第十九話-被害者-
ひばりから連絡があったのは夜になってからだった。FMDの修理が終わったらしい。ずいぶん早い修理だが、そもそも機械が汚れただけだったので、洗浄とパーツ交換だけで済んだのだという。
慎太郎にも同様に連絡を取り、三人は『The Earth』にログインして集合した。
「直ってよかったね」
美咲――セシウスが言う。雲雀は安堵するように何度もうなずく。
「本当よかった。いやいや、FMDも改めて買うと高いからねえ」
「さて、どうする? どっか行くのか?」
時間も時間だ。このままちょっとしたお話だけして解散でも悪くはないだろう。
だが、それなんだけど、と雲雀は急に表情を引き締め、話を始めた。
「例の新聞、あんたたちも知ってるよね?」
「あの騎士団の件の?」
セシウスの問いに雲雀は静かにうなずく。
「あれ作ったギルド、見に行かないかってね」
「見にって……なんだよ、野次馬か?」
「うーん……今まで黙ってたけどさ、私、正直騎士団の連中のこと、あんま信用してなかったんだよね」
雲雀自身、何度も騎士たちに助けられてきた。PKたちを撃破してくれているのは感謝しているし、この間の戦いでも頼りになることはわかっていた。
だが、それとこれとは話は別だ。
雲雀は以前から、騎士団連中にどこかきな臭いところを感じていた。いくらゲームの中でとはいえ、無償で命を削る正義の味方など怪しすぎる。
だから、今回の新聞の一件、何かあるのではと思っていたのだ。
それを伝えると、しかし二人は同意できそうにないというように悩む素振りを見せた。
「むしろゲームだからこそ、無償の厚意を見せてくれるんじゃない?」
生活のかかる現実では不可能だが、ゲームでなら関係ない。架空の世界だからこそ、自身の心の正義を存分なく発揮できるのでは、とセシウスは言う。
「それもあるかもしれないな。それに騎士団連中、言うほど無償ってんじゃないし」
直接金やアイテムをせしめているわけではないが、助けたプレイヤーたちから様々な金品を受け取っている。騎士団の規模が大きいこともあって、総金額では結構な量が集まっているともっぱらの噂だ。
だが、雲雀は自らの姿勢を崩さない。何より、雲雀は根本的に人を信じ込むタイプではないのだ。
「とにかく行こうよ。気になってることは、調べてみないと気が済まない」
実際、二人にも特に断る理由はない。面白そうなことではあると、赴くことになった。
物販ギルドの入り口はギルドエリアで解放されている。解放時間はギルドの定めた時間によるが、情報販売が主な新聞ギルドは、ほぼ二十四時間が定石だ。
購読していたシンによると『Lier』もそのようだが、いざそこへたどり着いても、やはりと言うべきか、今日は閉まっていた。
閉じたドアに吊されたCLOSEDが風に煽られからからと、来客を拒否する乾いた音を立てている。
「ま、予想できてたけどな」
「うーん……仕方ないか」
誰もいないのなら話をすることはできない。雲雀は悔しそうに舌打ちをする。今日は諦め、引き返そうとした時だった。
がちゃりと、閉じていた扉が開く音がした。
「おや……?」
「……あんた、ここの人?」
雲雀が問う。ギルドから出てきた小太りの壮年男性のキャラクターは、そうだと頷いた。
「あんたたちも苦情かい?」
うんざりしているような言葉とは裏腹に、その表情は生き生きしていた。新聞の中身同様、少々ひねくれた人なのかもしれない、とセシウスは心中思う。
「いや、苦情って程じゃないけど、でもこの記事書いた人と話がしたい。……あんたか?」
「いや。私は編集長だ。書いたのは部下の一人さ。君たちみたいなのは、今日でもう……何組目だろうね」
「やっぱり大勢いらっしゃったんですね」
「ああ。しかも怒り狂ったようなのがたくさん。でも、君たちはそうでもなさそうだ」
