところだろう。
だが、雲雀はそうではないと確信している。フィアレスの行動には必ず意味があるはずだ。PKがバグ武器の所有者に限定されていたように、騎士団にも何か、フィアレスが戦おうとした理由があるに違いない。
フィアレスは敵ではない。今は別れていても、いつか必ず交わるときが来るはずだ。それを理解できただけでも、先の戦いには意味がある。
だから、それまでは。
「よし。エリアに鍛えに出よう!」
「鍛えにって……。何、急に?」
「急じゃないよ。強くなるのだって、この『The Earth』の楽しみ方だよ」
それまでは、実力を高める。いつか来る、戦いのために。