騎士団を信奉する者はとても多い。その様子は容易に想像がついた。
「批判しに来たとかじゃないんだ。なんでこんな記事書いたのか……というか、これが本当なのか、一度聞いてみたくて」
怒りに任せるのではない、真摯な雲雀の受け答えが聞いたのか、編集長はしばらく考え込んだ後、ちょっと待っててくれと中へと引っ込んだ。少しして出てくると、許可をもらえたと言い、三人を中へ引き入れてくれた。
「あそこにいるのが、今回の新聞をほとんど一人で書いた、黎さん」
「どうも」
金髪ポニーテールの女性が軽く会釈をする。編集長は自分はこれで、と去っていく。恐らく、もともと出ていくつもりだったのだろう。
「……さて、何から聞きたいの?」
黎が切り出す。話を聞きたい筆頭の雲雀が、代表で話をすることにした。
「まず、これが本当のことなのか。それが知りたい」
騎士団に襲われた一般のプレイヤー。掲示板の噂程度でしかなかった騎士団の悪行を、わざわざ記事に取り上げた意味を知りたい。
「本当だよ」
黎は即答する。
「証拠は? この匿名の証言が事実だって確証はあるのか?」
「あるよ。だってそれ、私自身のことだし」
素知らぬ顔で言う。だが、三人は揃って驚いた。インタビューを受けた匿名希望がライター自身だとは、考えても見なかった。
「なるほど……今回の嘘はここって事か」
元々購読者だったシンが一人納得する。確かに、ライター自身の体験だと公表していたら、事態はもっと深刻になっていたかもしれない。個人の中傷にまで発展してしまうところだった。
「詳しく聞かせてもらえませんか?」
セシウスが言う。新聞に載っていたのは軽い概要のようなものだ。一体何が起きて、何がきっかけでこの記事を書こうと思ったのか。
「いいよ。……事の発端はさ、半年ぐらい前の出来事なんだよね」
黎は語り始める。その表情には、どこか辛そうな悲しみと、静かな怒りが交ざっていた。
「その時、PK関連の記事を書こうと思っててね。有名だったPKになんとか近づいて、取材しようと思ってたわけ。PKっても利用者の一部だし、何人かは素直に私の取材を受けてくれたんだけど、ある一人が拒否して、私を殺そうとしたわけ」
自ら近づいてくるプレイヤーはPKの格好の的だ。今までが順調だった分、黎自身油断していて、瞬く間に殺されてしまった。
そしてその時、運悪く取材の資料を保存していたアイテムを落とし、今までの苦労が水の泡になってしまうところだった。
しかし、そこに現れたのが、青い長髪の騎士だった。騎士は倒れた黎を蘇生させると、PKに戦いを挑み、見事に撃破したのだが、騎士はその後、名を名乗らずに去っていってしまった。
「それが最初の出会いだった。あいつのおかげで資料をロストせずに済んで、その時の原稿は無事だった。……んで、やっぱり感謝してたのよ、そいつには。だから騎士団のエリア行って、そいつの事探してさ……」
無事その騎士に出会えた黎は、その後も何かある度に騎士と交流した。新聞の記事にしようと取材したこともあった。騎士は好青年で、インタビューなんかにも積極的に答えてくれ、黎の書く新聞も、嘘まみれのゴシップ記事と知りつつ読んでくれていた。
夢を語り合ったりもした。騎士は下っ端だったが、いずれは師団長になってやろうと行き込んでいた。黎も、いつかは編集長にまで上り詰めてやると張り切っていた。
「ホント、仲良くなってさ。……仲良く、なってたつもりにね」
思い出話を楽しげに語っていた黎は、急にその表情を暗くした。先程よりも強く、悲しみと怒りが見える。いったい何が起きたというのか。
「二ヶ月前にさ、そいつに呼び出されたんだ。話したいことがあるって。……深刻そうにさ。何かあったのかもしれないって、飛んでった」
城で会い、人の少ないところに行きたいと適当なエリアに出た。騎士はずっと黙りこくっていて、何も話し始めなかった。
そして、ある程度進んだところでいきなり――
「殺された」
首を掻っ斬るジェスチャーと共に、黎は静かに言う。振り向きざまに一撃だった。何も言うことはできず、抵抗もできず。
「それっきりさ。それきり、あいつとは一度も会ってない。……会いたくもない」
「そいつは今も『The Earth』に――騎士団にいるのか?」
シンの疑問に黎は頷く。
「そいつは今、副団長やってるみたいだね。図々しくも、夢に近づいてるってわけだ」
「名前はなんていうんですか?」
セシウスが問う。
「トールソン。あんまり口にしたくない名前だ」
その名前にどこか聞き覚えがあったが、思い出すことは出来ない。それよりも、もっと率直な疑問を質問する。
「……でも、なんで? どうしてその騎士は黎さんを? 今の話で、黎さんを殺す理由が見えてこなかったんですけど……」
「それに関しては私もわからない。でも、予想はできた」
「予想?」
「あんたたちさ、騎士団の成り上がりのシステム、知ってる?」
三人とも揃って答えはノーだ。何か戦果を上げればというような事は想像つくが、詳しいことは聞いたことがない。
「まあ、普通は知らないんだ。基本的に社外秘……というか、ギルド外秘かな。そうらしいから。でも、あいつは私に話したことがある」
どうすれば、下っ端の騎士が幹部にまで上り詰めることができるのか。それを、黎は話し始める。
「PKを倒した総数なんだって。今までに計何人倒してきたか。ステータス画面でわかるでしょ?」
黎の言うとおり、ステータスを開くと、今まで自分が倒してきたモンスターやプレイヤーの数が確認できる。月毎日毎に分けられ、モンスターならば種族、プレイヤーならば職業別に統計を見られる。
「詳しい数は知らないけど、一月で何十人か倒した翌月に昇進試験みたいのがあるんだってさ」
初めて知った機能で、セシウスは今まで自分が戦ってきた記録を見て、なんだかんだで自分も長いことやってきたものだと、感傷に浸っていた。
その横で、雲雀は眉間にしわを寄せ、苦々しい表情をしている。
「……そういうことか」
「え? 何かわかったの?」
セシウスに一つうなずき、雲雀は黎に向けて言う。
「これ……PKとその他のプレイヤーで分けられてない」
それはなんでもないようなことで、しかし、騎士団のあり方を考えると、とても大きな事実だった。
「そう。……考えてみれば当たり前だけどね。PKってのはあくまでプレイヤー側の行為ってだけで、職業だったり所属だったりするわけじゃない。システムで管理するようなもんじゃないんだ」
そして、それから読みとれる黎が言わんとしていること。それを、雲雀は理解していた。そしてそれが仮に真実なら、騎士団は。
「私は非常食だったんだ。自分の昇進のための撃破数が足りなかった時の、ね」
PKと一般が分けられていないのならば、わざわざ戦闘を行わなければならないPKを倒すより、騎士である自分を信頼しているプレイヤーを、不意打ちで殺してしまえばいい。一人は一人、同じだ。
「じゃあ、騎士団は全員、そんな風に一般プレイヤーを襲ってるってのか?」
シンの言葉を黎は否定する。それは早合点だ、と。
「もしかしたら、私が会ったあいつだけがたまたま悪い奴だったのかもしれない。でも……やってないと言い切れる保証もない」
「多くのプレイヤーの騎士団への信頼は、もう一個の宗教のレベルだ。あの人たちがそんなことするわけがない。悪いことをやっているはずがないってね」
掲示板の噂も、あるいは事実だったのかもしれない。だが、雲雀の言うとおり、騎士団への信仰が、それをデマだガセだと決めつけてしまう。いずれは襲われるかもしれないプレイヤー自身が、彼らの悪行を隠す蓑になってしまっているのだ。
「何にせよ、私が記事に書きたかったのは騎士団=悪ってんじゃなくて、騎士団だって人間の集まりだって事さ。良い奴ばかりじゃない、悪い奴もいるんだぞって」
だが、この新聞記事を批判する連中は、その意図を読みとれず、あるいは敢えて読み取らず、絶対正義である騎士団を貶める、悪質な新聞であると決めつける。盲信した人間の為すことは末恐ろしい。
「今更だけど……黎さん、あんた、こんな記事書いて大丈夫なのか?」
「騎士団とか、信者に襲われるかもって?」
あり得ない話ではない。騎士団が直接手を下すことはなくとも、その信奉者が暴徒となる恐れは十分にある。
だが、黎はそれを笑って否定した。
「大丈夫だよ。だって私、今日でやめるから」
「やめる……『The Earth』を?」
「うん。リアルの事情でね。二ヶ月も前の出来事掘り起こして記事にしたのも、この事実を私の胸の中に留めておきたくなかったから。だから、襲われる事なんてないよ」
確かに、記事を書いた人間がいなければ、襲うことは物理的に不可能だ。
「ま、こんなもんかな。……あんた達も気をつけな。自分の身は自分で守ることだね」
話はこれで終わりだ。礼を言い、三人は黎に見送られながらギルドを後にする。
「あ、そうだ」
その別れの最後、黎が三人を引き留めた。
「パーソナル渡しとくよ」
取り出したパーソナルカードをセシウスへと渡す。だが、三人はその意図が理解できなかった。
「確かにやめるけど、アカウント消すわけじゃないから。もし何か聞きたいこととか話したいことがあったらメールしてよ。そのぐらいなら時間とれるからさ」
その言葉を最後に、今度こそ本当に三人は黎と別れた。自分達のホームへ戻り、今聞いた話を振り返る。
「騎士団の真実、か……。やっぱり信用しなくて正解だった」
「でも、みんながみんなあんな事してるわけじゃないんでしょ?」
「わからねえよ。正直、こうなると本当に、誰も信じられないな……」
黎によって伝えられた騎士団の悪行。全員ではないとはいえ、確実に存在する騎士の暴行に、三人は不安を感じていた。
もしかしたら、明日にでも自分達がその犠牲になるのでは、と思えてしまう。
この事の真に恐ろしい部分は、泣き寝入りするしかないという事だ。騎士に襲われたと言って信じてくれる者はほとんどいないだろう。最悪、話した側がPKや不正プレイヤー扱いされてしまう。
「……とにかく、今日はもう終わろう。とりあえず寝て、そこからだ」
時間も時間だ。鬱々とした考えを巡らせるより、一晩眠りについて頭をすっきりさせたほうがいい。それぞれログアウトし、現実の世界に戻ることにした。
だがしかし、何も考えず眠りにつき、翌朝目を覚ましても、美咲の気分は何も変わらなかった。
今はとにかく行動と、テレビのニュースを背景に、登校の準備をしながらふと思う。
正義を名乗る騎士団に悪の一面があるというのなら、悪とされる人間が、実は正しい行いをしているということもあるのではないか、と。
一時は大丈夫だと思ったが、やはり、美咲の心の中には、かの男の姿がこびりついているようだ。
「美咲、ご飯よー」
「あ、はーい」
階下からの母の声に、美咲は陰鬱とした気分から抜けだし、鞄を机においてリビングへと降りた。
考えるのはもう、やめにしよう。階段を降りながら、美咲はそう心に刻んだ。
……誰もいなくなった部屋、消し忘れたテレビの中で、ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げる。
「――昨夜未明、ネットジャーナリストの旭麗子さんが、自宅で倒れているのが発見されました。通報したのは同居していた男性で――……」




